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アジア・アフリカの旅日記と、ネパールの孤児院(おしん)日記。現在は日本での日常生活を書いてます。

VOYCEとマイケル

2004-07-05 00:07:25 | India
 今僕は長・袖長ズボンのいでたちだ。コダイカナルという標高2000Mを超す高地にいる。風景は最高だ。坂が多い街で、家も道も石造りが多い。魔女の宅急便を思い出した。


 朝は近くの教会に行った。礼拝はタメル語だったので言葉は分からなかったが、この土地の人々の信仰の姿を見ることが出来た。南はクリスチャンが多いと聞いていたが、確かに教会(カトリックが多い)があちこちにある。この教会も200人は入るであろう立派な教会で、たくさんの人が来ていた。礼拝が始まる前には鐘が鳴って、その音がとても素敵だった。

 
  その後チェンナイに行く電車の中で出会ったおじさんマイケルが、僕の泊まっているホテルまで迎えに来てくれた。彼はVOYCEというNGOの主事をしている。今日は村にある彼のNGOの事務所や活動場所を案内してくれるという。村まで歩いて1時間。日本の山歩きをしているような錯覚に陥った。本当に美しいところだ。途中彼の知り合いに何人も会う。村人たちと声を掛けあう姿が素敵だ。

 
 彼のNGOの活動は結構幅広い。一つは環境。人がぽいぽいごみを投げ捨てるこのインドで、彼はビニール袋を使うのをやめようという運動を行っている。道々ビニール袋を拾って歩いたりした。NGOの趣旨を理解して賛同したボランティアの人々がゴミ拾いをするのだという。
 

 もう一つは植林。政府が金儲けのために植えた木種は、この土地を壊していくのだという。彼は新しい木を植えている。夏には植林のワークキャンプも行っているようだ。そして彼はこのエリアの広大な森林を守ろうとしている。コダイカナルはこのエリアの有名な観光地で、もちろん政府もそこに目をつけている。森の中に新しい建物を建てようとしているのだ。それに反対する活動も行っている。彼は森林の持つ保水機能に心を配っている。山の下にあるチェンナイなどの大都市の水源はここなのであり、周りには11のダムがある。彼も森林が持っている保水システムを知るまでは、木を沢山切り、それを売ってお金を稼いでいた。環境について知ってもらうキャンペーン活動も行っている。

(続く)

チェンナイwalking

2004-07-03 01:26:09 | India
今日はおとといのチェンナイの旅のことを書こうと思います。(写真はあるスラムエリア)

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今日はスペンサープラザという巨大ショッピングモールに行く。全館冷房。お店がきれい。エスカレーターをあがってSUBWAYを見つけたときには感動した。HMVのようなきれいなミュージックショップの奥のカフェで朝食を食べる。本当に久しぶりに落ち着ける店だった。音楽もあのインド音楽ではなく、きれいな音の出るスピーカーから洋楽が流れている。ウインドウショッピングも楽しく、日本と同じような環境の中で久しぶりに充電できた。リラックス。


その後、ローカルバスに乗ってバザールへ。写真を全然撮っていなかったので、今日は写真を沢山撮った。撮る時はもちろん事前に許可を取るが、「撮れ撮れ俺を撮れ!」という人もいれば、「勘弁してください」という人もいる。野菜、果物、動物、花。命あるものはカラフルである。それらがむき出しで所狭しと並べられていて、迫力がある。売っているおじちゃんおばちゃんの声が、その迫力を増し加える。市場は活気があっていい。写真をきっかけに沢山コミュニケーションもとれて満足だった。


歩いてマリーナビーチまで移動。途中たくさんのスラムエリアを通る。かわぶき屋根の家の数々。ビニールシートの家。人々が炊事や洗濯をしている姿が見える。その横で遊んでいる沢山の子供たち。線路沿いのスラムで、ある家の人に手招きされて立ち止まったら、あっという間に子どもたちに囲まれた。写真を撮ると大騒ぎ。やっぱり子どもはかわいい。ねだってくるのはお金とボールペンである。一体誰があげ始めたのだろう?お金&ボールペン攻勢はこの後もしばらく続いた。


