ミュージック&カルチャースタジオ ハーモニーフォレスト ♪Natsu♪ のブログ 

沖縄出身宮城県大崎市の音楽指導&料理講師。教室・パワーコーラス・ベーチェット病など自分の難病について発信してます

女川に行ってきました

2011年06月29日 | 震災復興支援
彼女とはもう5~6年の付き合いになるでしょうか?
ブライダルの現場で知り合って友人となり
その間に素敵な旦那さまをゲットして、結婚式ではタケダは歌手役として出演(笑)
その劇に出演した彼女や旦那さまの友人たちとも仲良くなり、別の舞台にも出演(汗)
今では教室やゴスペルサークルのライブ写真や映像をご夫婦に撮ってもらったりと
いつもお世話になっています。だって、良い写真取るんですもの♪
彼女のポジティブで「回遊魚的な所」は何だか自分にも似ていて
久しぶりに会うと、面白い話であっという間に時間が経ってしまいます。

そんなお付き合いをさせて頂いている中、今回の震災で彼女の実家がある女川が
津波で壊滅的な被害に・・・
ご両親はまだ行方不明のままですが、彼女は「自分にできる事」をと
積極的に活動していますが、本当に尊敬してます。

鈴木麻弓さんのブログ
http://monchiblog.exblog.jp/

私と彼女の活動に賛同して下さった沢山の方から募金や物資提供のご協力を頂きました。
支援して下さった皆さんはこのブログをご覧になっているとの事。
今回、彼女の母校である女川第一中学校の先生とも震災をきっかけにご縁が出来て
あいさつをしたかったので、彼女の取材に同行しました。
タケダが感じた「女川」を報告させて頂きます。

まずは麻弓さんの実家へ

ちょうど、実家近辺の建物を取り壊している所でした。
粉じんやヘドロが乾き、砂埃が舞っていて空気がとても悪い。
彼女の実家は手前に「がんばっぺ女川」の旗が張ってある「佐々木写真館」です。
お父様は、地元だけでなく全国でも有名なカメラマンだったそうです。
そしてお母様は元バスガイド。
結婚式含む2回ほどお会いしたのですが、明るく楽しいご両親でした。
生存は絶望的という事ですが、せめて発見する事が出来ればと私も毎日願っています。

奥にある4階建の建物は商工会議所で、午前中にこのビルの屋上で津波の様子、
麻弓さんの実家が流された様子を見ていたという職員の方のお話を偶然聞く事が出来ました。
屋上にあるタンクにしがみついて、命が助かったという事でしたが
マリンピア女川が防波堤の役目をしたのか、建物は壊れませんでした。
しかし、4階のビルが浸かってしまうくらいの津波が押し寄せたそうです。

話をして下さった職員の方がしがみついてタンクの話は、この映像で確認出来ました。
http://www.youtube.com/watch?v=DccVdzmP43U
2分25秒あたりにその方は確かに映っていました。
冗談交じりに笑いながら話してくれた陽気なおじさまでしたが
こんなに大変な思いをして命が助かったなんて・・・

中学校に行く前に女川の街を案内してくれました。

麻弓さんの実家向かいにある倉庫の壁は津波の威力で壁が今にも砕けそうでした。


考えられないくらいのゴミやがれきの山がありました。
大きなハエも尋常じゃないくらいいて、また異臭もすごくマスクが必要でした。
今後の衛生面が本当に心配です。


女川港から1キロくらい内陸に入った所にあるアパート。
壁の傷を見ると分かるように4階まで津波が襲った事が分かります。


丘の上にある女川病院。かなり高台にあるのに1階が浸水したそうで
フェンスやポールが曲がっていました。


宮城に住んでいると、色々な方から津波の被害を聞く事が出来ます。
でも実際に行ってみると、想像を絶する状況でした。
そんな中、地元に残っている人は復興に向けて命いっぱい頑張っていました。

震災後、この町の人々に情報を届けるため、
明かりもないこの町を、夜も開けていないうちから1人走る新聞配達の方、
車で逃げる途中に家族を無くし1人だけ助かった高校生の話、
中学校の校長先生の教育現場の現状や生徒の様子など。

現在は、学校も始まり学用品や楽器類の提供は一旦落ち着きました。
しかし、時間が経つにつれて「今、必要な支援」が変化してきてします。
今後も周りの状況や情報に注意しつつ
これからも「必要な所に必要な支援」を続けていくつもりです。
来年の新学期を迎えるまでは「音楽」で支援活動をしていきます。

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