えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

最近の新聞記事より ~「たかがモリカケ」じゃない~

2018年06月23日 | 雑記

 少し前のことになりますが、東京新聞朝刊の「時代を読む」欄に掲載されたコラムを2編(2018年6月3日付・6月10日付)紹介します。

copy-------------------------------------------------

 今最も重大なモリカケ  浜 矩子(同志社大学教授)

 他紙への言及で申し訳ないが、毎日新聞が「『たかがモリカケ』なの?」という特集をやっていた。(5月31日夕刊)
 国会は、いつまで森友問題と加計問題に振り回され続けるのか。審議すべきもっと重要な案件があるだろう。もういい加減にしたら? この種の苦情や批判に妥当性はあるか。そこにフォーカスした記事だった。筆者も、ずっと引っ掛かっていたテーマだ。だから、目が行った。くしくも、この記事が出る数日前、本欄のご担当者ともこの話でやりとりをした。
 端的にいって、筆者は「たかがモリカケ」的発想が許しがたい。特に政府・与党側からこの種の言い方が出て来ることが、なんとも耐え難く不愉快だ。何たる不遜。何たる不心得。何たる見当違い。
 麻生太郎財務相が、「森友の方がTPP(環太平洋連携協定)より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」(3月29日の参院財政金融委員会)と言ったそうである。この発言はとても面白い。多分、この人は自分が言ったことの意味が分かっていないのだと思う。この発言には、二つの面で、ご本人の意図した(と思われる)ところとは異なる示唆がある。
 まずは、「森友の方がTPPより大事だ」のくだりだ。これは、全くその通りである。ことの重大さにおいて、森友はTPPをはるかにしのぐ。そもそもTPP自体を、なぜ、安倍政権がそれほど重大だと思うのか、という問題はある。だが、TPPに関する価値判断を抜きにしても、今、この時点では、「モリカケ」についてしっかり解明し、しっかり決着をつけることにこそ、その他の何ものにも勝る重大さがある

 ウソをついているかもしれない人々を相手に、国会審議はできない。事実に基づいてものを言っていないかもしれない人々とは、まともに議論できるわけがない。議論というものの土台が崩れてしまっているかもしれないのに、議論を行うことには意味がない。意味がないというより、それは欺瞞(ぎまん)を容認することにつながるから、断じて、付き合ってはいけない行為だ。

 「モリカケ」を巡るような疑念が生じた時には、他の全ての案件はそっちのけで、解明と決着に総力を挙げる。それが、国会議員たるものの基本中の基本行動のはずである。
 TPPであろうが、憲法改正であろうが、「働き方改革」なるものであろうが、それらは、しょせん、政府・与党の関心事だ。それらが、国民的関心事となるに値するテーマであるのかそのことに関する国民の意思決定に資するべく、議論を重ねる。この機能を、国会議員たちは国民から託されている。議論する権限を、国民から委譲(決して移譲ではない)されているのである。ところが、議論の俎上(そじょう)にのせる提案を行う側に、改ざんや隠蔽(いんぺい)の疑惑が発生しているこの状態を是正する。このこと以上に、重大な何があるというのか

 こうしてみれば、麻生大臣の「森友の方がTPPより重大だ」発言は実に正しい。さらに、その先を「と考えているのが日本の新聞のレベル」だとつなげているのがまたいい。つまり、日本の新聞は、ことの重大さの優劣を正しく判定していると称賛しているわけだ。かくなる上は、新聞も安心して「だからモリカケ」に徹していただければいい。

-------------------------------------------------copy

 

copy-------------------------------------------------

 時代遅れの危機対応  宇野 重規(東京大学教授)

