民主主義を守る会に変更します。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

長崎は今日も雨だった!!。

2024-08-08 01:31:46 | 日記
 この歌が1945年8月9日だったら嬉しい事です。
長崎の鐘の歌詞に(こよなく晴れた青空を~♪)と在るが、もし雨だったらと悲惨な気持ちが心を巡ります。恐らく原爆投下は無かったでしょう
太平洋戦争で320万人以上戦没者が出た事はご存知と想うが、真実は卑しい軍人、政治家、資本家、生き神様に殺されたが正確だと俺は思います
然し、戦争は措いて起き、運命は人間個人に左右される事を改めて知った
戦争が始まる、1941年12月8日から敗戦を迎える45年8月15日迄、日本の気象状況は軍事秘密でした
其れで当日の天気を調べたら、長崎は快晴と在るが雲の比率が約80%で気象学的には一応晴れです、B29の使命は爆発結果を確認する事で雲の無い地域を探すため、投下目標地点より3キロ離れた浦上に移ったのです。之も運命の一部だが、より大きな運命が在ったのです
原爆投下の第一目標は小倉だったが、運よく逃れ日本軍も捕虜を約5千人現地に送り込んだり色々な作戦を練ったが無駄作業です。幸運とは長崎の人に無礼だが、2014年7月26日毎日新聞の(戦術利用)まで長崎を思い粗秘密事項でした
当日小倉は曇りで投下地点を見付け辛かったが 、真の原因は前日八幡製鉄所が空爆で燃え煙が朦々と立上り、其れを視て現地の人はヒントを得たのでしょう。更にコールタールをぶち込み、街中雲海如く煙で包まれました
依ってB29は諦め第二目標の長崎に向かったのです。
結果は長崎に原爆投下ですが、空襲警報も疎らで市民は粗無防備状態で被害が大きく成ったのです
小倉の投下予定は広島と同時刻だが、小倉、長崎と彷徨ったのでテニアン島には行きつけず、沖縄に沖一旦着陸したが燃料は僅かに20リットルでした
次はSFの様な話です、原爆はインディアナポリスから巡洋艦でテニアン島に無事運ばれました。帰国の際に日本の潜水艦伊58の魚雷攻撃で沈没したが、搬送中なら大事件で異なる英雄の誕生です。(笑)
俺の想像だが、原爆が無ければ本土決戦に成り、戦死者はより増えたと思います。都市伝説に近いが東京にスカーレット成る原爆投下の計画在ったらしいが、多分与太話でしょう。実際に東京空襲は在ったが、霞が関、皇居は避けてます
本心で戦争に勝つなら、指導者を殺せば一番簡単です。然し戦争の実態は異なり軍事秘密が多く、俺の生存中には無理です。
最後の落で、鶴は千年亀は万年と生き真実を知りたいが、其れ以前に地球滅亡が待ってます。