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「高桑氏族」 覚書(141)

2013-11-11 16:27:56 | 歴史

一向一揆(2)

「浄土真宗」は、一般に「真宗」・「一向宗」・「門徒宗」と、略称・俗称・通称で呼ばれている。本覚書でも、所により色々な呼び方をしているが、皆「浄土真宗」の意である。

言うまでもなく浄土真宗は、親鸞を祖師としている。親鸞は、承安3年(1173年)、中級貴族である日野氏の子として生まれた。親鸞の師は、法然(平安末期から鎌倉初期)であり、「浄土宗」の開祖である。

両宗とも、西方極楽世界を主宰する仏・「阿弥陀(阿弥陀如来)」を本尊としている(「如来」は、仏の尊号)。「阿弥陀」の名は、昔から庶民に親しまれ、“(帽子の)阿弥陀被り”・“阿弥陀籤”・“阿弥陀笠”・“阿弥陀の光も金次第”等、日常語化している。

浄土門(浄土宗・浄土真宗)の教義は、専(もは)ら阿弥陀仏を信じ、“南無阿弥陀仏”と、他力念仏を唱えれば、死後平等に極楽浄土に往生出来る(専修念仏の教え)という、至極単純明快さであった。

庶民の多くが、この教えを喜んで受け入れたのも頷(うなず)ける。こうして強力な織田軍団を初めとする、戦国武力軍団を相手に戦う強大な一向一揆集団が生まれた。

「南無阿弥陀仏」の「南無」は、梵語で「帰依、敬礼」の意味であるというから、この念仏は、「阿弥陀仏に帰依します、敬礼します、」という事になろう。

今は余り聞かれなくなったが、昔は“しまった、さあ大変”と言う時、外人なら今でもよく言う“Oh,no!”の時、「南無三(なむさん)」と言った。これは「南無三宝」、つまり仏・法・僧の三宝に帰依しますから、お助けあれ、という事であった。

 

写真は、「京都・三千院・阿弥陀三尊像」
木造、藤原時代(平安後期)の作
左右脇侍(きょうじ):観世音・勢至(せいし)の2菩薩

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「高桑氏族」 覚書(140)

2013-11-11 11:14:16 | 歴史

一向一揆(1)

高桑氏一族の北遷地・北陸地方、特に越前・加賀・越中3国は、日本史上著名な、北陸・近畿・東海に於ける、戦国時代の「一向一揆」の中でも、その中心地であった。

特に北陸の中でも、高桑氏の中心的北遷地であった加賀国は、その又中心地であり、他にその比を見ない並外れた一向一揆の力を発揮した国であった。

つまり一向宗徒が、実に90余年にも渡って、強大な守護大名を除(の)けて、加賀一国を領有・支配していた。世に「一向宗徒の国、加賀」・「百姓の持ちたる国」として名高い。

これは日本史上、空前絶後の一国領有形態であった。特にこの国の最高指導者の一人として、領袖(首領)とされた「高桑源左衛門尉武数」は、一向宗史上に、大きく名を残している。

北陸高桑氏の殆どが、一向宗徒(浄土真宗信徒・本願寺門徒)であったであろう。それで高桑氏は、一向一揆の上・中・下級の指導者として、又歴史上、数限りない程、記録されている、一揆の戦いの時、戦闘指揮者として活躍し、強大な戦国大名軍を向こうに回し、実に100年余も、親・子・孫3代に渡り、死闘を繰り広げた姿が、中世古文書上に浮び上って来る。

現在でも、石川・富山・福井3県での、浄土真宗信徒の比率は、他の府県に比較して、圧倒的に高い。浄土真宗信徒は、他の府県でも、比率が高いが、特に上の3県が高い。

或るアンケート調査(対象1000名)で、「天台宗・真言宗系」・「日蓮宗系」・「創価学会」・「神道系」・「禅宗系」・「キリスト教系」・「其の他」と「浄土宗・浄土真宗系」との、上の3県での信者比率を調べたら、最後者平均約40%に対して、前者全部を合わせても、僅かに約8%であった(残りは、未回答者であろう)。

画像は、浄土真宗の開祖・「親鸞上人」
上人は当時としては、大変に長命(90歳)であった。
これは、83歳の姿、西本願寺所蔵

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