マリーナビーチに着くと、既に日は暮れかかっていた。涼みに来る人をターゲットに、夕方から沢山の屋台が出ると聞いていた。話通り、道路の入り口から海岸にいたるまで、びっちりと露店が並んでいる。おもちゃ、お菓子、洋服、お土産。まるで祭りの出店が毎日続いているようだ。もちろん食べ物屋もたくさんあって、今日はここで夕食を食べた。BLACKFISH(赤身)、GOLDFISH(白身)に惹かれたが、怪しすぎて手が出せなかった。


ビーチでは迫りくる波にかかんに突っ込んでいくインド人もいたが(浮き輪等のアイテムはない)、大半の人は浜辺に腰掛けて語り合っていた。僕も月と海を眺めながらゆっくりチャイを飲んだ。帰ろうとしたらちょうど雨が降ってきて、バスに駆け込む。ぎりぎりセーフ。

チェンナイで独り言

2004-07-01 21:01:18 | India
今日はこれからまた電車に乗って、さらに南下します。Madraiという街です。そこからさらにバスで90km進んだところに知り合いがいます。といっても、先日電車の中で知り合ったばかりのインド人のおじさんです。彼はあるNGOの代表をしており、地域の環境問題や開発に取り組んでいます。電車の中でそのNGOのパンフレットをもらいました。誘われたので、会いに行こうと思います。小さな村ではないかと勝手に推測してるんだけど、とても楽しみです。さっき行きますと電話したら大喜びでした。


実はこの日記は、半分くらいは持ってきている小さなラップトップで書いています。寝る前や移動中など、気が向いた時にちょくちょく書いているんだけど、ネットカフェのPCにUSBがないとデータが取り出せないんだよね。チェンナイ(インド4大都市の一つ/旧名マドラス)でこの有り様だと、先が思いやられる。今日もあるネットカフェにいったけど、だめだった。残念。頑張って書いたのに。打ち直す気力もなく、今日はこんな文章です。写真もだいぶ撮っているけれど、これもアップ出来ない。Madraiはどうだろうか?


インド、とても暑いです。暑すぎて、日本のようにはてきぱき動けません。いかに日陰を選んで歩くかが勝負です。7月の平均気温は35度だそうです。でもバスは満員で、出入り口から人がはみ出したまま動いています。冷房はすごいなあと心から思います。


メールやコメントをくださる皆様、なかなか返せなくてごめんなさい。ネットを使える時間が限られているので(って言い訳ですが)。とても嬉しいです。日本は梅雨ですか?皆様もお元気で!!

EXPRESS

2004-07-01 01:35:11 | India

今日は一日中列車の中。6人用のコンパートメントのうち、5人はバングラデシュ人である。僕という人間は相当バングラデシュに縁があるらしい。外国人用の列車予約オフィスにもバングラデシュの人が沢山いて、よく話し掛けられた。とにかく話すのが大好きな人達である。学生の若い女の子にも話し掛けられた。バングラデシュの若い女の子が自分から話し掛けてくるなんて珍しいことだった。国の奨学金でこれからバンガロールの大学に入るとのこと。バングラデシュのシレットに住んでいるのだが、美しいから是非いってみてと言っていた。今列車の中で僕の隣に座っている男の子も、これからチェンナイの大学に入るそうである。バングラデシュ人にとって、カルカッタはインドへのゲートウェイなのである。


電車の中はものすごい物売りの嵐だ。チャイに、お菓子に、コールドドリンク。防犯用のチェーンを売りに来たり、夕食の注文を取りに来たりと(カレー:まずかった)、せわしない車内である。ひとがうとうとしているのに、ものすごい音を出すおもちゃを売りつけようとしてくる人もいた。あっぱれ。


