ラブラブメンタイハッピーライフ

明太子に魅了された人間の日々の記録

明太子ってなんで博多名物なの?

2020年09月16日 | 豆知識
めんたいこんにちは~

今回、明太子がなんで博多名物なの?というお話です!親魚のすけとうだらは北の方で獲れるのでもちろん北海道にだってたらこ明太子のお店ありますし、その他の県にもあります。でも博多には200社以上の明太子屋さんがあるそうです。明太子といえば、博多が浮かびがちです。なんででしょうー??

(動画にも撮ったので、文章読むの面倒くさかったらこっちを見てね~)
 

話のキーマンはこちら、老舗の明太子屋さん「ふくや」創業者である川原俊夫さん。

川原俊夫さんは、めちゃくちゃイケメン

話に入る前にこれだけ言わせてください。川原さんがめちゃくちゃかっこいい……アイキャッチの写真もそうですし、ネットに若かりし頃の川原さんもいらっしゃいますので色々なお姿を是非とも探してみて頂ければと思います。

(↓動画撮影用に友人に作ってもらった川原さんのペープサート)

さて、さっそく紹介していきますー!

釜山の大きな市場で「メンタイ」に出会う

実は釜山で生まれ育った川原俊夫さん、草梁市場で売られていた「メンタイ」を頻繁に食べてたそう。日本人がやってる乾物屋で他の商品に混ざって売られていたメンタイ。現在の日本で食べられてるものとは少し違い、チャンジャに似た味付けとのこと。

これが博多明太子の原点なり!!!

終戦後、博多の市場で「ふくや」開店

サラリーマンになり、家族も持ちバリバリ働いていた川原さんが戦地へ向かったのが昭和19年8月。2年後に福岡で家族と再会しました

少しして昭和23年10月5日、中州市場に開店させた食料品店が「ふくや」です。”世の中不安定になったとしてもなかったら困るのが食品だから”ということで5坪ほどのスペースにぎっっしり食料品を並べて営業しはじめました。

そうだ!懐かしの「メンタイ」を作ろう

ふくやは順調に売り上げを伸ばしてましたが、人がわざわざ買いにくるような、目玉になるような商品がないか…と考えてる時に思い出したのがあの「メンタイ」!記憶を頼りに唐辛子や酒で味付けしてみました。

そして昭和24年1月10日、店頭に初めて「メンタイ」登場!

ハクハクに展示されていた昭和20年代のふくや。奥に川原さん)

口コミで大人気に

しかし最初から上手くいくことはなく、10年ほど全く売れず大苦戦した「メンタイ」…

ですがそのうち、PTA仲間や「意外とおいしいじゃん!」と宣伝してくれるようになったり、取り扱いのある中州の小料理屋さんで「メンタイ」を知った県外のサラリーマンがお土産に買って帰るようになったり瞬く間に広がっていったんです!やっと時代キターーー

特許とかいいから!どんどん教えちゃうよ~~

高級キャバレーからの注文や、山陽新幹線の開通もあり飛ぶように売れ始めた「メンタイ」。勢いがスゴイ…

そうなってくると真似をして同じような商品を作り始めるお店も出てくるわけです。特許をとった方がいいんじゃない?という声が上がりましたが「いや、総菜だから!」「味の好みはそれぞれだし。安くておいしいならどんどん出てくればいい」と川原さん

そればかりか、明太子を置かせてほしいという近所のお店に「あんたんとこもつくればいい」と唐辛子と調味液の調合以外のことは惜しげもなく手取り足取り教えていきました。

そして、製造業者が続々と現れ全国的に明太子が有名になったのです!

だいぶ細かいところを省きましたが、大まかにいえば明太子が博多名物になったのはこういった経緯があったからなんですね。また機会があれば細かいところもお話したいです。

待ちきれない!という方は私が熟読している「明太子をつくった男」という本がありますのでそちらご覧ください!