第2章4部 古代ギリシアと古代ローマの食文化
ここからは、古代ギリシアと古代ローマの農耕や食生活について見ていきたいと思う。
古代ギリシアの農耕と食生活
古代ギリシアのポリスでは原則として自給自足が目指されたが、ほとんどの場合で植民地や貿易で得た物資が無ければ人々の生活は維持できなかった。
ギリシア本土での農耕は基本的に灌漑を利用しない天水農法であったが、野菜は例外的に限られた土地で灌漑農法によって栽培されていた。家畜の糞を利用する肥料は既に使用されていたようだが、家畜の絶対数が少ないために地質を維持するのはかなり難しかったようだ。
また、土壌の流出を防ぐために農地を階段状にするなどの工夫を行ったが、それでも土壌の喪失は深刻だった。哲学者のプラトン(紀元前427年~前347年)は、森林伐採によって引き起こされた土壌流出によってアテネの土地が岩だらけになったと主張している。先に見たような、初期のメソポタミアで農耕が破たんした都市化を原因とする土壌流出がギリシアでも起こっていたと推測される。
このような中で、ギリシア人はブドウとオリーブの栽培に精を出した。当時の記録にもブドウの苗の数が事細かに書きこまれ、ギリシア人にとってブドウが極めて重要な果実だったことが読み取れる。実際に、ギリシア人の主な飲料はワインで、今で言う「赤ワイン」が好まれた。古代ローマでは逆に「白ワイン」が好まれたという。
ブドウが特定の場所に密集して栽培されたのに対して、オリーブの木は畑や街道沿いに比較的散らばって植えられていたようだ。オリーブの実から油を採る採油所は各農村や都市に作られていた。
ギリシア人は炭水化物を主に大麦と小麦から摂っていた。大麦はモミのまま火を入れてモミガラを除き、粉にして水や油、蜂蜜を加えてこね合わせて、かゆ状にして食べた。これはマーザと呼ばれる。
一方、小麦はパンやガレット(粉ものの薄焼き)にして食べるのが一般的だった。尚、古代ギリシア・ローマのパンについては別途記載する予定である。
豆類も貴重な炭水化物源であり、またタンパク質の摂取源にもなった。豆類の中ではソラマメ、ヒヨコマメ、レンズマメなどが栽培され食べられた。
野菜類としては、ニンニクとタマネギが主に食され、これ以外にクレソンやカブなども食べられていたことが記録されている。
ポリスの中央部には神殿が築かれ、ここで執り行われた儀式はギリシア人の生活と密接に関わっていた。ウシ、ヒツジ、イノシシ、イヌはお供え物として神々に捧げられ、その後人々にふるまわれた。それ以外で一般の市民がこれらの肉を食べられる機会はなかったと考えられる。これ以外の肉は野鳥や野獣を捕らえて得ていたようだ。
海上貿易を生業とすることから、海の魚もよく食べられていた。ローマの食事に欠かせない「ガルム」(魚を発酵させた調味料)の原型はギリシアで生まれたと考えられている。
これら以外にギリシア人の食卓には、チーズや蜂蜜、そして、メロン、ブドウ、イチジク、ナシ、リンゴ、アーモンドなどの果実が上り、いろどりを添えていたようだ。