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「高桑氏族」 覚書(49)

2013-01-12 16:07:04 | 歴史

土岐氏と高桑氏(2)

南北朝時代(2)

足利尊氏は、後醍醐天皇の企てた「元弘の乱」(覚書48)で、新田義貞・楠木正成等と共に、北条氏・鎌倉幕府を倒し、「建武新政」(建武元年・1334年)第一の功臣となった。

しかし尊氏は、この天皇親政が武家の力を弱めることになるので、次第に不満を持つようになった。それで北条氏残党討伐の為、鎌倉へ下った時、後醍醐天皇の建武政権に背き、後醍醐天皇とは別系統の光明天皇を擁立したことにより、後醍醐天皇は吉野山へ逃れ(吉野朝)、南朝・北朝の内乱となってしまった。

この間以降、土岐氏と従う高桑氏とは、他の武将と共に尊氏の北朝側に立ち、各地で南朝側の楠木正成・新田義貞等と戦って滅ぼし、室町幕府成立に大きく貢献した。

画像は、「足利尊氏」
尊氏像であるのが確実な貴重古画(延元3年・1338年)
延元3年と言えば、尊氏が南朝の北畠顕家(21歳)・新田義貞(37歳)を戦死させ、尊氏(34歳)自らは北朝で、征夷大将軍に任じられた大得意の年であった。恐らくその任命記念画。
Toki01