ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

アメリカで成功した日本人プロレスラー やり直し

2022年08月04日 | プロレス
かなり前に「アメリカで成功した日本人レスラー」というのを書いたのですが
結構バズっていたのですよね。これがかなり見立て違いな内容でして。
ので改めて整理しようと思うのですが。

もう多くのプロレス関係者がYouTube等で語っているので
既にネタバレ状態です‥

まあ、一番は何と言ってもジャイアント馬場ですよね。若い頃の。
猪木や新間氏が訴える!と脅し、やっとNWA総会に行った時
まざまざとジャイアント馬場さんの大きさを痛感させられたと。
「馬場に沢山儲けさせて貰った」と各地のプロモーターが寄ってくる。
新参者の新日本にはマイクラベールとビンスマクマホンしか後ろ盾が居ない。
アメリカではカンサスとかでドサ回りだった猪木のアメリカ修行。
悔しかったでしょうね。そういう事が「新日本プロレスブーム」を作って行くのですから。
一方馬場はアメリカのファイトマネーを力道山にかなり抜かれていたとか。

次がキラーカーンですかね?最近更新無いYouTubeのキラーカーンチャンネルですが
散々ご自身が自慢されていましたがWWFでTOP取り続けた事。
アメリカではメインがカーンで、中堅カードで社長の猪木が出ていたとか。
キラーカーンをプロレスに誘った北沢氏が
「阿保が調子に乗ると恐ろしいというか、アンドレの足を折ってねぇ」
と某チャンネルで話していた時、私は大笑いしてしまいました。
そんなカーンも新間、猪木、新日本に凄まじく中抜きされていたと。
当時自分で稼いだ金額が有ったら日本で厳しい生活する事無く
アメリカで何年も会えていない家族と暮らしていたでしょうね。

後、グレートムタ事、武藤敬司ですかね。
フロリダ、プエルトリコ〜WCWでトップレスラーのスティングとの抗争。
未だNWAがギリギリ存在していた頃リックフレアーに挑戦した事とか。
(アメリカでNWA戦した日本人レスラーは結構居ますが)
天才と呼ばれる所以か、映画スターになってしまったザ・ロックが
フラッシングエルボーを盗んだから、本人に「ロイヤリティー払え」と
冗談?で言ったら「勘弁してくれ」と。

そして大分間が空いてザ・グレートカブキやマサ斎藤が来るとか。
この2人のタッグはフロリダでのイメージが強いですが
マサさんはフロリダで、カブキはカブキが誕生したテキサスエリアがメインと
語るアメリカでプロレスジャーナリストをしていたライターが語っていましたか。

武藤やカブキが言ってましたが、当時は日本人はヒールじゃなきゃ稼げないよ!と。
今のWWEとは規模が違うし時代的にシーンも違いますが
新日本プロレスのメンバー達がAEW、ROHとのアメリカ興行で
ベビーで会場を沸かせている事は‥
時代も大きく移り変わりました。まあ、半世紀程違いますしね。

後、新日本からWWEに移籍しレッスルマニアでメインを取った中邑真輔は
中間クラスと‥コレはキラーカーンチャンネルに出演し
非難GO GOだった元ファイトの井上氏が言っていましたな。

商業的に大きく成功した日本人というとなると、こういう感じなのでしょうかね。

今年ラジオに出演したグレート小鹿が「野球の大谷選手は凄いねぇ!
プロレスには馬場正平が居ても馬場さんはプロレス界、
同じ「ショウヘイ」でも大谷翔平は全家庭のスターだから
スケールが違うよねぇ、と語っていたのが
まあプロレスファンとしての残念な現実ですな。
多様化した大衆娯楽でもアメリカのスポーツ界は
フットボール、バスケット、野球、ボクシング等の超メジャースポーツに
プロレスというのはかなり開きが有るでしょう。

