空波とともにⅢ

NC750X(初号機)とPCX(二号機)のカスタムとツーリングの「私的記録庫」です。(「空波とともに」の第三段♪)

10/07-08 中国制覇CT4(三原城 63)

2018-12-17 04:58:14 | 二百名城巡り

2018/10/07(日)-08(月・祝)に出かけた

「中国制覇CT(キャンプツーリング)」の4です(10/07)


通常であれば下道4時間200kmの尾道



岡山から倉敷の渋滞エリアを

想定外のスムースさで抜けて

尾道を越えて

三原城に到着♪



バイクを停められるところを探してグルグルと周りましたので



15分ほど回りましたが9時過ぎ




城そのものは迷うことなき駅に隣接?



新幹線も停まるでかい駅ですので

マンホールカード配布の観光案内所は分からず

改札で尋ねて(笑)



無事ゲット♪




名城スタンプは駅の南側・ペアシティ西館1Fに



ハイコチラ♪



無料の観光施設ですが



駅前再開発の空き店舗対策施設と言った感も(汗)


バイクへ戻って



であるかぁ~



駅舎がめり込んだ様な天守台



チョットかわいそうというか

良く残したね
と次は新高城デスwww




◆172 三原城 63/200 ★


1567(永禄10)年ころに毛利三川の小早川隆景により整備が進められ、天正8(1580)年から10年に拡張後、新高山城から本拠を移転。
瀬戸内海を軍事的に掌握するための城郭と軍港の機能を備えた城。
隆景の死後、関ヶ原合戦後には福島正則が広島城、養子の正之が三原城に入城。
本丸北側の先端部に江戸城と同規模の天守台が設けられたが、天守閣は建設されなかった。
1619(元和5)年に福島正則の改易後、紀伊和歌山藩主・浅野長晃の一門・浅野忠長が入城し広島城の支城として幕末まで利用された。
明治27(1894)年、山陽鉄道三原駅建設に伴い、城地は駅用地に、石垣は糸崎港建設用材として大部分が撤去される。
その後、国道2号の敷設の埋め立てにより港から離れ、昭和50(1975)年の山陽新幹線開業、高架化により本丸、天守台が寸断され現在の姿となった。

※スタンプは「みはら歴史館」0848-62-0450(ペアシティ三原西館1階)