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「高桑氏族」 覚書(47)

2012-12-31 10:18:52 | 歴史

土岐氏と高桑氏(2)

鎌倉時代(2)

源 頼光の子孫・源 光信が、美濃土岐郷に土着して、土岐氏を称したが、その孫の土岐光衡は、鎌倉幕府の成立に伴い、源 頼朝の御家人(家臣)になって、確固たる地位を占めた。しかし「承久の乱」では、光衡の子・光時は、反幕府側に走った。反幕府・後鳥羽上皇側は完敗したのであるから、これでは土岐氏の滅亡となる。しかし光時の兄・光行は、幕府の記録である「吾妻鏡」にも登場するように幕府側の武将として戦った。

こうして光行・光衡兄弟は、敵・味方に分かれたが、この二股策は、どちらが勝っても負けても一族の存続が担保される。但しこの場合、兄弟が談合・合意の上だったかどうかは分からない。

合意の上で大成功を収めた、誰でも知っている例が、真田一族である。関ヶ原合戦時、策士の真田昌幸と次男の幸村は西軍に、長男の信之は東軍にと示し合せた。こうして戦後信之は、信州松代藩・13万石の中大名として幕末迄も栄えた。

上記の土岐光衡の孫・光定は、鎌倉幕府第9代執権・北条貞時の娘を妻とした事によって、土岐氏は益々幕府での有力な地位を高めた。この光定の子が頼貞で、以後頼貞の系統が、土岐氏の嫡流となった。

画像は、「土岐頼貞」(上記)

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「高桑氏族」 覚書(46)

2012-12-30 10:29:51 | 歴史

土岐氏と高桑氏(2)

鎌倉時代(1)

鎌倉初期(1220年代前半)・「承久の乱」(覚書15~34)では、美濃が主戦場となり、後鳥羽上皇方に「土岐判官代」の名が見えるが、これは土岐光時とされる。

土岐光時率いる土岐武士団と高桑大将軍率いる高桑武士団とは、共に西軍・上皇方として、強力な東軍・幕府軍と戦って苦戦した。

「木曽川の戦い」(覚書18)では、木曽川9つの渡の中・高桑武士団等2000余騎は、主力として、最北の「大井戸渡」(岐阜県美濃加茂市)の守備に就き、土岐武士団等1000余騎は、「池瀬渡」(各務原市)の守りを固めていた。

上述の事から見て、土岐氏と高桑氏とは、少なくとも京方への参戦時に限って言えば、対等であったと思われる。しかし後には、前述の通り高桑氏は、土岐氏の配下に立たされるようになった。

画像は、「経基王(源 経基)」
清和天皇の皇孫・土岐氏・高桑氏を含む「美濃源氏」の始祖

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「高桑氏族」 覚書(45)

2012-12-27 09:58:35 | 歴史

土岐氏と高桑氏(1)

土岐氏(3)

源 頼光

土岐氏は、源 頼光の子孫・光信が、美濃・土岐郷に土着し、
「土岐氏」を名乗ったのに始まる。従って土岐氏の遠祖は頼光であり、始祖は源 光信である。

頼光は平安中期、11世紀の人物で、古来豪勇の誉れ高い武将であった。そこで「大江山酒呑童子(しゅてんどうじ)退治」の伝説が生まれ、歌舞伎・能・童話の世界で、「らいこう」と音読みされて、今に至る迄も人気が高い。

丹波国(京都府)・大江山の酒呑童子は鬼の姿を真似、人々の財宝を奪い、婦女子を連れ去ったりする悪党とされる。

画像は、「大江山酒呑童子」・歌川芳艶(江戸時代)

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大江山は、丹波国の奥、丹後国との国境・丹後山地に在る。
更にその奥の宮津湾・天橋立に近い。

百人一首
 大江山いく野の道の遠ければ
        まだふみも見ず天の橋立
                  小式部内侍 (和泉式部の娘)               


「高桑氏族」 覚書(44)

2012-12-26 10:24:11 | 歴史

土岐氏と高桑氏(1)

土岐氏(2)

土岐氏の支流

土岐氏は、数多くの支流・庶流・分家を生んでいる。
  妻木氏・明智氏・土井氏・金森氏・蜂屋氏・肥田氏・乾氏・
  青木氏・原氏・浅野氏・深沢氏・饗庭氏・萩原氏 等

  上記諸氏の中から多くの傑出した人物・著名な人物を輩
  出し、時代劇のヒーローも出ている。
  「本能寺の変」の明智光秀:明智氏は、美濃・明智荘に定
  住し、「明智氏」を称したが、 本姓は土岐氏。
  坂本竜馬も土岐氏の出。
  浅野氏も土岐氏の支流。忠臣蔵・浅野長矩・浅野内匠頭                                      
  遠山氏も土岐氏の支流。遠山景元(遠山金四郎):江戸北
  町奉行、映画・TVドラマでお馴染みの「遠山の金さん」。

写真は、明智光秀と一族の墓
 大津市・西教寺
     

Aketi


「高桑氏族」 覚書(43)

2012-12-24 10:56:31 | 歴史

土岐氏と高桑氏(1)
高桑氏は、鎌倉時代を除いて、かなり早くから美濃第一の雄族・土岐氏の配下に立たされ、その最盛期から「国盗り物語」で知られる斉藤道三による土岐氏滅亡まで、運命を共にした。従って土岐氏を語る事無しに高桑氏を語る事は出来ない。

土岐氏(1)
土岐氏を初めとする高桑氏を含む美濃源氏は、清和源氏であり、清和天皇の皇孫・「経基王」が、10世紀後半に臣籍降下して「源 経基」を称し、遠祖となった。

清和源氏・「源 頼光」の子孫・光信が美濃・土岐郡土岐郷に土着し、「土岐氏」を称したのが土岐氏の始まりである。

画像は、土岐氏の家紋
水色桔梗紋で、白黒でない彩色紋で、「土岐桔梗」として有名、土岐氏の先祖が桔梗花を兜に挟んで戦ったのを記念して家紋にした云う。

Mizkikyo