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コトハノチカラ

ビジュアル的センスが0の左脳人間が、
どこまで言葉だけで自分を表現できるか、
やれるとこまでやってみるブログです。

菅さんが可哀想・・・

2011-03-02 10:40:15 | 真面目な話
菅さんが可哀想でしょうがない。

僕は自民党支持者だし、とっとと衆議院を解散するのが日本のためだと心の底から思っているけど、それでも個人的な感情として、菅さんがあまりにも可哀想だ。

今の菅内閣の支持率は20%未満らしいけど、それは国民が菅政権が嫌だからではなく、民主党の政権が嫌だからだ。

はっきり言って民主党政権のままだったら、誰が首相になっても支持率なんて上がることはない。

「こんなマニフェスト、無理っすよ」と思っちゃっている菅さんのほうがよっぽどまともで、未だに「国民との約束」とか言っちゃっている他の民主党議員のほうが、もはや正気とは思えない。

菅さん、もう、楽になっちゃえよ。

今のまま政権を維持しても、結局近いうちに解散に追い込まれるわけで、そうなったらもう菅さんの評価がガタ落ちだよ。

だったら、たとえ民主党が崩壊したとしても、ここでバシッと菅さんの独断で解散しちゃえば評価はうなぎ上り。今後の政治家人生は安泰だし、野党となったときに「解散しろー!」って言える説得力もバッチリ手に入る。

というわけで、そんな菅さんの暴走を心待ちにしているのです。

鳩山さん。日本列島は日本だけのものです。

2009-07-23 10:43:10 | 真面目な話
いよいよ衆議院が解散された。

民主党が単独で過半数を取るとは思えないけど、自民党が大幅に議席を減らすことは間違いなさそうで、政権交代も可能性としては充分にあり得る。


で、その民主党についてだけども、正直に言って僕はあまり好きではない。

実現できるかどうかはさておき、政策としては魅力的なものも確かにある。

高速道路が無料になれば嬉しいし、消費税だって上げなくて済むのなら上げないでほしい。

だがしかし、民主党の政策でどうしても受け入れられないものがある。

それは、日本で暮らす外国籍の方に、参政権を与えるということだ。

本当にこれだけは、どうしても納得ができない。


誤解されないために先に言っておくと、僕は別に差別主義者ではないし、友達には在日の北朝鮮国籍の人もいる。

でも、やはり国籍が日本じゃない人に、参政権は与えるべきではないと思う。


国籍とか参政権とかという話をすると、イマイチよく分からなくなってしまうので、例えば家族会議を考えてみよう。

その家には祖父母、両親、子供二人、居候の七人が住んでいる。

子供二人が犬を飼いたいと言い出した。

そこで、家族みんなの多数決で決めることになった。

この多数決に、居候を加えるかどうかという問題だ。


僕なら間違いなく加えない。

こちらからお願いして居候してもらっている人であるのなら、多数決に加えないといけないのだろうが、そのようなわけではない。

もちろん、住まわせいるわけだから、食費とか多少の家賃は貰っているが、別にいなくなったからといって困るわけではない。

また、居候はその家族の養子になることもできるのだけれど、本人の意思でそれは拒否している。

分かりやすく言うと、
「お前らの家族の一員になるつもりはないけど、お前ら家族のやることには口を出すぜ」
ということだ。

そんな人に、どう考えても多数決に加わって欲しくはない。


民主党の鳩山由紀夫氏はこんな発言もしている。

「日本列島は日本だけのものじゃないんですから、もっと度量を見せないと」


この発言を聞いたときは、何バカなことを言ってるのだと、珍しく言葉遣いが悪くなってしまうほど、ムカついてしまった。

何をどう考えると「日本列島は日本だけのものじゃない」という考えに行き着くのかさっぱりわからないのだけど、この理論でいけば、鳩山さんの住んでいる豪邸も、鳩山家だけものもじゃないわけだから、色々口を出していいっていうことになりません?


