コトハノチカラ

ビジュアル的センスが0の左脳人間が、
どこまで言葉だけで自分を表現できるか、
やれるとこまでやってみるブログです。

子猫の死

2006-07-25 23:55:16 | 真面目な話
今日、出勤途中に捨て猫を見つけました。

ダンボールの中に餌と一緒に入っているという、まさに基本の形の捨て猫で、黒と灰色の縞模様の子猫です。
僕が見つけたときには既にもう弱っている状態で、呼吸は荒く、目は開いたままで焦点があっていません。素人目に見ても、瀕死の状態でした。

僕は出勤中だったのだけど、このまま放っておいて仕事に行けるほど、人間として強くありません。
というわけで、まずは何とかして子猫ちゃんに元気になってもらわねばと、近くのスーパーにて牛乳を購入し、ストローを使って口に流し込みました。ところが、子猫のほうには牛乳を飲む力も残っていないようで、虚しく流れるだけでした。

こうなると、もはや僕には、頭や首を優しく撫でてやることしかできません。

このまま放置することだけはしたくなかったので、まずは近くにある市の出張所のようなところで相談をしてみました。
その結論としては、ゴミとして扱うことになり、市の収集課というところに連絡をして、引き取りにきてもらうという結論でした。

まだ生きているのに。

とても悲しくなり、できる限りのことはしてあげようと心に決めて、近くに動物病院がないかと聞くと、意外と歩いて1.2分のところにあることを教えてもらえました。

その足でそのまま動物病院に向かったのですが、ちょうどお昼の休憩時間。電話をかけても留守番電話になってしまって繋がらない状態です。

とにかく、そのまま動物病院の前に立っていても事態は改善しないわけで、子猫のところに戻りました。

子猫は、死んでいました。

ちょっと前までは呼吸の度に大きく上下していたお腹が少しも動いてなく、目は開いたままでした。

僕は市の出張所で教えてもらった収集課に電話をかけ、事情を話し、引き取りにきてもらうようにお願いして、会社に向かいました。


僕はひねくれた人間です。
牛や豚は平気で食べるのに、子猫の死には心を痛めるなんておかしいという気持ちもあります。
でも、僕はとても悲しかったんです。
心の底から悲しく、胸が痛みました。
世の中は矛盾に満ち溢れていて、僕自身も矛盾の塊です。どうして見ず知らずの子猫の死が、こんなにも僕の胸を苦しくさせるのか、説明することができません。
でも、それが僕という人間なのです。
説明する理由なんてありません。
僕は牛も豚も食べるけど、子猫には死んでほしくないと思う人間なのです。


ペットは人間の心を癒すための道具です。心があって、魂があっても、それを人は道具として使います。
だからこそ、最後まで責任を持つべきです。
あの場所に子猫を捨てた人は、「きっと誰かが拾ってくれて、幸せに生きていくんだろう」などと、淡い幻想を抱いて、自分の心を痛めることはないでしょう。
ダンボールの中にはバスタオルがひかれいました。缶詰のエサも置いてありました。
猫が嫌いなのではないのだけど、どうしても飼うことができなくて、誰かに拾ってもらうことを願って、子猫を捨てたのでしょう。
ですが実際には、子猫は死にました。
薄汚れたダンボールの中で、すぐそばを走る電車の騒音の中で、誰にも見取られることなく、子猫は死にました。
子猫を捨てた人は、その事実を知るべきです。
どうしても飼うことができないのであれば、自分の手で殺すなり、保健所なりに持っていって処分してもらうなり、最後まで責任を持つべきです。
そして、自分が子猫を殺したんだという事実を受け止めるべきです。


僕が子猫を撫でたときに、少しでも子猫に意識があって、少しでも僕の温もりを感じていてくれたらと願います。
自分が死んだことで、こうして心を痛めている人間がいるということが、子猫に伝わることを願います。


理由を説明することなんてできないけど、僕は子猫の死が無性に悲しいのです。
子猫を殺しておいて、その事実すら知らない人間がたまらなく憎いのです。

微笑みのタフガイ

2006-07-24 23:09:08 | 普通の日記
23日に後楽園ホールに行って参りました。
僕が親しくさせてもらっているキックボクサー、サトル・ヴァシコバさんの防衛戦があったのです。

ヴァシコバさんとはひょんなことから知り合ったのですが、ビックリするくらいの良い人なんです。
「キックボクシングとかやってる人のわりには良い人だよね」とか、そういうレベルではなく、僕が今までの人生で会ったことがある人全ての中でも、間違いなく1.2位を争うくらいの、良い人レベルなのです。

タイトルの『微笑みのタフガイ』は物販て売っていたヴァシコバTシャツに書いてあった言葉なんだけど、まさにこの言葉がぴったりな人なのです。

さてさて、試合の結果ですけど、ヴァシコバさんはTKO負けをしてしまいました。

フルラウンド戦った末の判定とか、カウンターでパンチをもらってKO負けとかならまだ納得できるのだろうけど、実際はクリンチの状態からバランスを崩して倒れるときに、偶然相手の膝が顔に入り、それでカットしてしまい、血が止まらずドクターストップ。相手を2度ダウンさせていて、ヴァシコバさんのほうには特にダメージがあったわけではないだけに、とてもとても悔しい敗戦でした。

