隅田川花火大会

2011年08月27日 20時25分23秒 | 祭と手拭い
東京・下町の夏の風物詩である隅田川花火大会が一ヶ月遅れの27日夜、台東区と墨田区に跨る会場で開かれ、約20000発の花火が夏の夜空を彩った。
今年もとんかつ「はせがわ」の前に大勢の仲間が集まりました。


河川敷で川幅も狭く、ビルが建ち並ぶため、最高5号までしかあがりません、 第1会場と第2会場あわせて打上数が2万発と都内では最大規模の大会です。 「はせがわ」は第一会場には近いのですがビルに邪魔され間近で迫力のある音と火薬の匂いを嗅ぎながら1.5キロ離れた第二会場の花火を見ながら楽しみました。

「かぎやぁ~」「たまやぁ~」「両国川開き」(現在の隅田川の花火)での 鍵屋と玉屋の競演に、 江戸っ子達がかけ声で屋号を叫んだのが始まり ・・・たけやぁ~


さきちゃん・たまちゃん酒巻家の姉妹も拍手で喜んでいます・・・・!



東北大震災・福島原発事故の復旧復興を心から願う事も含め行われて良かったと思う。

隅田川花火大会は歴史的記録から両国の花火最古となっている。記録によれば江戸時代、享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えた。幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行った。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが由来とされている。
歴史ある隅田川の花火は全国に知れ渡っているが、「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称です。その前の名称は「両国の川開き」で昭和36年まで使用され翌年(昭和37年)交通事情の悪化に伴い開催されなくなった。昭和53年「隅田川花火大会」と名して、ビルで囲まれた隅田川で復活した。また、打上場所も上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となって多くの方々に観ていただける配慮が施されている


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