たこおやじのひとり言^^

ぶつ・・ぶつ・・・ぶつ・・・・

蓮根畑!

2009-07-13 04:40:47 | 紫陽花ちゃん!

おはようございます!

 

 

さて、土曜日のお休みにジョギングがてら見てきました・・・

蓮の花ちゃんたち^^

わが町の隣・・・・門真市というところに、蓮根畑がいっぱいあるんです。

 

 

高速ができるさかいに・・・

蓮根畑の真ん中を、新しい高速道路の工事。。。。

あんなんがあったら、道が変わってしまって・・・・

方向感覚なくなりまっせ

 

ほんと、畑がめっちゃ減ってましたわ

 

 

ここは、まだまだ若いでんな^^

 

 

ここは、広いけんど花があんまり見えませんな

 

さて、門真のカワチ蓮根とは・・・・

河内れんこんの歴史

延喜式(912年制定)の宮内省に属する台膳司(天皇の食事を作るのを仕事とする役所)について記られているところに、河内の国から貢進物の一つにとして蓮根があげられている。

また、1689年(元禄2年)貝原益軒が、生駒山地を清滝峠を経て飯盛山の北麗へ出る。
世に言う大坂越えをして大坂へ下ったことが記されている「南遊記」(旅日記)に

「池の広さ南北二里(約8㌔)、東西一里(4㌔)・・・・・・湖に似たり」

「三ヶ(今の大東市三箇)の島に、漁家七八十戸あり、  田畠もあり・・・・・       
       又、 蓮多し、 茨実多く 葦多し、 皆取用てたすけとす」とある。

江戸時代に常弥寺村を除く、現門真市内の各村に「蓮年貢」がかけられたり、孝明天皇の末頃(1860年代)には野生のハスを湿田に植えて、自家用にしていた。

明治(1882年~)に入っても「日本地誌提要」や「明治15年 大阪府治一覧概要」(1882年)に茨田郡が蓮根の特産地としてあげられるなど、現門真市近隣にて蓮根栽培が盛んであった事が伺える。

 当時の蓮根は蓮池に生育していた「地ハス」と呼ばれる日本種の蓮で、洪水により腐敗の被害を受けるなど収穫量が不安定で、品質も非常に細く、黒いもので、良い物ではなかった。

明治の中頃(1890年頃) 「河内蓮根組合」(当初はハス仲間と言った)が結成され、高値で取引される大和郡山方面へまで販路拡大に努めた。

明治の晩年(1910年頃)になると、それまでの苦労が報われ、天満市場に出荷出来るように成り、大正4~5年(1915~6年)頃には木津市場にも進出するように成った。

大正時代(1911年~)に入っても、門真周辺は地湿地帯で水害による農作物の被害が絶える 事なく、稲作には不利であった。そこで、北島(門真市南部)の中西粂松が池のハスを水田に植えつけたところ。多収穫を得ることに成功し、これを習う人が続出し、門真を中心とした北河内西部の低湿地帯に蓮根栽培が広がっていった。

1921年(大正11年)前後、大阪の市場で蓮根の取引量が増加し、石川県や岡山県からの入荷量が増加している事を知った。
 石川県や岡山県で栽培されていた加賀蓮、備中蓮は1868年頃に中国から輸入された{シナ 蓮」で、茎が太く短く、やわらかく、歯あたりも良かったので河内の蓮根は窮地にたたされた。

1920年(大正9年) (一説によると1923年) 北島の山田正太郎・土居捨松・浅田治三郎など が石川県金沢しに赴き「加賀蓮」(加賀方面では南京蓮と呼ばれていた)を購入し、門真南部北島の田に移植した。

また、1921年(一説によると1925年)には、北崎一平が岡山県から直接「備中蓮」の種蓮根を伊藤安松などは、天満市場に出ていた「備中蓮」の赤楚から種を得て、門真にて栽培を始めた。
「加賀蓮」は根茎の節間が太く短く、根茎が地下浅く入っているので比較的掘りやすいが、 敗病に対する抵抗力が弱く、当時は備中蓮に比べ少なかった。
「備中蓮」は節間が長く、腐敗病に対する抵抗力が強く収穫量は多いが、根茎は地下深くに入り掘りにくいのが欠点であった。

しかし、両種とも水田で栽培でき、品質、収穫量ともに、それまでの「地ハス」と比べ遥かに優 れていたので、門真南部を中心に近郷一帯で栽培されるようになった。
 その際、古来より自生、栽培していた「地ハス」区別しなかった為、「地ハス」「加賀蓮」「備中蓮」が自然交配し、「河内備中蓮根」「河内加賀蓮根」が生まれ、こるらを総称して『河内れんこん』ができあがった。

河内れんこんは、その”もちもち”としたねばり気のある食感で市場で歓迎され、備中。加賀蓮より高値で取引された。
 この結果、大正末から昭和初期にかけて蓮根の生産が活発になり、1960年頃まで、門真のほとんどの農家は、稲作を自家消費用程度に留め、蓮根生産専業農家であった。

【沈み掘り】 門真のれんこん田は粘土質で水はけが悪いため、所によっては、収穫の際には肩まで池の中に入り、足で蓮根を探り、潜って掘る”沈み堀り”と言う独特の収穫方法が行わ れた。 この”沈み掘り”は誰にでも出来るものでなく「池師」と呼ばれ、祖父から父へ、父から息子へとその技術は伝えられた。
 

文章は・・・こちらのHPより。

http://www.mkc.zaq.ne.jp/runesan/index.html

 

う~~ん、石川県と岡山県の蓮根が自然交配してできたのか・・・

奥深いね^^

 

しかし、あの沈み掘りはやってみたいわ

沈み掘りの様子http://www.mkc.zaq.ne.jp/runesan/sizumial.html


 

 

ここは、すごいよ・・・

ぼくより大きいから^^

背丈2Mは、ありました。

かくれんぼにちょうどええわ

 

 

 

ここらは、たくさん咲いてまっしゃろ・・・

しやけんど、入って行けないから、撮れません

 

 

 

この上で寝たいね^^

 

 

ほんと、花もでかいよ

 

 

 

この花で、ラーメン鉢ほどありますわ

 

しかし、綺麗な~

 

では、