はっきり言います。

日本列島は日本だけのものです。

もちろん、日本には多くの外国人の方が住んでいるでしょうし、そのこと自体に文句があるわけではない。

だけども、ハッキリ言ってしまえば、それだってそうすることが日本のためだからだ。

日本国籍以外の人を日本に住まわせないことが日本の国益になるのであれば、今すぐにでもその政策を実施すべきだ。


他国と協調するのも、発展途上国に援助をするのも、全部日本の国益に繋がるからだ。

逆に言えば、国益に繋がらないようなことは、政策として行うべきではない。

そんなことは、ボランティアにでも任せておけばいいのだ。


鳩山さん。

きっと貴方はとてつもない度量があって、日本だけでなく、世界のためにって思っているのかもしれないけど、今の日本に、そんな余裕があるように見えますか?

他の国のことは、他の国に任せておいて、まずは日本だけのことを考えましょうよ。

日本人の生命と財産を守るのが、日本の政治家の仕事でしょ?

もうそろそろ、無駄なカテゴライズは止めませんか?

2009-07-16 11:20:57 | 真面目な話
僕は括るのも、括られるのも嫌いだ。

といっても、SMの話ではなく、カテゴライズの話。


政治とか社会にはそれなりに興味があるので、いわゆる「論者」などという人の本をたまに読んだりするのだけど、はっきりいって、さっぱり意味がわからないことが多い。

右翼、左翼くらいなら意味はわかるけど、ナントカイズムだの、ナントカ派だの、ナントカ主義だの、ナントカ還元水だの、何を言いたいのかがさっぱりわからないのだ。

まあ、「お前の勉強不足」と言われればそれまでなんだけど、果たしてそんな風にカテゴライズすることに、どんな意味があるのかが皆目検討がつかない。

というよりも、百害あって一利なしとしか思えないのだ。


「最近の若者は・・・」とか言う人がいるけど、最近の若者って、すごい人数がいるわけで、そんな風に一括りには絶対にできない。

ある程度の傾向としては一致する部分もあるのかもしれないけど、それだってそう言っている人の主観で判断しているだけで、正しいのかどうか極めて怪しい。

さらに言うと、そうやって「最近の若者」というカテゴリーを作ることによって、勝手に最近の若者像を作り出して、勝手に批判したりしている。

どうしてそんな風にカテゴライズする必要があるのか、本当にわからない。

色んな子供がいて、色んな大人がいる。いいヤツもいれば、悪いヤツもいる。

ただそれだけのことなのに、「論者」たちはそれに無理矢理理由を付けてカテゴライズし、あーだこーだと机上の理論をこねくり回す。

一番アホらしいと思うのは、そのカテゴライズについて揉めてたりすること。

「お前の考え方は○○主義的だ」
「そんなことはない。お前こそ○○イズム的ではないか」
「違う。俺は○○イズムだ」

ビックリするくらいどうでもいい。

問題なのはそいつの考えが正しいのかどうかであって、そいつが何主義だろうが何イズムだろうが、そんなことは問題ではないのだ。


というわけで、僕は僕派の人間であって、それ以外のカテゴリーには属していない。

というより、意図的に属さないようにしている。

だって、そんな風に使い古されたカテゴリーの中に、答えがあるとは思えないからだ。

本当の答えは、カテゴリーとカテゴリーの間に転がっていて、本当は簡単に気付けるのに、多くの人は自らの手で気付かないようにしてしまっている。


ブログでこんなことを書いていると、自分の思想を広めたいと思っているなんて勘違いされてしまいそうだけど、そんなことはない。

もちろん、多くの人に読んでもらって、僕の考えを知って欲しいとは思うけど、僕派の派閥に入れるのは僕だけだ。

貴方は貴方派の派閥を作ればいい。

そうやってお互いに自由な発想で物事を考えていけば、もう少し世の中は良いほうに転がるのだと、僕は思うのだ。

命令に従うのが嫌なら、教師を辞めればいいと思うわけです。

2009-07-15 13:41:30 | 真面目な話
僕は割りと人を嫌いにならないほうだ。

相手のほうが僕に敵意があれば別だけど、そうじゃない限りは、なかなか人を嫌いにならない。

どうしてかというと、自分と違う考え方、価値観を持っている人でも、それを頭ごなしに否定したりしないで、認めているからだと思う。

自分は自分、人は人、それでいいと思っているし、むしろ自分と違う考えの人と話すことによって、新しいことに気付いたり、何かを得たりすることもある。

だけど、時には容易には受け入れられない考え方をする人がいる。

問題なのは、その考え方が正しいとか間違っているではなくて、筋が通っていないことだ。

例えば、「戦争は嫌いだから自衛隊はいらない」という考えを持っている人がいるとする。

別にこの考え自体の全てを否定するわけではない。

だけど、自衛隊がないということは、他国からの侵略があった場合に、防ぐ方法がないということだ。

「他国が侵略した場合は、占領されることを受け入れる」
もしくは
「他国が侵略することは絶対にない」
と、どちらかの考えが付随しているのであれば、「自衛隊不要論」も一つの考え方としては分からないでもない。