列車が駅に停車する。ここでも子どもが沢山働いている。売店でも、売り子でも、路上のお店でも、掃除屋さんでも。そこら中で働く子どもを見ていると、簡単に自動労働がどうこうと言える次元を確実に超えていることに気がつく。子供たちは年齢は低いが、労働者である。車内でも、雑きんを片手に子どもが足元を掃除していき、チップをねだる。でも、彼らはすぐに素敵な笑顔を見せてくれる。本当にいい顔している。旅でも沢山の子どもに出会う。


1時間半遅れて22時30分、列車はチェンナイについた。ザックが重過ぎて、ホテルを探す気力が失せる。駅の近くの適当なところで手を打った。負けた。

Hotel Mariaの住人達

2004-06-28 15:44:24 | India
 僕が泊まっているHOTEL MARIAのドミトリーには、いろんな人がいる。もちろん毎日のように人が入れ替わるけれど、今はこんなメンバー。まず日本人。僕を含めて5人いる。租の内2人は20代前半の若者。でもあんまり宿から出ずに本を読んだりしてだらだらしている(こういう旅行者は結構多い)。一人はおじさん。全然しゃべらない。もう一人は見ためは外国人なのだが、日本人の人。世界中を旅している人で驚いたが、自分のことばっかりしゃべるので、みんなちょっとうんざりしている。もう一人は韓国人の女の子。中国-チベット-ネパールと回ってインドに入ってきた強者。多分20代前半。男ばっかりのドミで堂々と一人で寝る。昼間はきちんと外に行っている。後は今日欧米人の人が一人入ってきた。この人とはまだ話しをしていない。他のドミの部屋もあるが、なんとなく住み分けがある。バングラデシュから来ている若者グループの部屋(この人達もあんまり外に行かない。何してるんだろう?)欧米人の女の子ばっかりの部屋。この中には一緒にマザーハウスでボランティアをしている人もいる。


 今日は日曜日なので教会に行った。英語で礼拝をしている教会で、大きな立派な建物だった。そう言えば英語の礼拝は始めてであった。教会の近くでは、別のキリスト教団体がストリートで生活している人達への給食を行っていた。毎週日曜日にやっているらしい。少なくとも200人くらいの人が集まっていたと思う。


 その後、一緒にボランティアをしている人と待ちあわせて食事をした。この人は高齢者のリハビリ施設で働いていた人である。別のエリアにいる人だったので、少しサダルストリートや、ニューマーケットを案内した。ニューマーケットのゲームセンターには「ダンスダンスレボリューション」が置いてあった。大きな映画館もあった。ちょっと中を覗くと、どろどろな感じの人間ドラマが上映されていた。あんまり見る気もしなかったが、お客さんはそこそこに入っていた。


 世界旅行をしているアメリカ人とお茶をしに行く。もう1年も旅行していて、日本にも来ている。長期旅行者が本当に多い。今はイランのビザが取れないから陸路でトルコに行けないとか、面白い話がどんどん飛び出す。


ガンガー

2004-06-27 02:20:12 | India
 今日もマザーハウスに行く。隣のカーリー寺院(ヒンズー教のお寺)でイベントがあったのか、駅を降りてからすぐに、ものすごい人だかりで歩くのが大変だった。ここは表参道なのである。施設の2階から見ているとカラフルでとても楽しかった(特に女の人のサリーなどの服装は美しい!)。

 
 今日はお風呂介助をした。50人近くいるので大変である。男のボランティア8人ぐらいと、スタッフ2人で患者さんを運ぶ人、洗う人、洗った体を拭く人、ベッドに運ぶ人に分かれて、作業が続いていく。 