以前、某YouTubeチャンネルに出演した
WWEでも活躍した田尻は「日本人は猿扱い‥」と
まあ日本人男性としては分かっていつつも哀しい現実が‥。

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2 コメント

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過日の日本マット界は… (凸椪)
2022-08-04 15:23:08
まだ馬場や猪木、大木金太郎らが現役バリバリの頃、専門誌上で来日した外人レスラーがセミ前のアンダーカードを花道奥で眺めながら渡米したら“使えそうな”若手がゴロゴロしているのに惜しいなぁ…」と呟いていた、という記事を読んだことがありました。プロとしての基本が出来上がっていて、ある程度体格に恵まれていたら、明日からでも米マットで使って貰えるレスラーは日本プロレスでは少なくなかったのかと想像しました(現在のような他団体時代はわかりませんが…)。
やはり過去においては、G馬場が最右翼なのは異論がありません。まだ師匠・力道山健在の頃に、アメリカ遠征時、WWWF・NWA等の世界タイトルに連続挑戦した実績もあり、当時の白黒フィルムを視ても(後年の馬場と違って)2メートルの体躯でスピーディなマット捌きは、却って力道山もその活躍と相俟ってジェラシーを覚えるほど…と門茂雄氏の著書に載っていました。力道山が亡くなったのを米本土で聞いた馬場を、当時、世話役を仰せつかっていたグレート東郷が帰国するのを引き止め、日プロを離脱するように勧めた逸話も聞きました。馬場の高額なギャランティから“抜いて”いたのは、どうも力さんだけではないようです(笑)。
馬場は遠征時代に米マット界の実情をビジネス面からも分析していたらしく、まず大型であり、身体能力に優れ、各地区の環境に合わせて融通の利く脳力を持った人材がレスラーとしてトップを採れることを熟知していたスグレ者だったと思います。馬場の後継者として誰よりもJ鶴田を目していたのは、鶴田が五輪代表だったというだけでなく、その点で馬場には「先見の明」があったのかと思います。まぁ鶴田も完全に期待に応える前に病を得たのは気の毒でしたが…。
カーンやS小林、M齊藤、カブキも一応の成功者とは言えると思いますが、(実力的にはともかく)長期に米マット界でトップに居座るのは難しかったのかと思います。ヒロ・マツダやM・ヒトのように定着した人もおりましたが、あくまでもローカルでのことで、団体所属のレスラーとして派遣されていたカーンやG浜田、カブキなどはフリーにならない限り、新日・全日に支払われていたであろう彼らのファイトマネーからマージンとして“抜かれる”のは当然なのかと思います。馬場は最終的に日本マット界に戻ることを主眼にしていたため、力道山時代には“ピンハネ”も容認していたのかと想像します(別の話として、すでに婚約していた馬場は早期にマット界を引退してから、貯め込んだギャラを資金にハワイか西海岸で事業を始めようとしていた説もありましたが…)。
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凸樫さん (太郎)
2022-08-05 23:47:49
そう、ストロング小林を忘れておりました。
国際時代はAWAで、新日本で猪木に負けた後はWWWFでサンマルチノに挑戦したりしていたのですよね。
日プロだと誰でしょう。高千穂や戸口辺りでしょうかね。
戸口はあの性格というか‥よく上から目線で武勇伝を語ってますが。
(イエスマンを好む馬場に好かれないのも理解出来る‥)
ブッチャーの自伝で初来日した時、日本のレスラーはしっかり鍛え上げられていて
初戦の吉村の事を持ち上げていましたな。(吉村はメインイベンターですが)
そういえば馬場はバディーロジャースのNWAに挑戦が決まっていたのに
カールゴッチとビルミラーがロジャースをシメて怪我させたので
ゴッチを嫌っていた説なんて書かれていました。まあ、馬場とゴッチは手が合わない気がしますが。
鶴田は馬場の後継者でしたねぇ。馬場のお膳立てが有ったとは云えAWA王者として
防衛サーキットやっていましたし。日本デビュー前にテキサスで
ドリーファンクJrのNWA世界タイトルに挑戦し60分フルタイムやったそうで
デビュー前から規格外でしょうね。しかし鶴田がプロレスをそんなに好きになっていなかったからか?
鶴田の試合で燃えたのはテリーファンク引退興行でブロディーに勝った時と
三沢をコテンパンにやっつけてしまった頃位でした。
東郷なら馬場のギャラを相当抜くでしょうね。抜かりなく。
浜田も新日本にかなり抜かれていたそうですね。しかし逆にメキシコに来た
日本人選手のギャラを結構抜いていたと、誰かがYouTubeで話していましたな。
馬場は40歳で引退したかったそうですね。日プロと息のかかった人間に口説かれて全日立ち上げたと。
それがワンマン経営で成功する経営者との実力見せる事になりましたね。
相当、シブチンだった事は有名ですが。
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