感謝する事の意味

人は人と頼り合って、助け合って生きています。

来てました。サファイア!!感謝。。。感謝

2006年11月30日 | Weblog
松ヶ枝埠頭付近を車で通り掛かると、来てましたサファイア・プリンセス。掲載の画像、逆光に成ってしまいましたが、松ヶ枝から女神大橋を望んだアングルです素人でも素材が良いと絵になります。

船の後部側に廻ると、船尾の高さが凄い、何階建てのビル位有るのでしょう?近くの保安庁のビルを眼下に見下ろしています。

下の画像に有るように、埠頭の拡張工事が急ピッチに進んでいます、稼ぎ頭が安心して停泊できる様に成ります。

船には外人さんが大勢、出入りしていますその多くは、手にコンビにの袋を下げてます、コンビの売り上げもこの日ばかりはバカに成らないかも、下手な政治家よりほんと頼りに成ります。

世界に日本で最初に扉を開いた街”長崎”ちょっと景気は悪いですがこじんまりして落ち着いた雰囲気の有る街だと思います、坂が多いので足腰の鍛錬にも成ります、腰の悪い方は治して来てください。。お待ちしてます・・観光客の方に感謝””!

サファイアは夕方には次の寄港地上海に向けて出港しました、今年はこの船で長崎港に立ち寄る大型客船では最後に成るようです、又機会が有ればご紹介します。

美術の秋深し長崎県立美術館その②名取洋之助って誰?

2006年11月29日 | Weblog
ブログネタにと思い今年2回目の県美行き、そこには私が全く知らないのに、どこかで見た記憶の有る作品が展示されていました。

『名取洋之助』皆さんはご存知でしょうか?知性も教養も品格も無いこの私が知らないのは当たり前でしたが、日本が世界に誇る報道写真家、知る人ぞしる存在です。

名取氏は写真家だけでは無くデザインにも恩恵が深く、最初に私が何処かで見た記憶と申し上げたのは、現在見掛けるデザインのその多くは、彼の影響を受けている様です。

彼が作成した、写真を多く使用したグラフィカルなデザインは数十年の時を経ても非常に新鮮で鮮烈です、登場する人物の表情・動きそして生き生きしたフォントの使い方、脱帽です。

当時の技術でここまでどうやって出来たのかと、感心せずには要られません、多分永延と続く工程を経て印刷に及んだものと推察されます。現在ではイラストと写真やロゴを組み合わせる作業は、その良否は別として、パソコンを使えば素人でもそこそこ出来ますが、昭和10年代に彼の率いるチームが非常に高いクオリティーに挑んで行きました、世界は彼らを褒め称えました。

彼らが発刊した『NIPPON』は英文で作られ、日本の文化をグラフィックで世界に伝える、当時、技術的に最高のものでした。

Wikipediaにこう記述して有ります『日本で初めての海外にも誇れるグラフ雑誌といえよう。』

下記に名取洋之助氏の足跡を掲載しました。今、尚彼の技術が入門書として読み続けられています、グラフィックの先駆者として彼に感謝します。。追、写真を撮れませんでしたが、展示して有ったカレンダーが目に焼きついて離れません。


1910年 9月3日、名取和作の三男として、東京高輪で生まれる。
1928年 慶應義塾普通部を卒業し、渡独。ミュンヘン美術工芸学校で学ぶ。
1934年 第2回展の「報道写真展」で意見の対立を生み、木村、原、伊奈、岡田が脱退し分裂する。
太田英茂、山名文夫、河野鷹思、影山稔雄らの協力を得て、第2次「日本工房」を再建。
英文のグラフ誌『NIPPON』を創刊。
1935年 土門拳入社。
1945年 南京で敗戦を迎える。
国際報道工芸社が解散し、撮影したフィルム、プリント類を焼却する。
1946年 エレナ・メクレンブルグと離婚。宮嶋玖と結婚。膵臓壊疽の手術。
上海から帰国。
1947年 『週刊サンニュース』(サンニュース・フォトス社)創刊。49年廃刊。
1950年 『岩波写真文庫』創刊。59年までに286冊刊行する。
1953年 第1回菊池寛賞を受賞。
1954年 日本写真協会功労賞受賞。第3次「日本工房」設立。
1957年 『麦積山石窟』(岩波書店)出版。
1962年 『ロマネスク』(慶友社)出版。
胃癌のため死去(11月23日、52歳)
1963年 『人間・動物・文様』(慶友社)出版。
『写真の読みかた』(岩波書店)出版。
1978年 「名取洋之助の仕事 1930年代」展が西武美術館で催される。
1981年 中西昭雄著『名取洋之助の時代』(朝日新聞社)が出版される。
1992年 名取洋之助写真集『アメリカ 1937年』(講談社)と写真展(銀座和光)が催される。
2006年11月長崎県立美術館で『名取洋之助と日本工房展』開催中。


釣りその②・・かなり内容の濃いサイト、必見・感謝!!

2006年11月28日 | Weblog
ここまで素晴らしく内容の濃い釣りサイトは無いですよ!、遊漁船が釣具屋をやってます、理想的ですよね。

釣り情報を目の前で確認できて尚且つ、釣行に合わせて色々なアドバイスを受け、たいていの道具はここで揃ってしまう、”海釣り”のカテゴリーの殆どを埋め尽してしまう程、取りこぼしが無いです、パーフェクト!

