山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

続・山名の読み方

2024-07-07 10:30:07 | エッセイ

 先の会報に『山名の読み方』と題する小文を載せた。さっそくにA・Hさんが手紙の中で触れて下さり、また幾人かの会員からも反応があって気を良くした。今回は文末に記した「○○ノ頭」の頭について、無い頭(あたま)で考えてみた。
 A・Hさんは「私は頭(かしら)の呼び名が好きです。」と述べられ、また山の話をしていると、他の多くの人も[かしら]と呼んでいるようである。なるほど語感的には[かしら]の方が、すっきりと納まる気がする。ところで一般に使われている[あたま]と[かしら]の区別は、おおよそ以下のように思う。
 まず、体の部位としての区別は、[あたま]は頂点そのものであるのに対し、[かしら]は首(肩)から上の全てと範囲が広くなる。「おかしら付き」は顔のついた状態であり(魚に首や肩は無いが)、「かしら右!」の号令では首から上を右に向ける。敵の武将の首を刎ねる時は「お(み)かしら頂戴!」と言う。
 比喩的に組織のトップを頭とも言う。この場合、頭領的なものは[かしら]と呼ぶ。火消しや鳶の親方、またヤクザや盗賊の親分は[かしら]となる。ある種の実力集団的なもので、現実の力(武力、腕力)を有した名実共にトップを[かしら]と言っているようだ。一方「天皇を頭に戴く」や「○○会の頭をやる」などは、[あたま]と呼ぶのが一般的だろう。この場合には、力云々よりもポジション、象徴的な意味が優先されるようだ。
 山名で「○○の頭」というとき、殊に近代登山とは別の歴史性の中で名付けられている場合、○○の部分はその山を源とする沢の名前であることが多い。例えば、ヨモギ沢の頭、アツラ沢の頭、ワサビ沢の頭など(いずれも安倍奥)。また山名が「○○の頭」でなくても、上河内岳は上河内沢、聖岳は聖沢、赤石岳は赤石沢の頭なのである(いずれも赤石山脈)。山名、沢名のどちらが先かという議論もあるが、高山の山頂に立つという目的がない昔、まず踏み入って認識する(名付ける)のは沢の方であると思われる。大きなピーク(すなわち大きな沢といえる)は、やがて「沢の頭」が取れ独立した名となり、小ピークの場合は未だに沢を引きずっていると言えるだろうか。ただし、これは山深い高山の場合で、里山あるいは里からそれを認識できる象徴的な峰や独立峰は、山自体に由来する固有の名前が付けられているだろう。
 かつて山を歩いた人々は、沢を辿り、その最初の一滴が生まれる源頭部の頂きを「○○沢の頭」と呼んだのである。従って、それが指しているのは山体全てとか、源流部という大まかな範囲ではなく、あくまでも頂点(ピーク)そのものだと考えられる。山体の部位としての頂点、つまり[あたま]である。肩から上の総称である[かしら]では範囲が広く、まだ尾根の途中や斜面をも含んでしまうように思うし、稜線上の小ピークでは[かしら]に当る部分がないこともある。それに[かしら]と呼ぶと、何か群の親分、つまり連山の中心、主峰というような感じがしてしまうのだ。だからこそ語感は良いのであるが。
 ご存知の「富士山」の歌は、

〽あたまを雲の上に出し……

と唄う。雲から出ているのが、[かしら]部分に相当していても、やはり「富士山が頭(あたま)を出している」と人は言うのである。
 1980年代頃の『アルペンガイド』(山と渓谷社)には、巻末に三宅修解説による登山用語集が載っていて、その最初の項目が「あたま頭」となっていた。そこでは、

稜線上に位置する小さなピークのこと。かしらと読むことはまれで、長次郎ノ頭とか屏風ノ頭など、いずれも〝あたま〟と発音する。

とあるが、登山界の統一見解であるのか不明だし、さらに、その個別の地域で実際にどちらの呼び名であったかは判らない。ただ、この説を踏襲しているのか、手元にある山と渓谷社発行のガイドブックでは、山域、執筆者を問わず、[あたま]と読ませているようだ。……と書いて、最後に『谷川岳と越後の山』(2000年発行版)を検証していたら、どっこい索引に名の出る「○○ノ頭」21座中、[かしら]読みは16座、[あたま]読みは6座だった。この本は共著となっていて、[かしら]はいずれも「谷川岳周辺の山」の項で群馬県岳連関係者が執筆、[あたま]は「越後の山」の項で長岡ハイキングクラブが執筆している。両項は巻機山周辺で重なり合っているので、これは両者の読み慣わしの違いという他ないだろう。中には、永野敏夫氏の『山といで湯』(2000年・静岡新聞社)ように一冊の中で鉄砲木ノ頭[あたま](三国山稜)と五葉沢ノ頭[かしら](小無間小屋のピーク)と混在させている例もある。
 前述の考えどおり本来の歴史性を持った読みは[あたま]であったのが、おそらく一部登山者(クライマー辺り?)の間で始まったと思われる[かしら]読みが歳月の中で広まり、近年、一般化しつつあるのではと想像するが、どうだろうか。[あたま]は下(里や沢など)から見上げ、辿る視点、[かしら]は稜線上を攀じる視点、「お山の大将」とも感じられる。

(2006年12月記)

【追記】

『民俗地名語彙辞典』(松永美吉著・日本地名研究所編 2021年・ちくま学芸文庫)によれば

アタマ 溪谷又は渓流の源に当たる峰又は隆起を指す、其の渓谷の名を冠して呼ぶのが普通である。時としては凸起ならざる尾根の上部にも当てる〔『地形名彙』〕。

 何々頭(アタマ)とよぶ山は、山岳語としては谷や沢の源の突起部あるいは枝尾根が主脈に合するあたりの隆起が目立っている場合に「何沢の頭」と呼ばれる例が多い。それは主峰的な存在、あるいは何山、何岳とよばれるような顕著な独立的存在でないものが多い。しかし、中には何山、何岳と呼ばれて然るべきものもあり、必ずしも厳密に区別されない。

とある一方で、カシラについては「① シリ(尻)の反対語で起点、ものの始まり(井ノ頭、田ノ頭) ② 山」と記しているので、地域によって[カシラ]読みの山名があることは間違いではないと思われる。

(2024年7月記)



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