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郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

地域の行事・祭り ① 安賀 チャンチャコ踊り

2020-03-18 09:17:31 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧数】501件(2010.3.5~2019.10.31)



チャンチャコ踊り   宍粟市波賀町安賀 波賀八幡神社






 チャンチャコ踊りの歴史は、古く室町時代までさかのぼるといわれている。奥播磨一帯にかけての山深い村まで訪れた山伏・聖(ひじり)などと呼ばれた人々がこの踊りを持ち込み、災害の退散や雨乞いなどの信仰を説いたといわれ、今でもこの地一帯に踊りが残っている。


(写真・文 「追憶 ふるさと宍粟写真集」より)

戦時中の一こま 村葬 河東村

2020-03-17 08:58:17 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
 【閲覧数】928 件(2011.5.24~2010.10.31)                                
 


昭和19年(1944) 戦没者の村葬 (河東小学校)

写真・説明:「写真で見る郷土史やまさき」より


 戦死者には、町村で公葬が行われた。当初は個人個人であったが、戦死者が急増すると合同葬に切り変わっていく。

戦時中の一こま 村葬 城下村

2020-03-17 08:51:18 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧数】906件(2011.5.14.~2019.10.31)



昭和19年(1944)頃の村葬  宍粟市山崎町 城下小学校



写真・説明:「写真で見る郷土史やまさき」より


  兵士の死は電報で家族と地元の役場に知らされ、後に正式な死亡告知書が送られてくるが、海外での戦死者は敗戦後かなり後に通知されることもあり、また、遺骨が帰らない場合も多かった。

戦時中の一こま 村葬

2020-03-16 09:45:15 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧数】998件(2011.2.9~2019.10.31)                                  



 昭和12年(1937) 宍粟市山崎町戸原村の村葬


昭和12年10月4日支那大陸の愴州攻撃で亡くなられた故陸軍歩兵伍長栗山
照夫(23)さんの村葬  場所:戸原(尋常高等)小学校


写真・説明:「写真で見る郷土史やまさき」より


 日清・日露そして支那事変(日中戦争)ではまだ、死亡者が少なく、地元の小学校で村あげて葬儀が盛大に行われた。