でも、本当にそこまで考えてるのか、甚だ疑問な場合が多い。


さてさて、相変わらず前置きが長くなってしまったけど、上記のように「明らかに筋が通っていない」と僕が思わずに入られないのが、公立学校にて教師が入学式や卒業式で日の丸に向かって起立して君が代を歌うのを拒否することだ。

この手の話になると、日本の戦争責任だとか、思想の自由だとか、色々な話がごっちゃにでてきて、結局よくわからない議論のままで終わってしまう。

だけど、はっきりいってそんなことはこの問題の本質ではない。

別に、教師がどんな思想を持っていようと構わないし、日の丸、君が代が嫌いなら嫌いでいい。

問題なのはそんなことじゃなくて、要するに上からの業務指示に従っていないということでしょ。

教師っていうのは趣味ではなくて仕事なわけでしょ?

お給料貰っているわけでしょ?

貰うものだけはしっかり貰っておいて、やりたくないことはやらないって、どう考えてもおかしいでしょ?

一般企業なら、間違いなくクビだ。


上記の問題で裁判を起こした教師に対し、某掲示板にて以下のような書き込みがあった。

「歌わない自由は生徒にはあるが国から給料もらってるお前らにはねーんだよ馬鹿が」

多少、言い方は悪いが、まさにその通りだと思う。

ようするにこのような教師たちの考え方としては、上司(国)からの命令など関係なく、教師は自分の思想を元に行動して良いということになる。

この問題の教師がそのように思っているのなら、一つの考え方として認めることもできる。

軍事教育をする教師のことも認める。
アジア諸国を見下したような思想を教えることも認める。
男尊女卑的な考え方を教える教師のことも認める。

そうやって各教師が好き勝手に自分の思想に基づいて教育を行うことが、生徒のためになっていると思っているわけですか?

違うわけでしょ?

自由な思想を認めろといいながら、実際には自分と違った思想を認めるつもりはないわけでしょ?

つまり、極めて筋が通っていないじゃん。


国の指示に従うのが嫌なら、税金から給料を貰ったりしないで、私立の教師にでもなればよくないですか?

今の教育が本当に悪いと思っているなら、立候補して議員になって、法律を変えればよくないですか?

生徒が貴方の指示に従わないで勝手な行動をして、注意をした貴方に「思想の自由だ」と生徒が言ったら、貴方は何て答えるんですか?


とにかく、嫌なら辞めろ。

生徒を混乱させるな。

今の時代、子供が少なくなっていて、教師になりたくてもなれない人がたくさんいる。

僕が親なら、自分の勝手な思想で行動するような教師になんて、怖くて子供は預けたくない。

皆さんは、どう思います?

日本の政治を変える画期的な方法(今日からでも実施可)

2009-06-26 11:15:08 | 真面目な話
どうも、国会議員はダメなヤツばかりだ!!

国政のことよりも自分の保身やお金のことを考えているヤツばかりで、国会で寝てたりする!!

このままだと、日本は崩壊してしまう!!


というような意見を耳にする機会がとても多い。

はっきりいって、こういう発言をする人って、ちょっと頭が弱い人なんだろうなって、僕は思う。


「国会議員はダメなヤツばかり」

国会議員て全部で何人いるか知ってる?
具体的に何人中何人がダメなの?
そのダメな議員の名前を5人でいいから言ってみて。
どんなことをすると「ダメ」っていう部類に入るの?