ヴァシコバさんにメールを送りたいんですけど、こんなときにどんな言葉を言うべきなのかわからなくて、未だに送れていないんです。

「お疲れ様」とか、「次は頑張ってください」とか、ありきたりのセリフばかり頭に浮かんでくるのだけど、一番伝えたいことは、「たくさん勇気をありがとう」という言葉なのです。

本当に本当にありがとう。

足が痛い。

2006-07-20 21:37:40 | 普通の日記
一昨日、雨の中で久しぶりにしっかりと転びそうになり、動物的反射神経で転倒は免れたものの、左足のかかとを地面に強打しちまいました。

痛いです。とっても。えぇ、とっても。

現在は左足のかかとを地面につかないように、左足だけ爪先立ちで歩くという、プチスキップのような状況を続けていて、そんなこんなで今度は右足の膝の外側が痛くなってきました。
かなりピンチの状態です。

前のブログでも何回か書いたんだけど、どうも僕は膝が弱いのです。自転車に乗るようになってから、膝の痛みには悩まされ続けていて、今回も同じような痛みで、途方に暮れております。
前に行った病院で「膝が痛くならないように自転車に乗るにはどうすればいいですか?」と医者に聞いたところ、「自転車に乗らなければいいんじゃない」という、大胆かつ斬新な意見を頂戴し、軽く殺意を覚えた記憶が蘇りました。

左足のかかとは多分ただの打撲だから、放っておいてもそのうち治るだろうけど、右足の膝は関節の痛みなので、長引きそうで怖いです。

梅雨が明けたら本格的に自転車に乗りまくるはずだったのに、かなり暗雲が立ち込めて参りましたとさ。

再開。

2006-07-19 16:37:30 | 自転車の話
何事もなく中断したものは、何事もなかったかのように再開するものでして、何事もなかったかのようにこのブログも再開します。

さてさて、まずは自転車のお話から。

僕の自転車ライフは順調に進んでおります。
我が愛車 2006年モデル LOOK555 PINK。通称『PINK-MOMO号』をかっ飛ばし、今年はすでに3つほどレースに参戦しました。

まずは4月16日(日)に「ツールド草津」。翌週23日には「表富士自転車登山競争大会」。どちらも順位は中の上といった具合。
真中より上には行けるのだけど、そこからがなかなか伸びないのです。

3戦目は6月25日(日)の、「ツールド美ヶ原」。これは今まで出たレースの中で、最も過酷なものでした・・・
ツールド草津はレースではあるのだけど、温泉街を一周したりと、観光的な要素が強いもの。
表富士のほうはしっかりしたレースで標高差も1200メートルとハードではあるのだけど、急な勾配があるわけではなく、ダラダラとひたすら登るというようなものだったのですが、このツールド美ヶ原は勾配がハンパではないのです。
しかも、その急勾配は、スタートしてすぐにやってきます。山の上のほうの九十九折であれば、多少の急勾配であっても「あのカーブを曲がればきっと平坦になってるはず!!」と淡い幻想を抱くこともできるのですが、いきなりの急勾配はまっすぐのストレート。
顔を上げるとひたすら続く激坂が嫌でも目に入ってくるのです。
体よりも先に心が折れそうになります。

急な坂であれば、軽いギアを選べばよいわけで、多くの参加者はこの大会のために軽いギアを用意してくるのだけど、僕はいつものまま。わかる人にだけわかるように書くと、フロントは39-52。リヤは12-25なのです。
こうなると、ペース配分なんて言っていられる場合ではありません。とにかく足を付かないようにすることで精一杯なのです。
これがレースで、必ず頂上に行くという約束があったから頑張れたようなもので、一人でのツーリングとかだったら、間違いなく途中で引き返していました。

かなりヘロヘロになりながらひたすらゴールを目指していると、ゴール間近にはご褒美のような、平坦な道や下り坂が現れます。こうなると現金なもので、さっきまではペダルを一漕ぎするだけでもげそうになっていた足が急に元気を取り戻し、50キロオーバーのスピードでダウンヒルを滑走、そのままゴールへ駆け込みました。

順位は相変わらず中の上。やっぱりここから上の順位に行くためには、日々のトレーニングが必要なのだろうと、強く痛感するのでした。

でも、ゴールした瞬間はコースがつらかっただけに本当に感動で、リアルに少し泣きそうになり、リアルに少し泣きました。
自転車を始めたきっかけが、誰かに感動してではなくて、自分で自分に感動して泣きたいと思ったからだったので、これで目的はある程度達成されました。
甲子園や高校サッカーを見て泣いている場合ではないのですよU都君!!

どうも、これで終わりのような雰囲気になっちゃいましたけど、僕の自転車ライフはまだまだ続くのであしからず・・・