生活に密着した音楽の歴史の差に気がつきますね。時代なのかもしれないですね。アメリカも韓国も日本もECもなんだかおかしなことばかり毎日マスコミは流してるけれど、あまり余計なことは情報に流さないほうが良いかも。懐古主義では無いですがますます生きてゆく為の目標を失ってしまっている。毎日いろいろなこと(ストレス)を音楽を聴きながらリセットする習慣を持つとか。あまり(作為的)情報に振り回される必要無いんじゃ無いか。みんなと同じでなくても寂しく無いよ。一部のコピーライターが提唱するライフスタイルなんか全然中身無いじゃ無いか?
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単に最後のOの文字を入力していないだけなのに気がつかない。もうろくしたのかなと書こうとして検索しても出てこない。耄碌という漢字が素直の出てくれないのだ。その他にも言葉使いが違って翻訳されるのだ。パソコンというかインターネット上の日本語自体が時代で変遷して行っているのがわかる。そういう意味で入力したわけでは無い、現代語訳が登場することがしばしばあるようで。まさかの結果が出てくるように、米国選挙もそんなことになりそうだし、韓国大統領も漫画のような話だし、日本も御多分に洩れず信じられない毎日の出来事を平然とマスコミは流し続けるだけだし、見ている側もなんの関心もなく忙しそうにイライラしながら誰が叫ぼうが、転ぼうが「わたしにはかかわりないことでございます。」と意味のわからない祭りに興じてる様はどうなんだろう。なんだかますます未練がなくなってきました。自分さえしっかりしていればという時代は去って、さらに変貌してゆくことでしょう。アメリカのギタリスト レイ オビエドはラテンの匂いのするコンテンポラリーミュージシャンですが, アルバムは優しく心休まるのでは無いかなあ。