という質問に全部答えてくれれば、僕のほうも納得できるのだが、国会議員の悪口を言う人から、上記の質問の答えを聞いたことがない。

どうも世間の風潮として、「国会議員には文句を言うもの」となっているらしく、大して知りもしないのに、大して知りもしない人ほど、政治家の悪口を言ってたりする。

じゃあ、僕は日本の政治家についてどう思っているのかと聞かれれば、良い人もいれば、悪い人もいると思っている。

一応は人並みに政治に興味は持っているけど、722人いる国会議員について全てを知っているわけではないので、とてもじゃないけど、「国会議員」という括りで判断をすることなんてできない。

まあ、この辺りの「括り」の話を始めちゃうとちょっと長くなるし、今回のテーマともズレちゃうから、話を変える。


とりあえず今までの話はなかったことにして、実際に国会議員はダメなヤツばかりだとしよう。

「どうして国会議員がダメなヤツばかりになってしまうのか」

と考えるとすぐには答えは出ないけど、

「どうしてダメなヤツが国会議員になれるのか」

と考えれば、答えはすぐに出る。

ダメなヤツに投票した人がいるからだ。


議員には選挙で支持されないとなれない。

逆に言うと、議員には必ず支持者がいる。

ダメな議員にも支持者がいる。

ダメな議員はもちろん批判されるべきだけど、それと同じくらい、そのようなダメな人間を議員に選んでしまった支持者だって、批判の対象になっていいのではないだろうか。


少し前に、サミットでの記者会見で酔っ払っていた閣僚がいましたよね?

自民党の衆議院議員の中川昭一。

マスコミで散々批判されていた。まあ、当然でしょう。

金融危機直後のサミットで酩酊しているなんて、言後同断、同じ日本人として恥ずかしいし、国民の代表たる国会議員としてあるまじき行為だ。

じゃ、そんなダメな人を議員に選んだのはどこのどいつだというと、北海道11区の人たち。

こういう言い方をするとわかりにくくなっちゃうので地名で言うと、北海道帯広市と、その近隣の郡部の人たち。

帯広市民は大事なサミットの記者会見に酩酊状態で臨むような人を議員にする、人を見る目の欠片もないヤツらだ。


って言われたら、どう思います?

このブログを読んでいる人たちの中に帯広市民の方がいるかどうかわからないけど、そうとうにムカつきますよね?

でも、事実なんですよ?

ただ、なぜか誰もそのことを言わないし、批判しないだけ。

僕は、議員を批判するなら、そんな人間を議員にした人たちも批判されるべきだと思っている。


とある議員が問題を起こした。

その議員を選んだのは○○市のヤツらだ。

○○市のヤツらは本当に人を見る目がない、バカなヤツらだ。

ウチの会社には、もう○○市のヤツらは採用するのを止めよう。


最後の、採用うんぬんの話はちょっと行き過ぎだとしても、世間の風潮として上記のようになれば、日本の政治は変わると思う。

まず、投票率が上がるでしょ。

変なヤツが議員になって問題を起こされたら、その地域に住む人が批判されることになるので、住民が必死になって候補者を吟味して投票するようになるはず。

議員になってからだって、地元からかなりのプレッシャーを受け続けるだろうし、市民の政治への関心も高まるはず。

もちろん、国のために頑張って働いて結果を残せば、その地域への評価も上がる。


どうでしょ?

良いと思いませんか?

まあ、一応デメリットとして、地域間の対抗意識というか多少の差別意識が生まれてしまうかもしれないけど、それだってそれぞれの地域の人が政治に興味をもって行動をした結果なんだから、今の無関心の状況よりはかなり良いと思う。

