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「高桑氏族」 覚書(48)

2013-01-11 11:26:42 | 歴史

土岐氏と高桑氏(2)

南北朝時代(1)

「覚書(47)」の画像は、土岐氏第4代・頼貞の木像である。

鎌倉幕府討伐の為、後醍醐天皇が企てた「元弘の乱」(元弘元年・1331年)で、楠木正成が挙兵した。続く元弘3年、足利尊氏は、北条氏の拠点・六波羅探題を陥れ、新田義貞も兵を挙げ、北条高時は自刃して鎌倉幕府は滅亡した。

この時土岐頼貞は、尊氏に味方し、その後の南北動乱でも、息子を戦死させ乍らも、各地に転戦して戦功を挙げ、初代美濃守護に任じられ、尊氏からは、“土岐絶えなば、足利絶ゆべし”とか、“諸家の頭、筆頭の将”と讃えられ、「土岐氏中興の祖」と称された。事実頼貞は、文武両道に優れ、稀に見る逸材であったらしい。土岐氏系図にも「弓馬上手」・「歌人」と注記されていると云う。

高桑氏は頼貞の時、既に土岐氏の配下にされていたらしいので、南北朝から室町時代を通して、以下に見る土岐氏の活動には高桑氏の活動が、記述が無くとも、伴っていたと見なくてはならない。

写真は、「土岐頼貞」の墓
「暦応2年(1339年)逝去」(69歳)の銘あり。
岐阜県瑞浪市土岐町

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