釣具屋のオヤジが好きで作った自作ホームページをたまに見掛けますが、ここ坂下釣具のwebページは違います。随分とお金と時間を掛けて作ったそうで、力の入れ具合が強く伝わって来ます、私は別にアフリエイトしている訳でも有りませんが、もっと釣り好きの方が集まれば、今後このサイトがどう変化するのか楽しみです。

サイト内を見ると、釣果が静止画と動画で掲載されています、尾長クロ超!ウマソ~、もっと頻繁に短めのピッチで動画が変われば楽しみが増えます、『1回釣り行かずに済んだ。』では釣具屋さん泣かせかな?(へへ~)。

Webも凄いですが、ハードはもっと凄い、画像に載せた”恵丸”デカイし速い、私も数回乗りましたが、言う事無し、若船長もマメに動くジッとしてませんよ、やるだけやったら後は潮負かせ、風任せ、恵丸のテリトリーは長崎県南西部~五島灘~五島西沖、これだけのコンテンツを生み出すのもこれらの海域が豊饒の海なればこその事でしょう。

恵丸よ我々貧乏釣師にも、僅かな幸せを分け与えてくれ、安月給で年に数回も釣りに行けないが、たまに行った時はお願いします”その海・この海・どの海?”に感謝!感謝。

*冬場は急激な天候の変化が考えられます、釣行時は天気予報の確認等、事前の準備を怠ること無く、安全で楽しい釣行を。海は逃げませんよ、一時撤収も釣師の腕の内かと思います。

グーグルアースをご覧の皆さん
”坂下釣具”は緯度 32°43'33.63"N経度 129°50'18.96"E です。

釣りその①太刀魚でどうすか?これこそ感謝!!

2006年11月27日 | Weblog
久しぶりに釣りに行きました、今回の獲物は太刀魚。綺麗ですし旨い、刺身に焼き物、煮物どれを取っても絶品です。

基本的には私は食える魚しか釣りません、キャッチアンドリリースて何、私のような野蛮人は食う為に釣ります、その替わり一度に沢山釣る事は有りません(ヘタ?へへ~)。

長崎市の南西に野母崎町と言うところが有ります、知る人ぞしるフィッシングスポット、春夏秋冬色々な魚たちが私のつり心をくすぐります。季節に成るとおいでおいでと私を誘います。

普通太刀魚は本当はイワシ等の生き餌で釣るが釣果は良いのですが、私はもっぱらルアー釣り(画像のルアーはミノーと言いまして水面下数十センチを泳ぎます)何せこの釣りは手っ取り早い、竿に糸さえし通して於けば物の1分で釣り開始です。

この日も結構な釣り客で賑わっていました、そこそこ釣れてました、緊張の第1投ちょこっとリールを巻くと『ガク~ん。』アタリです、ダイレクトに竿に来るこの引きオオ~、イッチョ前に竿を絞ります。上げって来たのは指三本程の小ぶりでしたが本命、釣りをされない方には解り難いでしょうが、狙った獲物が釣れると本当に嬉しいものです。

2時間程粘ってそこそこ釣りました、やはり11月も末に成ると朝晩冷えます風邪を引くと又高く付きます早々に退散。家に帰ると猫共だけが私を暖かく迎えてくれました。野母崎の豊饒なる海に感謝・感謝!!


陶器その2 酒井田柿右衛門・・凄い!感謝

2006年11月26日 | Weblog
先週有田に行った第2弾です、ブログネタにと思いあの柿右衛門窯に立ち寄りました、柿右衛門窯は西松浦郡有田町西部丁352に位置します、現在の十四代目は1982年に襲名しております。

入り口を入ると、大型の観光バスが止まって居りました、県外ナンバーも数台、流石柿右衛門、高くて買えませんが(私だけ?)目の保養に幾度と無く訪れる方が後を絶たない様です。この私も陶器の何たるか良く解らないのですが、年に数回訪れさせて頂いております。

正面左に藁葺き屋根の庵があります、五月の陶器市にはここも開放してあり目を楽しませてくれます、画像は展示場裏の紅葉を撮影しました、余り天気は良くなかったのですが、曇り空に逆に紅葉の赤が映えます、美しい。

邸内には庵の他に展示場と販売所が有ります、展示場は柿右衛門窯の歴史が誇らしげに展示して有り、ただ見入るばかりです。販売所は柿右衛門窯陶器がずらり並べられており、余りの素晴らしさに溜息が出ます、値段も凄い、小さめの一輪挿しで優に百万はします。

花瓶に目が行きました『あの~写真撮って良いですか?』店の方に聞きました、実は柿右衛門窯に行く前に1軒寄ったのですが、写真撮影は断られていました。先ず駄目だろうと思いながら聞いてみると『どうぞ!』気持ちの良い返事、やはり世界に通用する所は違う、益々ファンに成りました。画像の花瓶参百数十万円成り、柿右衛門窯に感謝です・・未来永劫その美しい姿を受け継いでくれ~。