しかも、これを行うのには難しい手続きとか、外部との折衝なんてものは何もいらない。

マスコミが議員の批判をするときに、その議員を支持した地域の名前を言うだけ。

できれば、北海道11区などの選挙区名ではなくて、帯広市などのような地域名で言って欲しいところだ。

テロップなどで国会議員の名前を出すときに、一緒に選挙区の地域名を書くだけでも効果はかなりあると思うんだけどな。


そんなわけで、もしこれをマスコミ関係の方が読んでくれて賛同してくれましたら、一つよろしくお願いするのです。

派遣切りされたおじさんに松屋を奢る。

2009-06-23 09:47:41 | 真面目な話
先日、夜の22時くらいに池袋を歩いていたら、いきなり中年男性に声をかけられた。

年齢はおそらく50代~60代。
ホームレスと言うほどの服装ではないが、お世辞にも清潔な感じではない。

「すみません。ここから新宿までの道を教えてくれませんか?」

「この道が明治通りだから、これをずっと行けば着きますよ」

「歩いて行くと、どれくらい時間がかかりますか?」

「歩いたことがないから、ちょっとわからないですね」

と、ここで話を切り上げておけばよかったのだが、何となく話の流れとして、

「歩いて行かれるんですか?」

と聞いてしまった。

そうするとおじさんは、その質問を待っていましたとばかりに、

「実は派遣切りにあって、今、手持ちに100円もなくて。今日中に新宿に行ければ仕事があるんだけど、もう3日くらい何も食べてないから、もし新宿に行けたとしても仕事ができるかどうかもわからなくて、少しでもお金があれば助かるんだけど、今は家もなくてどこにも行くところもないから・・・」

と、いきなりの身の上話が始まったわけである。

このまま放っておくと、本当にひたすら話が続いてしまいそうだったから、

「おじさん、ようするにちょっとお金が欲しいってことを言ってるんですよね?」

というと、

「本当に少しでも助かるんです」

と申し訳なさそうに言ってきた。


さあ、どうしよう。皆さんならどうします?

話しかけられたのは人通りの多いところだし、そのおじさんの雰囲気からいっても、断ったからといって逆キレして殴りかかってくるようなことはなさそう。

しかし、さっきの身の上話がどこまで本当なのかもちょっと怪しくて、実はそうやっていろんな人に声をかけてお金を無心して生活している人なのかもしれない。

と、そこまで考えたうえで、僕は助けてあげることにした。

理由はいくつかあるんだけど、多くの人が歩いているなかで、「この人なら助けてくれそう」と思って僕に声をかけてくれたわけだから、まあ、そう思われるのは嫌な気持ちではない。

もしかしたら、「おっ、いいカモが歩いてるぜ」と思ったのかもしれないけど、まあ、それならそれでよい。

どちらにしても、「困ってる風な人がいれば助けそうな人」というように判断されたわけだから。

というわけで、助けることにはしたのだけど、お金を渡すっていうのはちょっと抵抗がある。

何に使われるのかわからないっていうのもあるけど、そのおじさんの年齢は僕の親父と同じくらいなのだ。

そのような年代の人に、お金を恵んであげるみたいになるのは、僕の気分的にもちょっと気持ち良くない。

と考えていると、すぐ近くに松屋があることに気付いた。

「おじさん。それじゃあ、お金を渡すっていうのはちょっと無理だけど、もしよければご飯を奢ってあげるよ。松屋でもいい?」

「ええ、ええ、もちろんです」

ということなので、すぐ近くの松屋に入り、牛めし(並)の食券を買い、それをおじさんに渡した。

「おじさん、これ食べて頑張ってね」

というと、おじさんは被っていたキャップをとり、ちょっとこっちのほうが恐縮してしまうくらい、深々とお辞儀をしてくれた。


話としてはこれで終わりで、実はそのおじさんが大金持ちで、後になって金銀財宝を届けてくれたなんていう後日談は、もちろんない。

もしかしたら僕は騙されただけなのかもしれない。

でも、本当に人助けをしたのかもしれない。

少なくとも、騙されたと確定することは無理なわけだから、だったら素直に人助けをしたのだと思いたい。

こういう言い方をすると誤解されちゃうかもしれないけど、松屋の牛めし(並)の料金で、人助けをしてお礼を言われてとても良い気分になれたわけだから、安い買い物なのではと思う。

ようするに、ボラティアとか寄付って、すごい崇高で尊い行為のように思われるけど、労働なり金銭の対価として、"何か"を受け取るという、誰でもしているようなごく普通の行為でしかないと思う。

その"何か"というのが、おじさんのようなお辞儀だったり、自己満足だったりするだけだ。

無償の愛なんていうけど、それだって無償の愛をあげているっていう自分自身に自己満足して、良い気持ちになれるからしているわけでしょ?

というわけで、結論としては、とても良い買い物ができましたという話なのでした。

仕事がないのは誰のせい?

