風に吹かれて、気の向くまま

人生折り返し地点を過ぎた下町男の思いつき。

34 真乳山山谷掘夜景

2007年02月24日 | 今昔 江戸名所百景 
この絵は、隅田川東岸から西岸、真乳山と山谷辺りを望んで描いた夜景である。
隅田川の対岸に見える堀が山谷掘。


「不夜城吉原」へ行く人は、山谷掘まで舟で来て、
ここから陸路、日本堤を駕籠か徒歩で出かけていった。
なかには山谷掘に架かる今戸橋の両橋詰に建った船宿や料理屋で
腹ごしらえをし、景気をつけてから乗り込む人もいたとか。
この船宿の中には、茶屋や料理屋を兼業する宿も多かった。

隅田川対岸の小高い緑の山が真乳山である。
この真乳山は元々『真土山』と呼ばれていた。
語源の元となった山は、隅田川の洪水から浅草を守る為
この山を削って山谷掘沿いに日本堤を築いた為に低くなったという。



写真で見える緑色の屋根が、真乳山聖天宮である。
この辺りは桜の名所でも有る隅田公園内。
この直ぐ右側に台東区リバーサイドスポーツセンターや桜橋がある。
桜餅で有名な長命寺は、写真の後ろ側辺りに有る。


真乳山聖天宮。周囲の土地よりも少し高い場所にある。
本殿の右側から隅田川、隅田公園を望む事が出来る。




桜 餅
吉宗の時代、隅田川沿いの長命寺の門番をしていた山本新六という男がいた。
桜の名所である隅田川土手、ひらひらと舞い散る桜の葉を見て
「何かに利用できないものか…」
と考え、塩付けした桜の葉で餅を包む事を思いつき、享保2年(1717年)桜餅を売りだした。
これがヒットし江戸の銘菓となった。


長命寺の桜餅は、小麦粉を練り薄く延ばしたものに餡を包んだもの
大坂では道明寺粉(餅米を乾燥させて砕いた粉)を使う。


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