 終わった後は、昨日と同じく日本人2人とお茶をしに行く。ラッシー(ヨーグルトドリンク)がむちゃくちゃうまかった。体動かした後のドリンクはうまい。


 南に行く列車のチケットを予約しに、ハーラー駅に行く。帰りに
近くのフーグリー河(ガンガー)のほとりに行った。予想通り、川の近くはスラム街であった。ハーラー駅の近くは、路上生活者が多いことで有名だ。ものすごい数の人が沐浴し、洗濯をしている。ボーっと河を眺める人。雑談している人たち。日常が流れていく。


 もう日暮れだった。気温も下がっていて、心地よい。水があるところは何故か落ち着く。優しい気持ちになれる。この旅の中で、こんな落ち着いた気持ちになったのは始めてだった。やっぱり自然はいいなあ。カルカッタは本当に人が多くて、気持ちが休まるところがない。日本みたいな喫茶店もほとんどないのである。早く素敵な自然のあるところに行きたい。


 恐ろしい運転をするバスにびびりながら(軽く前のバスのバンパーにぶつけていた)、サダルに帰る。途中ニューマーケットの中に素敵なレストランを発見し、心の中でガッツポーズ。でもすぐに混んできてしまって、ゆっくりできなかった。何故かメニューにコーヒーがあっても、実際はない店が多い。あれば売れるのに。その後常連になってしまったネットカフェに行く。


 マザーハウスも含めて、海外ボランティアに興味がある人へ。以下のページを見てみて下さい。結構面白いよ。
「地球の歩き方」の旅 海外ボランティア
Laudate-特集マザーテレサの言葉
 

マザーハウス

2004-06-26 01:06:58 | India


 マザーハウス。僕のカルカッタ訪問の目的はここであった。来ていたボランティアの人にもそういう人が沢山いた。カルカッタにはいくつかマザーテレサの立ちあげた施設があるが、その中で僕は「死を待つ人の家」に行った。日本で言うところのホスピスであり、常時100人くらいの患者さんがいる。その他にはハンセン氏病の方の施設や、障害者のための施設、孤児院などがある。


 サダルストリートから地下鉄に乗って、カリガートまで行く。朝8時、祈りと共に始まる。手渡された英文を一緒に読む。シスター達は朝6時のミサからであるが、ボランティアは参加自由である。


 エプロンをつけて、まずは朝食の配膳である。寝たきり等の理由で自分で食べられない人には、マンツーマンで食べさせてあげる。朝はパン・チャイ・ソーセージなど。プレートを配膳したら、次は呼ばれるままにチャイや水を注いだりして、患者さんの注文に答えて歩く。もちろん英語がしゃべれる患者さんはほとんどいない。知っているベンガル語の単語もあって、多少助かった。難しいものは分からないので、スタッフの方を呼んで訳してもらう。


 その後食器洗いをして、洗濯。今日は月に一度の殺菌消毒の日とのことで、洗濯物の量が半端じゃなかった。普段着から始まって、シーツやブランケット、エプロン、ナプキンまで。とにかくものすごい量。洗濯機はないので、全て手でやる。洗い物をしぼるのが本当にしんどかった。僕はしぼるポジションにずっといたので、1時間以上しぼり続けていて、手の皮がむけた。患者さんをお風呂に入れているボランティアもいる。しぼった洗濯物をかごに入れて、屋根の上にあがって干す。屋根中洗濯物だらけである。それにしても暑い。水を沢山飲まないとやばい暑さだ。


  突然後ろから手伝ってと呼ばれた。亡くなった方が担架に乗せられていた。司祭が聖水を体にかけ、祈りをささげた。その後布に包まれた遺体を車まで運ぶ。毎日誰かが亡くなっているとのこと。週に一度、新たな患者さんを探しに向かうらしい。


  10時30分に休憩。パンとクッキー、チャイ、バナナがでる。実は朝も7時に集まると朝食が頂けるのである。日本人も結構沢山いる。小学生くらいの子供を連れてきていたお父さんもいた。

