ヴィルヘルム公は、フリードリッヒ2世の息子で、後のヴィルヘルム9世です。
また、ヴィルヘルム公は、イギリス国王ジョージ2世の孫でもあり、ジョージ3世とは従兄弟であり、デンマーク王の甥でもあり、スウェーデン王とは義兄弟でもありました。
ヴィルヘルム公は、ヘッセンで若者を傭兵として育て貸し出す傭兵ビジネスをしていました。
アメリカ独立戦争(1775~1783年)では、イギリス政府に毎年1万5千人の傭兵を貸し出していました。
さらに、王族、政界の人たちに広く貸し付けを行っていました。
こうして、ヴィルヘルム公は、ヨーロッパ随一のお金持ちとなりました。
マイアーは、そんなヴィルヘルム公に気に入られて宮廷御用商に任ぜられ、傭兵ビジネスのもうけをがっぽりもらえるようになります。
マイアーは、父親のフリードリッヒ2世とも仲良くなって、その威光を利用し政界に足場を築きました。
そこで彼は王族の秘密を把握し商売に利用しました。
マイアーは、商売にかけては抜け目がなく貪欲でした。
ヴィルヘルム公は1786年、父フリードリッヒ2世の死に伴い、ヴィルヘルム9世となりました。
ヘッセン=カッセル伯方を継承し、当時ヨーロッパ最大級と言われた資産を相続しました。
マイアーのフランクフルト・ロスチャイルド商会は、1789年頃、ヘッセン=カッセル伯方家の正式な金融機関に指名され、借款の仕事に携わりました。
1801年頃からは、ヴィルヘルム個人のお金の管理も任されました。
マイアーは、傭兵代金をイギリスで直接投資に回せるようにし、ロンドンにいる3男ネイサンに運用させました。
さらに、マイアーは情報でお金を儲ける仕組みを作ることに成功します。
マイアーは、ヨーロッパ全土の郵便事業を独占していたテュルン・タキシス家と仲良くなってスパイとして活動してもらえるようになりました。
重要郵便文書を勝手に開けて中身の情報をマイアーやヴィルヘルム9世に知らせていました。
また、マイアーやヴィルヘルム9世にとって都合のいいように、速く郵送したり、遅く郵送してもらったり操作を行いました。
このようにして、マイアーのビジネスは、1790年代に急速に成長し、マーチャント・バンカー(国際的な銀行家)となっていきました。