一向一揆(6)
中世記事
天正10年(1582年)9月の文書・「高桑孫左衛門、越後上杉景勝に与力せり。」
「天正9年景勝、加賀越中の一向一揆と共に小出城を攻める。」
上の2つの中世記事の重要さは、一つは天正8年、「加賀独立国」が崩壊(覚書144)した後も翌9年、高桑孫左衛門が、一揆の残党農民を率いて、上杉軍と共に、信長方の城に攻撃を仕掛けている事である。
もう一つの重要さは、此処でも上杉景勝が、一向一揆と協同戦線を張っている事である。本来は、上杉方と一揆方は、仇敵同志であった。
「小出城」城主は、「佐々成政」で、城は現・富山市水橋小出に所在した。
「佐々成政(さっさ なりまさ)」は、近江源氏の名門で、信長の馬廻りから戦功を重ね、頭角を表わした武将であった。
画像は、「佐々成政」
富山市郷土博物館 所蔵