一向一揆(2)
「浄土真宗」は、一般に「真宗」・「一向宗」・「門徒宗」と、略称・俗称・通称で呼ばれている。本覚書でも、所により色々な呼び方をしているが、皆「浄土真宗」の意である。
言うまでもなく浄土真宗は、親鸞を祖師としている。親鸞は、承安3年(1173年)、中級貴族である日野氏の子として生まれた。親鸞の師は、法然(平安末期から鎌倉初期)であり、「浄土宗」の開祖である。
両宗とも、西方極楽世界を主宰する仏・「阿弥陀(阿弥陀如来)」を本尊としている(「如来」は、仏の尊号)。「阿弥陀」の名は、昔から庶民に親しまれ、“(帽子の)阿弥陀被り”・“阿弥陀籤”・“阿弥陀笠”・“阿弥陀の光も金次第”等、日常語化している。
浄土門(浄土宗・浄土真宗)の教義は、専(もは)ら阿弥陀仏を信じ、“南無阿弥陀仏”と、他力念仏を唱えれば、死後平等に極楽浄土に往生出来る(専修念仏の教え)という、至極単純明快さであった。
庶民の多くが、この教えを喜んで受け入れたのも頷(うなず)ける。こうして強力な織田軍団を初めとする、戦国武力軍団を相手に戦う強大な一向一揆集団が生まれた。
「南無阿弥陀仏」の「南無」は、梵語で「帰依、敬礼」の意味であるというから、この念仏は、「阿弥陀仏に帰依します、敬礼します、」という事になろう。
今は余り聞かれなくなったが、昔は“しまった、さあ大変”と言う時、外人なら今でもよく言う“Oh,no!”の時、「南無三(なむさん)」と言った。これは「南無三宝」、つまり仏・法・僧の三宝に帰依しますから、お助けあれ、という事であった。
写真は、「京都・三千院・阿弥陀三尊像」
木造、藤原時代(平安後期)の作
左右脇侍(きょうじ):観世音・勢至(せいし)の2菩薩