酵母の栽培化
パンや酒を作るために利用されてきた酵母は、人類の生活や文化に必要不可欠なものだ。
それでは、酵母とは何者だろうか。こう問われて、はっきり答えられる人はそういないのではないかと思う。
酵母とは単一種類の微生物ではなく、カビやキノコなどの仲間のうちで、一つの細胞で独立に生活するもの(単細胞生物)の総称だ。現在までに、約1500種の酵母が知られているが、この中で食品に利用されているのはほんの数種類だ。特に、パン酵母、ビール酵母、ワイン酵母、清酒酵母はすべて「サッカロマイセス・セレビシエ」という同じ種類の酵母になる。
近年の研究から、食品に利用されている酵母は野生に存在しているものではなく、長い年月をかけて人為選択を受けることで品種改良進んだ結果生み出されたことが分かってきた。つまり、ムギやイネなどと同じように「酵母の栽培化」が行われたのだ。
研究によると、サッカロマイセス・セレビシエは約30万年前に中国で生まれた。そして約1万5000年前に中国から世界各地に広がる。おそらく人の体に付着して運ばれたのだろう。そして、その土地それぞれの発酵食品に合うように品種化が進んだと考えられる。
食用酵母は炭酸ガスとアルコールを作るだけでなく、さまざまな有機物を作ることで、食品の味や香り(風味)などに関わっている。食品ごとに好ましい風味は変わるため、それに合うような食用酵母が人為選択されてきたのだ。その結果、人類が利用している食用酵母にはたくさんの品種が存在している。
例えば、ビールでは「フェノール臭」が好ましくない臭いとされている。中でも、4-ビニルグアイヤコール(4-VG)と呼ばれる物質の生成はフェノール臭の主な原因となるため、特に嫌われている。面白いことに、パン酵母、ビール酵母、ワイン酵母の遺伝子が比較された結果、他の酵母と比べてビール酵母では4-VGを作る酵素がほとんど働かなくなっているのが見つかった。これはビールに合った酵母を人為選択してきた結果だろう。
ところで、あまり知られていないことだが、ほとんどの発酵食品では酵母による発酵と乳酸菌による発酵が同時に起こっている。食品によって、どちらの発酵が強く起こるかという違いがあるだけだ。
実は、多くの場合、酵母と乳酸菌はお互いにくっついて生活している。酵母の方が大きいので、小さい乳酸菌が酵母にペタペタくっつく感じだ。市販されているドライイーストはパン酵母を乾燥させたものだか、この中にも乳酸菌がたくさん含まれている。
このように酵母と乳酸菌は結合して、栄養素のやり取りなどを行う「共生」という関係を結んでいる。しかし、この共生関係が強すぎると、思い通りの発酵食品が作れない場合がある。例えば、清酒造りで乳酸発酵が進み過ぎると、酸っぱくなる「酸敗」と呼ばれる失敗につながる。そこで、乳酸菌との結合が弱い品種が清酒酵母として使用されている。この品種は清酒造りに適したものとして選択されてきたものと考えられる。
このように、食用酵母は人類と特別な関係を結ぶことで独自の歴史を作ってきたと言える。