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「高桑氏族」 覚書(135)

2013-11-01 10:17:01 | 歴史

高桑近辺の戦い(9)

「尾張川の戦い」(7)

平家軍は、「富士川の戦い」に於て、水鳥の羽音で、周章狼狽の果て、戦いもせずに、尾張川に退き、此処で源氏軍と激闘して勝利を物にした。両軍共に多大の戦死者を出し、平氏・「本養寺」、源氏・「誓浄寺」を建てて、菩提を弔った(覚書134)。

この両寺境内と考えられるが、戦死者の多くの五輪塔が建てられたらしい。しかし洪水地帯であり、流されたりして、明治以前までに、散逸してしまったと云う。

処が近年、西小熊(高桑の対岸)の旧木曽川底から、相当数の五輪塔が発見され、現在同所の「一乗寺」境内に安置されている。それが下の写真である。

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この五輪塔を見ると如何にも、ちぐはぐであり、寄せ集めて、一塔にしているのが分かる。それで本来の五輪塔を知る為に少々勉強した。

五輪塔の始まりは古く、平安中期からと云う。下から地輪(方形)・水輪(球形)・火輪(三角形)・風輪(半球形)・空輪(宝珠形)の五形から成っている。

「宝珠」は、「ほうしゅ」・「宝の玉」であり、葱坊主(ネギの花)の形をしている。橋の欄干柱頭に付ける飾り・「擬宝珠(ぎぼし)」の形である。下は、「京都・三条大橋」の擬宝珠。

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昭和61年9月、上杉謙信の居城・「春日山城址」を訪れ、謙信開基の古刹・「林泉寺」の謙信墓にお参りした。典型的な五輪塔であった(手前の墓石)。

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