原・朝之富士 江戸より13番目の宿
玉置哲広
(前略)そして、いよいよ天下の険「箱根」越えで、その後「富士」の裾野を通過していくが、この二山は有名すぎていうまでもなかろう。原宿の浮島ケ原からの富士や、吉原宿の左富士の景は実在する場所があり、「愛鷹山」や「宝永山」まで描かれているが、有名な箱根宿の景で描かれた美しい岩峰は、カルデラ内壁にいかにもありそうな地形だが実在しないようだ。広重のイメージ上の峰なのだろう。
駿州路遠州路にかかると、全国的には無名であるが、古くからその名を知られたり、地元では親しまれているような特徴のある山々が続々と登場してくる。
由井宿の「薩埵[さった]峠」は、海辺の絶壁から海越しに富士を眺める人々が描かれた印象的なものだが、五十三次中もっとも浮世絵に近い風景が見られる場所だ。旧街道はここで上道・中道・下道の三ルートに分かれる難所だが、断崖下を通るルートを「親不知子不知」と呼ぶのは北アルプスの北端と同じで、現在は海上を高速が走っているのも一緒だ。現在の薩埵峠は浜石岳からのハイキングルートとしても知られ、一面みかんの山で、運搬用のレールが延びる明るい印象の場所である。
江尻宿(現・清水)で「愛鷹[あしたか]山」を振り返り、現・静岡の府中宿に入るが、ここで広重は安倍川の渡しと黒い山を描いている。右岸から見た「賤機[しずはた]山」とすると、静岡の名のルーツともなった、静岡市民にはお馴染みの山だ。
安倍川餅に続いてとろろ汁と名物が続く鞠子宿では、茶店の背後に描かれた山が気になる。現存するとろろ飯屋の背後にはたしかに山があり「横田山」というらしいが、近くに周囲の山を借景した庭園が有名な吐月峰柴屋寺[とげっぽうさいおくじ]があり、寺の東の山を「吐月峰」と風流に読んだのがこの山だ。吐月峰は竹の名所で灰吹きの別称でもある。借景対象は「丸子富士」「天柱山」という地元の小山。
こうした山々が現れて、いよいよ難所、宇津ノ谷峠にさしかかる。岡部宿「宇津ノ山」の景も、いかにも山深き風情だ。古くは伊勢物語で「宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあわぬなりけり」と詠まれた「蔦の細道」も並行している。今では軽い観光ハイクルートであるが、この山塊が海に落ちている所が、高速や鉄道が日本坂トンネルで越える大崩海岸であり、現在の交通でも難所には違いない。
ここを過ぎると遠州に入る。越すに越されぬ大井川は越しても、すぐに西の箱根と称された「小夜の中山」が待っていた。日坂宿の景では胸突き八丁の峠道と怪石・夜啼石が描かれている。地形的には茶どころ牧ノ原台地を越える所で、現在は霜取り扇風機の林立する茶畑が広がる気持ちのよい所でもある。峠の寺には夜啼石も現存している。また、日坂宿のランドマークとして「無間山」なる山が隷書版等にあるが、これは北方の「粟ヶ岳」のことである。
さて、遠州路から先は大きな山は存在しないが、浮世絵にはさまざまな山が登場する。掛川宿の景は「秋葉山」の遠望。防火の神として当時から著名な信仰の山である。筆者は街道の玄関先で盆の迎え火を燃やす頃に通りかかり、火との関連で印象的であったが、山はまったく目立たず、絵はかなり誇張されていると思われる。(後略)
(『岳人』667〜669号「山の雑学ノート」欄より転載)
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上記の文に興味を覚え、家に「宿駅制度四百年記念」の絵はがきとなった広重・東海道五十三次があったのを思い出した。静岡県内の五十三次の宿場は三島から白須賀まで二十二と最多であり、富士山をはじめ山が描かれているものも多い。玉置氏も指摘しているようにイメージ上の山や誇張された表現もあるので、正確に実在の山と重ねることは難しいが、想像力で考えていくのも楽しいかもしれない。連載で掲載したい。
まずは有名な「原・朝之富士」、富士山の前の愛鷹連山は容易に判るが、裾野左遠景の雪を頂く山は何だろうか。方角的には「毛無山」という線もあるが、立派に描かれていることを考えると、ずばり「白根山(白峰三山)」だと推測するがいかがだろうか。
(2003年3月記)
【2024年8月追記】
「原・朝之富士」の描かれた位置を現東海道本線・原駅の北東として([https://creativepark.canon]内「東海道五十三次」を参照)、北岳の見通しをアプリ『スーパー地形』でシュミレーションしてみると、その毛無山南の雪見岳(1605m)が障壁となって実際には見ることはできないようだ。
だが、間ノ岳は猪之頭峠の鞍部越しに山頂部が僅かに覗く可能性がある。また、塩見岳以南の南アルプス南部は、悪沢岳、荒川岳、赤石岳、聖岳など主脈各峰や笊ヶ岳などの白峰南嶺を望むことができたようだ。
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