風に吹かれて、気の向くまま

人生折り返し地点を過ぎた下町男の思いつき。

037 墨田河橋場の渡かわら竈

2007年02月25日 | 今昔 江戸名所百景 
37 墨田河橋場の渡かわら窯

絵には2艘の渡し舟が描かれている。
渡し舟の右には都鳥(ゆりかもめ)が描かれている。

今戸町には瓦や瀬戸物を焼く窯がいくつも並び、そこから煙が立ち登っていた。
ここで焼かれた瓦を「今戸瓦」瀬戸物を「今戸焼」ともいった。

浅草御門を出た奥州街道は、浅草の東を隅田川沿いに北上し、
聖天町で北西に別れ千住大橋に向かっていた。
千住大橋が架かる以前は、聖天町からさらに北上し、今戸町の先の橋場から
舟で向島の寺島へ隅田川を渡る方法もあった。江戸で最も古い橋場の渡しである。

江戸時代この辺りに、一文銭等の銭を作っていた「銭座」が有った。




現在、橋場の渡しは、白髭橋となり明治通りが走っている。
都鳥は今も、隅田川流域に多く飛んでいる。

桜橋を過ぎた辺りから、高い堤防の横が走れる様になっていて
ランニングをしている人が結構いる。


100 よし原日本堤の内の山谷掘と白髭橋の中間辺り。



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