2009-01-05 15:38:38 | 真面目な話
かなり久々のブログ更新。
月単位ではなくて、年単位の間隔が開いてしまった。

果たしてどれくらいの人が読んでくれるのかは謎だけど、これからはボチボチ書いていこうかと思っている。

さて、タイトルにも書いた、最近話題の失業者問題。

自分の意見を発言する前に、今の自分の状況を話しておくと、僕は社員数70名程度のIT関連企業に勤めている。特に役職などはないけど、社長と個人的な付き合いもあるので、社内的には上のほうの立場にいる。
年齢は30歳。子供はいないが結婚している。

そんな僕が思うのは、「仕事が無いのは自分のせい」だということ。

日本は貴族社会ではない。
ひょっとしたら例外はあるかもしれないけど、基本的には自分の努力で自分の人生を決めることができる。

学歴が無いから就職できないと思うなら、今から勉強して学歴を身に付ければいい。参考書なんて図書館に行けばタダで借りられるし、独学で勉強して大学に入った人なんて山ほどいる。お金がないなら大学から奨学金を貰えばいい。

でも、学歴社会に文句を言っている多くの人は、そんなことはしない。
時間がないとか、なんだかんだ理由を付けて、勉強したりしない。
本当はやる気がないだけなのに、何かのせいにして、無理だと決め付ける。

なんて偉そうなことを言っているけど、僕にだって大した学歴はない。

2.5流くらいの高校を卒業したあと、3流大学に進んで、あえなく中退。
その後、専門学校に入るも、学費が払えず、結局中退。

そんなわけだから、今の会社の給料だって高いわけじゃない。
1流大学を出た同年代の人からすると、半分にも満たないかもしれない。

でも、特に文句はない。
当たり前だと思っている。

多少の差はあるだろうけど、1流大学を卒業した人は、間違いなく僕よりも勉強している。僕が大して勉強もしないでバイトばかりして、そのお金で遊んでた時に、必死になって勉強している。

そんな人が、大学を卒業した後に良い給料を貰えないなんて、可哀想というか、不憫になってしまう。頑張って勉強して、その努力が報われたんだから、皮肉でもなんでもなく、素直に「おめでとう」と言ってあげたい。

派遣の仕事が不安定なものだなんて、最初からわかっていたはず。
仕事がクビになったら、寮を出なければいけないというのも、わかっていたはず。
それなら、仕事があるうちに勉強して資格をとるとか、貯金しておくとか、いくらでもすることがあったはず。
人それぞれの生き方だから、それをしなかったことを責めるつもりはないけど、その結果として今があるんだから、今の自分が苦しいのは、誰のせいでもなく自分のせいだ。

まだ30年くらいの人生経験しかないけど、高校→大学→就職というような人生を歩んで来なかった分、いろいろな人と出会うことができた。
その結論として思うのは、やっぱり、成功している人は努力をしている。
前に勤めていた会社の社長は、毎日2時間睡眠で働きながら勉強して、そのうえ自分の将来のためになると思う人とは人脈を作って、どんなに疲れていても飲みに誘われれば付いていって、その場を盛り上げて、次の日はまた普通に朝から仕事をしていた。
そのような努力があるから、成功することができる。

格差社会とかいろいろ言われているけど、そのように騒いでいる人は、日本をどうしたいのだろうか?努力が報われない国なんて、誰も努力しなくなくなる。そういう国がどうなったか、共産主義国家がどうなったのかを考えれば、誰にだってわかることだ。

とにかく、今の現状を受け入れよう。
そして、それを誰かのせいにするのではなくて、自分の責任として受け止めよう。
そのうえで、今後どうすべきなのかを考え、支援が必要なのであれば頭を下げお願いしよう。
支援してもらうことを当然とは思わず、感謝しよう。

全てのスタートはそこからだ。

文句ばかりで全てを誰かのせいにしていては、何も解決しないと、僕は思うのだ。

子猫の死

2006-07-25 23:55:16 | 真面目な話
今日、出勤途中に捨て猫を見つけました。

ダンボールの中に餌と一緒に入っているという、まさに基本の形の捨て猫で、黒と灰色の縞模様の子猫です。
僕が見つけたときには既にもう弱っている状態で、呼吸は荒く、目は開いたままで焦点があっていません。素人目に見ても、瀕死の状態でした。

