高円寺 阿波踊り

2011年08月29日 08時38分25秒 | 祭と手拭い
「がんばろう日本!!
東日本大震災復興支援
第55回東京高円寺阿波おどり」

高円寺阿波踊りは、
高円寺商店街の振興と氷川神社の祭礼の奉納の為に始まった。企画は現在の高円寺南商店街振興組合に設立された青年部によって行われ、初は神輿などが企画されていたが青年会の若いメンバーの平凡な祭りを拒絶。他のアイデアが検討された・・・・
  阿波踊りで見る・・・・神輿も有りかな?
でも笛と拡声器・残念!

高円寺に着いたのがお昼頃、場所取りに多くの人がいたが・・・?30分前に世話人が茣蓙を用意してくれて其処に座るのがルール私もタイミングよく据わることが出来たラッキー

いよいよカウントダウン、スタート地点から笛・太鼓・鉦が聞こえてきました。観客も拍手で迎えます。

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友人の西垣君兄妹も「粋連」先頭で頑張っています。


  

高校同級生「びっくり連」連長・増田君も大太鼓で盛上げています・・・貫禄あるね!



商店街の振興という現代的な目的を持って始まった高円寺阿波踊りだが、今では本場徳島の阿波踊りにも負けない勢いを持っている。その裏には、長年にわたる努力があったのだ。
いま一つ盛り上がらない高円寺ばか踊りに一時期は祭りの中止も検討されたという。しかし開催から4年後の36年に転機がやってきた。
「祭りを発展させるなら徳島の人に踊りを教えてもらわないと」。青年会のメンバーは東京にある徳島関連の事務所を尋ねて回り、「徳島新聞」の東京支社で記者をする谷田匡さんの協力を得る事に成功。江東区木場にある徳島県出身者による「木場連」に指導をしてもらう事となる。
若者が木場に通い、基礎からの厳しい指導を受け、それから4年後、見られる高円寺の阿波踊りになった

さらなる技術の向上を目指し
真の阿波踊りを求めて単身徳島に向かった。徳島の様子を8ミリで撮影を行い、帰京してすぐに映写会を開いた。本場の阿波踊りを見て、少なからずショックを受けた有志が昭和40年に12人が「阿波踊り留学」と称して徳島に旅立ったのだ。