  11時。今度は昼ご飯。僕もおじいちゃんにマンツーマンで食べさせてあげた。もっとベンガル語知ってればなあと心から思った。点滴の途中で吐いてしまった患者さんがいたので、背中をさすっていた。その後洗濯物をたたむ。


 12時、終了。ふう。暑いので結構しんどかった。仲良くなったボランティアの人達とサダルまで一緒に帰って、ご飯を食べた。店に入ると、さっき出会った他のボランティアの人が店に沢山いた。みんなでおしゃべりしながら一緒にご飯を食べた。

  とこんな感じの一日である。感想はうまくまとめられないので、今度書く。昨日のことといい、今日のことといい、毎日いろんな体験をする。自分で望んだことではあるけれども。

カルカッタ①

2004-06-24 00:57:26 | India
  カルカッタの空港は建物まで自分で歩いていくのだ。イミグレーションで並んでいる時に、オーストラリア人の女の子&イスラエル人の男2人というわけの分からない組みあわせの人達に誘われて、タクシーを割り勘することにした。カルカッタの有名な安宿街、サダルストリートへ向かう。車の中から街並みを見ていたらバングラデシュがオーバーラップした。バングラデシュと同じくベンガル人が多いと聞いていたが、それほどベンガル語は聞こえない。けれど街並みはとても似ている。


 タクシーを降りたところのそばの「HOTEL MARIA」のドミトリーに落ち着く。60ルピー、節約コースである。荷物を置いてサンダルを履き、早速街に繰り出す。バンコクでインドのガイドブックを買うはずだったが、良いのがなくて買わなかったので、まず古本屋を探した。旅行者が溜まる大きなエリアには、必ず日本語の本が売っている古本屋があるのである。案の定、サダルストリートの近くには沢山の古本屋があった。ドラッグの売人が沢山声をかけてきて、心からうんざりする。

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  街で出会った青年が、別の古本屋に案内してくれることになった。話しているうちに、信用できそうな人であることが分かったので、ついていった。結婚式でブッタガヤから出てきたのだと言う。彼の友人が経営していると言うその店は、どう考えても洋服屋だったが、本はあとからきちんと届けられた。その店で買い物をしていたおっちゃんは、日本に出稼ぎに来たことがあるらしく、とても親切にしてくれた。本が届くまで店内のゴザの上に座り語る。「とにかく荷物やドラッグの売人に気をつけろ、話しかけてきても無視しろ、I hate drugs.」など、丁寧にいろいろと忠告をくれる。1日目なので、僕もだいぶ警戒していたが、いい人は本当にいい人なのである。チャイをおごってくれた。どこからか運ばれてきたチャイは、ショウガが沢山入っていた。


 「マザーハウスに行こうと思っている」と話すと、「あそこは既にボランティアもお金も十分だよ。南の方にいってみたら?」と言う。有名になって既に人手もお金もあるとこよりも、別に困っている人がいるところに行った方がいいと言うのだ。もっともである。その後も僕がしていた仕事の話などを熱心に聞いてくる。家族のことを沢山聞いてくるのはバングラデシュと一緒である。家族は大事なのである。彼はとてもまともな人であり、感動した。困ったことがあったらいつでも言ってくれといっていた。感謝して別れた。かの青年も僕たちの長い話の間待っていてくれ、途中まで送ってくれた。

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 途中でご飯を食べて、宿に戻る。歯磨きついでに屋上に出たら、人の輪が出来ていて招きいれられた。バングラデシュ人5人、アメリカ人1人、そして空港から一緒に来たイスラエル人2人もいた。久しぶりにベンガル人の歌と踊りを見た。サニーと言うバングラデシュの友人を思い出した。その後新たなベンガル語を覚えようと思い、会話集を持ってきてベンガル人と一緒に遊んだ。久しぶりのベンガル語会話(といっても僕はほとんど出来ないけれど)は楽しかった。


 上出来な一日目であった。