僕は出勤中だったのだけど、このまま放っておいて仕事に行けるほど、人間として強くありません。
というわけで、まずは何とかして子猫ちゃんに元気になってもらわねばと、近くのスーパーにて牛乳を購入し、ストローを使って口に流し込みました。ところが、子猫のほうには牛乳を飲む力も残っていないようで、虚しく流れるだけでした。

こうなると、もはや僕には、頭や首を優しく撫でてやることしかできません。

このまま放置することだけはしたくなかったので、まずは近くにある市の出張所のようなところで相談をしてみました。
その結論としては、ゴミとして扱うことになり、市の収集課というところに連絡をして、引き取りにきてもらうという結論でした。

まだ生きているのに。

とても悲しくなり、できる限りのことはしてあげようと心に決めて、近くに動物病院がないかと聞くと、意外と歩いて1.2分のところにあることを教えてもらえました。

その足でそのまま動物病院に向かったのですが、ちょうどお昼の休憩時間。電話をかけても留守番電話になってしまって繋がらない状態です。

とにかく、そのまま動物病院の前に立っていても事態は改善しないわけで、子猫のところに戻りました。

子猫は、死んでいました。

ちょっと前までは呼吸の度に大きく上下していたお腹が少しも動いてなく、目は開いたままでした。

僕は市の出張所で教えてもらった収集課に電話をかけ、事情を話し、引き取りにきてもらうようにお願いして、会社に向かいました。


僕はひねくれた人間です。
牛や豚は平気で食べるのに、子猫の死には心を痛めるなんておかしいという気持ちもあります。
でも、僕はとても悲しかったんです。
心の底から悲しく、胸が痛みました。
世の中は矛盾に満ち溢れていて、僕自身も矛盾の塊です。どうして見ず知らずの子猫の死が、こんなにも僕の胸を苦しくさせるのか、説明することができません。
でも、それが僕という人間なのです。
説明する理由なんてありません。
僕は牛も豚も食べるけど、子猫には死んでほしくないと思う人間なのです。


ペットは人間の心を癒すための道具です。心があって、魂があっても、それを人は道具として使います。
だからこそ、最後まで責任を持つべきです。
あの場所に子猫を捨てた人は、「きっと誰かが拾ってくれて、幸せに生きていくんだろう」などと、淡い幻想を抱いて、自分の心を痛めることはないでしょう。
ダンボールの中にはバスタオルがひかれいました。缶詰のエサも置いてありました。
猫が嫌いなのではないのだけど、どうしても飼うことができなくて、誰かに拾ってもらうことを願って、子猫を捨てたのでしょう。
ですが実際には、子猫は死にました。
薄汚れたダンボールの中で、すぐそばを走る電車の騒音の中で、誰にも見取られることなく、子猫は死にました。
子猫を捨てた人は、その事実を知るべきです。
どうしても飼うことができないのであれば、自分の手で殺すなり、保健所なりに持っていって処分してもらうなり、最後まで責任を持つべきです。
そして、自分が子猫を殺したんだという事実を受け止めるべきです。


僕が子猫を撫でたときに、少しでも子猫に意識があって、少しでも僕の温もりを感じていてくれたらと願います。
自分が死んだことで、こうして心を痛めている人間がいるということが、子猫に伝わることを願います。


理由を説明することなんてできないけど、僕は子猫の死が無性に悲しいのです。
子猫を殺しておいて、その事実すら知らない人間がたまらなく憎いのです。

今更遅いが衆議院選挙。

2005-09-29 15:56:42 | 真面目な話
こんなとこでわざわざ僕が書く必要もないのだけど、今回の衆議院選挙は自民党が圧勝しました。

では何でこんなことになったのかというと、理由は一つです。

『郵政民営化に反対した議員を公認するのを止めて、次々と刺客を送り込んだから。』

この手法に、僕を含め、多くの有権者が心を打たれました。

先日、民主党の鳩山とかいう議員が、「政治は愛をもって行なわなければならない」なんて、わけのわからないことを言っていました。そういうよくわからない愛というか仲間意識が、今の政治の混迷を招いた大きな要因であるのです。

そもそも『党』っていうのは、同じ思想をもった政治結社であるわけだから、その思想が食い違えば辞めるとうのは、とても当然の話なわけです。
しかも、反対票を投じるなんて、党の政治活動の邪魔をしたわけだから、そのような人たちにどのような愛をもって接すればいいのでしょうか?

