●本邦初公開(11)! 1888年『朝鮮地誌略』「于山島:鬱陵島ニ隣ス」すなわち=竹嶼≠独島
●1888年陸軍参謀本部刊行『朝鮮地誌略』所収(江原道之部)
●『韓国地理風俗誌叢書』(102-104巻)で復刻
●注目点
『朝鮮地誌略』は、1888年(明治21)陸軍参謀本部が刊行した文献である。
解題をみると、編さんの際に『東国文献備考』や『新増東国輿地勝覧』な
ど各種文献を参考にしたようである。
「江原道之部」蔚珍県の項目に鬱陵島の記載がある。
于山島の記載はただ「鬱陵島ニ隣ス」とあるだけである。つまり、于
山島は鬱陵島に隣接しているとあることから、90kmも離れた独島であ
るはずがなく、東側2kmに位置する竹嶼(韓国名竹島=チクトウ)で
あることが確実である。
またその一方で、鬱陵島の項目に終わりには、「于山、鬱陵、本ト一
島タリト云フ」ともあることから、鬱陵島と于山島が同じ島、すなわ
ち、鬱陵島であったという説も載せている。
つまり、文献の上からも、韓国側の主張、于山島は独島であるという
主張は、読み取れないといえる。
●1888年陸軍参謀本部刊行『朝鮮地誌略』所収(江原道之部)
●『韓国地理風俗誌叢書』(102-104巻)で復刻
●注目点
『朝鮮地誌略』は、1888年(明治21)陸軍参謀本部が刊行した文献である。
解題をみると、編さんの際に『東国文献備考』や『新増東国輿地勝覧』な
ど各種文献を参考にしたようである。
「江原道之部」蔚珍県の項目に鬱陵島の記載がある。
于山島の記載はただ「鬱陵島ニ隣ス」とあるだけである。つまり、于
山島は鬱陵島に隣接しているとあることから、90kmも離れた独島であ
るはずがなく、東側2kmに位置する竹嶼(韓国名竹島=チクトウ)で
あることが確実である。
またその一方で、鬱陵島の項目に終わりには、「于山、鬱陵、本ト一
島タリト云フ」ともあることから、鬱陵島と于山島が同じ島、すなわ
ち、鬱陵島であったという説も載せている。
つまり、文献の上からも、韓国側の主張、于山島は独島であるという
主張は、読み取れないといえる。