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「高桑氏族」 覚書(10)

2012-03-21 10:08:38 | 歴史

写真は 「慈恩寺・観音堂」の内陣

「高桑氏族」 覚書(9)参照

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高桑氏の守り本尊 「十一面観音菩薩座像」

有形文化財(指定年月日:昭和56年11月20日

作:室町時代

高桑城主・高桑氏の菩提寺・龍雪寺の本尊あったが、高桑城の落城で廃寺となり、後に雲外和尚が、同所に「高桑山慈恩寺」を開基し、この観音像を同寺に遷座し、今日に至っている。

      


「高桑氏族」 覚書(9)

2012-03-20 08:58:21 | 歴史

写真は 「慈恩寺・観音堂」

「高桑氏族」 覚書(8)参照

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右手に慈恩寺本堂の一部が見える。

高桑氏の守り本尊・「十一面観音座像」(写真は後出)を安置。

この石段は、高桑城の石垣で作られている。(高桑城は、土塁で囲まれていたが、城の基礎を石垣で囲っていた、その石であろう。)

写真は 「慈恩寺・観音堂」(近写)

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慈恩寺の山号である「高桑山」(こうそうさん)の扁額が掲げられている。


「高桑氏族」 覚書(8)

2012-03-19 14:33:05 | 歴史

写真は 「慈恩寺」入口

門柱に「高桑山慈恩禅寺」

写真中央奥に本堂屋根が見える。

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室町時代、高桑城主・高桑氏の菩提寺は、「龍雪寺」であった。しかし大永7年(1527年)、高桑城は斉藤道三に攻撃されて落城し、高桑一族は、隣国越前国(福井県)に逃れ去った。それに伴って「龍雪寺」は廃寺となった。

永禄元年(1558年)になって、雲外和尚が「龍雪寺」の跡地に「慈恩寺」を開基した。それで「龍雪寺」にあった高桑氏の守り本尊等は、幸いにも「慈恩寺」に引継がれた。又高桑一族の墓石は、慈恩寺境内に散乱状態でも残っているというが、訪れた時、確かめられなかった。


「高桑氏族」 覚書(7)

2012-03-18 09:25:20 | 歴史

写真は 「高桑大太鼓倉庫」

「高桑氏族」 覚書(4)参照

「高桑城跡」の傍らに在る。

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写真は 「高桑大太鼓演技」

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昭和62年(1987年)10月18日の演奏会

「高桑氏族」 覚書(5)~(6)参照

この演技は、高桑城が織田軍によって急襲され、落城した時、憤死した高桑党類等16士慰霊の為に行われる。


「高桑氏族」 覚書(6)

2012-03-17 13:31:42 | 歴史

写真は 「無念の地」「無念塔」

「高桑氏族」 覚書(5)参照

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高桑城は、永禄年間(1567年)、織田軍に急襲されて敗れ、高桑党類等16士が此処で、無念の自刃を遂げた。

以前この地の大木が繁る中に、数基の五輪塔の石があったという。若しかしたら16士の供養塔の一部であったかもしれない。

昭和17年、地元の有志によって、16士追悼の為、「供養塔」が建立された。(上の写真・左側と右側中央奥)