風に吹かれて、気の向くまま

人生折り返し地点を過ぎた下町男の思いつき。

38 廓中東雲

2007年02月17日 | 今昔 江戸名所百景 
38 廓中東雲

初期の江戸の住民は圧倒的に男が多く女性が少なかった。

その自然の成り行きとして、男性相手の遊里が江戸の各地に発生した。
こういう遊里が浪人や悪党の隠れ場所になり、治安上・風紀上の問題があったので
幕府は元和4年(1618)葦しか生えていなかった葦町へ各地の遊里を集め、遊郭を作った。
後に吉原と改められる。

次第に風紀が乱れてきたので、幕府は明暦の大火で焼けたのを機会に
浅草の北の田圃の中へ移転を命じた。

現在は、多くの特殊浴場(ソープランド)が立ち並ぶ。
歩いて通っていると「お兄さんどう?」と声が掛かる。

大人の事情により(写真を撮る勇気が無かった)現在の写真は有りません。



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