党の政策に従えない議員はクビにする。
それでも邪魔をしようとするなら、刺客を送り込んで選挙に落選させる。
全然おかしなことではないし、むしろ当然のことなわけです。

ただ、今まで、その当然のことを誰もしてこなかったわけで、そのことのほうがむしろ問題でしょう。

有権者の中で郵政の民営化について完璧に理解している人なんて、かなり少数派でしょう。
今回、自民党に多くの有権者が票を投じたのは、郵政民営化に賛成だからではなく、小泉さんの政治手法に期待したからです。

消費税の税率アップなんていう、有権者にとってマイナスになるような焦点の総選挙でも、同じような手法をとれば同じような結果になるのではとすら、考えてしまいます。


小泉さんについて、独裁者だなんて言う人がいますけど、独裁者は議会を解散させて選挙をやろうとはしません。それよりも、議員同士の密室での会談ですべてを丸く治めて、国民の見えないところで政策を決定する今までのやり方のほうが、よっぽど独裁的です。

そんな小泉さんの任期もあと1年。
そのあとのことも考えると、かなり不安な要素は多いのだけれど、とりあえずは今年一年の小泉自民党に期待してみましょう。

白取特急車検場を読んでください。

2005-09-06 16:46:03 | 真面目な話
僕には人生の師匠が何人かいるのです。

師匠のほうが僕のことを弟子と思っているかどうかは別にして、僕が勝手に師匠だと決め付けている人。会ったこともない作家であったり、バイト先の店長であったり、師匠になる人はバラバラなのですが、僕が心から尊敬できる人です。

その中の一人に、白取千夏雄さんという方がいらっしゃいます。
ガロの副編集長を務め、現在も出版業界などで活躍されています。
僕が前に通っていた専門学校で講師もされていて、そこで出会いました。

特に親しくしていたわけではなく、白取先生からすれば僕は多くの生徒の中の一人でしかなかったと思いますが、僕は白取先生と出会えただけでも、専門学校に進学したことは無意味ではなかったと考えているくらいです。

白取先生がおっしゃられた言葉に次のようなものがあります。

「編集者という、情報の受信者ではなく発信者になるには、本物と偽者を見極める目をもたないといけない。ここでこうして話している俺も、偽者かもしれないんだからね」

僕はこの言葉を聞いたときに、この人を師匠にしようと決めました。

白取先生はとても強い方です。嫌いなものは嫌いとはっきり言い、ダメなものはダメと言います。本物と偽者を見極める目を持っています。ただ、白取先生はそれを決して僕たちには押し付けませんでした。
「ここでこうして話している俺も、偽者かもしれないんだから」
という言葉に、それが全て集約しています。

本物も偽者も、自分の目で見て判断することを、僕たちに教えてくれました。

自分に自信を持っている人は多くいます。僕のような弱い人間には、それだけでも憧れの対象なのですが、ただ、そのような人の多くは、自分の価値観を人に押し付けがちです。でも、白取先生は違いました。
とても強く、自分の考えをしっかりと持っているにも関わらず、僕のような人間の話にも、きちんと耳を傾けてくださいました。

とても強く、とても優しい方でした。

その白取先生が今、白血病で入院なさっています。
このようなことをブログで書くべきなのかどうか、とても悩みました。
ただ、白取先生がご自身でそのことをブログに書き、入院中も定期的にアップされています。
ブログを書くというのは、多くの人に見てもらいたいという気持ちがあるからであり、ここでそれを紹介させていただこうと考えました。

白取特急検車場がそのブログで、白取先生のホームページが白取特急です。

師匠が病気で苦しんでいるときに、僕ができることは何もありません。
どのような言葉をかけるべきなのか、その言葉も見付からず、ブログにコメントすら書いていません。
僕にできることは、白取先生が発信している情報を、多くの人に知ってもらうための手助けをすることしかないと思い、いつになく真面目な文章を書かせてもらいました。

多くの人が白取特急検車場を読んでくださり、何かほんの少しでもそれぞれの人生に影響を与えてくれることを、心から願っています。