gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「高桑氏族」 覚書(55)

2013-01-24 10:13:34 | 歴史

土岐氏と高桑氏(3)

室町時代(2)


14世紀・南北朝時代、京都に「洞院公定」という公卿がいて、「尊卑分脈」を著わした。貴族諸家の系図集大成である。これは最も信頼の置ける系図として、歴史家も頻繁に利用引用しているという。

この中の一系図の「注記」に、足利義満の武将として、数々の戦さに軍功を挙げた土岐氏第9代・美濃第6代守護大名.・「土岐頼益」が、「高桑城」を攻撃して、落城させたとある。これは間違いなく「土岐氏の乱」と言われる土岐氏内紛時の事態であったろう。義満は内紛を煽り、土岐氏を制圧するのに、土岐氏を使うという狡猾さであった。高桑氏は土岐氏に従属していたが、一方の土岐氏であった頼益に攻撃されたのであろう。この頼益は優れた武将で義満に重用され、「幕府七頭」の一家として幕閣の重鎮となっていた。

日本の姓氏研究の原点は、上に挙げた「尊卑分脈」であるが、第2の原点になっているのは、太田 亮が半生を掛け、心血を注いで昭和11年に完成させた「姓氏家系大辞典」である。高桑氏の項を要約すれば、「高桑、源姓、美濃国厚見郡高桑邑より起こる」とある。第3の原点と言えるかどうかは、兎も角として、姓氏研究の第一人者とされる駒沢大学教授・渡辺三男博士の「日本の苗字」の高桑の項は、前者と殆ど同じ内容になっている。

写真は、「土岐氏墓地」
中央2基は、第5代守護・土岐頼忠と高桑城を攻撃した、その子頼益の墓
禪蔵寺 岐阜県揖斐郡池田町

Tokihakab112