騎馬遊牧民の誕生
遊牧民は一つの場所に定住することなく、一年を通じて居住する場所を何度か変えながら、主に牧畜によって生計を立てている集団である。多くの場合、数家族からなる小規模な集団で家畜の群れを引き連れて移動を行う。ただし、厳しい冬の季節は数十から数百の家族が集まり助け合うこともあるそうだ。
このような遊牧民は、草原地帯で農耕を営んでいた人から誕生したと想像される。これには紀元前2500年頃からの乾燥化が大きな要因となっていると考えられる。この遊牧民誕生の経緯については既に第一章の「放牧から遊牧へ」で触れているので、ここでは、高い機動力と軍事力を発揮することで世界史に大きな影響力を及ぼした「騎馬遊牧民」について見て行こう。
騎馬遊牧民が高い機動力を発揮するためには「車」と「ウマ」が必須だった。
車によって輸送能力が格段に向上する。この車を作るために最も重要なのが「車輪」だ。車輪は紀元前3500年頃にメソポタミアで発明され、エジプトやアジア、草原地帯など各地に伝えられたと考えられている。車輪といっても、木の板をつぎ合わせて円形状にし、中心部分に心棒を付けて外周を動物の皮で覆うといった簡素な作りだった。しかし、ソリのように地面を滑らせて運んでいたそれまでよりも輸送能力ははるかに向上した。
ウマの特徴と家畜化については既に第一章の「ウマの家畜化」で述べているが、騎馬に特に不可欠なのが金属製の丈夫なハミの開発だ。そのために、草原地帯に青銅器文化が伝わる必要があった。中央ユーラシアの草原地帯では紀元前10世紀~前8世紀になって、青銅器製のナイフや斧などと共にハミが作られるようになった。その結果、ようやく騎馬遊牧民が誕生することになるのである。
騎馬遊牧民は、農耕民に比べて人口あたりの軍事力が極めて高かった。農耕民は農繁期には農地で重労働に明け暮れており、このため農閑期以外は少人数の動員しかできない。また、日常的な軍事訓練も難しいため、一人ひとりの戦闘能力も高くない。
対して騎馬遊牧民では、ほとんどの成人男性が日常的にウマに乗り、弓矢の訓練を行っていたとされる。ウマは人間に比べて巨体で重量があるにもかかわらず、短時間であれば時速60キロメートル以上で疾走できるため、集団で騎射を行いながら一斉突撃を行い離脱するという騎馬遊牧民の戦法の前では農耕民の歩兵集団は無力に等しかった。また、陣地を容易に移動できるという点でも農耕民よりも有利だった。
彼らは、匈奴、スキタイ、パルティア、アケメネス朝ペルシア、インド・アーリア人、フン族、鮮卑、突厥、ウイグル、セルジューク朝、モンゴル帝国などにおいて世界史に大きな足跡を残すことになる。