 あなたの組織に不祥事が発生したとする。そして、あなたはその対応を迫られる。どうすべきか。
 悩むことはない。世の中には危機管理のマニュアルがあふれている。まずは事実の究明が先決である。正確な情報をできる限り収集し、そのような事態が発生してしまった原因と背景を明らかにする。さらには、このまま事態を放置した場合に生じる損害を予想し、それを最低限のものに食い止めるための方策を検討する。スピードが肝心だ。
 以上のことが明らかになったら、次はその情報を公にすることだ。自分たちの組織は問題をきちんと把握し、対応策も鋭意検討している。組織としての責任を痛感しており、被害を与えた関係者に速やかに誠意を持って対応する。このような内容を広く社会に発信し、理解を得られるように努める。その際は印象が重要なので、服装や言葉遣いに最大限の注意をする。何事もオープンにすることが早道だ。
 といったことが、どの本にも書いてある。時代は変わったのだ。スピード、情報の公開、責任ある対応、これらなしには、いかなる組織も生き残るのが難しい。それがガバナンスであり、コンプライアンスであり、リスクマネジメントであり、コーポレート・ソーシャル・リスポンシビリティー(CSR)である。

 と思っていたのだが、現実はどうもそうではないらしい。何かが起きたら、ともかく追い詰められるまでは知らんぷりをする。こちらから情報を外に出すなんて考えられない。自殺行為である。ともかく何を聞かれても言質を取られないよう、意味のあることを話してはならない。組織の関係者にはこのことを周知させ、外に向かって発言すれば、それは組織に対する敵対行為であると脅しておく。
 責任者が公の場に出るのは最後の手段。組織内で責任ある立場から遠い人間を先に出し、あわよくばその人物の責任ということにしてしまう。運悪くそれでは済まない場合、少しずつ上の人間が出てきて、時間をかせぐ。ともかくトップの責任に行き着かないことが肝心だ。「人の噂(うわさ)も七十五日」と言うではないか。小出しの対応をしているうちに、世の中の関心が他に移ることを待っていればいい
 万が一、それでも事態が収拾できず、トップが何かを言う必要が生じたときはどうするか。もちろん、「知らなかった」で押し通すしかない。「知っていたはずだ」「組織内を掌握しているのか」といった挑発に答えてはいけない。「問題なく進んでいたと考えていたが、一部ささいなトラブルがあったようだ。しかし、現状では問題のない状況に復帰している」と言えばよい(本当かはどうでもよい)。

 以上をマニュアルAマニュアルBと呼ぶことにする。マニュアルAは多くの組織で整備されつつある。これに対し、マニュアルBはついこの前まで日本の主流であったが、今や時代遅れになりつつある…はずであった
 ところが、日本ではまだまだマニュアルBが生きているようである。それも巨大で古い組織になればなるほど、その有効性が疑われていないらしい。しかしながら、マニュアルBは、結局は組織への信頼と評価を損ない、さらには組織のメンバーを深く傷つける。組織を守ることにつながらないのだ。このことをあらためて確認すべき段階に、私たちは今いる。 

-------------------------------------------------copy

 (※いずれも、文中の段落のブロック分けと太字化はブログ管理人によります。)

 

                                        

 「国会は、いつまで森友問題と加計問題に振り回され続けるのか。審議すべきもっと重要な案件があるだろう。もういい加減にしたら?」 この意見は、「モリカケ」問題の本質を見過ごしている場合に出てくるものだと私は考えています。ここに紹介した浜氏と宇野氏は、その本質に異なった視点で迫っていると私は思ったので、紹介しました。皆さんがいろいろな視点でこの問題の本質を考えるときの参考になればと思います。

 国民が「モリカケはもういい加減にしたら?」と思うことを、権力者は大歓迎していると私は思います。国民が次々起こる凶悪な事件や大地震などの心痛むニュースやサッカーW杯に気をとられることも、権力者は喜んでいると思います。そうこうするうちに、国民の脳裏からウソつきたちのウソが忘れられ、真相が闇に葬られることを、権力者は待っていると思います。でも、権力者を喜ばせてはいけません! 権力者の常套手段、「騙し・ごまかし・脅し・慣らし」を許してはいけません!

 「森友」を考えるときのキーワードは、教育勅語への回帰…道徳の教科化…果ては、改憲後の憲法と天皇制を利用した立憲君主政治……?? 「加計」には、旧陸軍「登戸研究所」を彷彿とさせるまさかの軍事研究……???のtakuetsu@管理人でした(^^;

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お知らせ ~旅行につき更新... | トップ | お知らせ ~引き続き更新を... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑記」カテゴリの最新記事