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ポジティブな私 ポジ人

二つの世界を行き来した日々

わずか数年前の事なのに、随分遠い日の事のように感じられる。

つい3年前まで、5年間ダブルワークをしていた。
メインで働いている会社には、内緒。

我が家は共働きで、私は週5でフルタイムで働いていたけれど、子供達の大学の学費はかなり家計を圧迫した。
何とかしなければと、土日のどちらかを別の仕事に当てようと考え、探した。

時給の良い人材派遣の仕事を見つけ、運良く採用された。仕事内容はホテルや料亭、お寿司屋さんの料理の配膳である。

配膳の仕事は、高校時代に喫茶店で夏休みの数日間、ウェイトレスをしたくらいのもので、ド素人も同然だった。

派遣の日程は、基本事務の仕事がお休みの土日に入れてもらう様お願いしていたが、直前になってから突然決まる事も多く、平日、事務の仕事を5時に終え、配膳の仕事場へ猛ダッシュで向かう事も多々あった。

馴れない仕事ではあったが、お寿司屋さんは作務衣を着ての配膳で、客層もそんなに気取ったお客さんも居なかったので気楽だった。

問題はホテルや料亭だった。
着物を着用してのお仕事で、初めは着付けに時間がかかり、間に合わないのじゃないかとドキドキした。
急げば急ぐほど手が震え、後ろ手で作る帯がうまく形にならず焦った。
ある時はちゃんと着付けが出来たと思い、出ていったら帯がほどけていたことも…。そんな時はお姉さん達が、目ざとく見つけ、寄ってたかって、直してくれた。

事務の方の会社では、年齢的に私より年上の女性は、一人か二人くらいのもので、9割が年下だ。
しかし、配膳のお仕事へ行くと、私は周りの人より、年下で下っ端だった。
ホテルでは、ベテランのお姉さん達によくたしなめられたり、叱られたりした。
この年で叱られる事は、逆に何か新鮮で、70歳前後のお姉さん達が、母の様にも感じられた。

総じてお姉さん達は、キリリと美しく、着物姿も粋で素敵だった。
日本の民族衣装着物は、年齢を増すごとに、身に着けている人の魅力を引き出す衣装であると言う事を強く感じた。

配膳のお仕事を少しずつ覚えていったが、事務職と勝手が違うので、随分てこずった。
お料理や飲み物を、お客様のどちら側から出すのかを教わったり、聞いたこともない食材を使ったお料理の名前を覚えて、お客様に伝えたり、着物のたもとを汚さず、美しく配膳しなければならなかったり、やり慣れない仕事は結構大変だった。

また、ホテルで出される料理は、材料の牛肉のブランド名、旬の野菜や魚などが初めて聞くような珍しい名前の物が多かった。
また、料理名も、手の混んだ料理であるが故に、「〇〇の〇〇風〇〇」と一品一品が長い名前で、これがカタカナになると、「〇〇の〇〇風フリカッセ」「〇〇のポワレ風〇〇」もう、何が何だか…。
料理名だけでも必死なのに、「この食材は何ですか」と言う質問がお客様から良くなされる。これには、毎回覚えきれずに「少々お待ち下さい」を連発し、裏へ確認しに行くことが毎度のことだった。

私が最もワクワクしたのは、中島公園にほど近い場所に位置する料亭の仕事を依頼された時だった。
各界の要人や有名人が訪れるそのお店は、二十歳の頃から渋い外観に魅了され、ずーっと気になっていたお店だった。

店名の記された大提灯を頼りに、表門をくぐり、右手に小さな枯山水をながめながら、広い石畳を進むと格子戸がある。
聞くところによると、50年は優に超えている古い建物だが、格子戸だけは近代的な自動ドアだ。
中へ入ると、玄関の銘木の式台が美しい光沢を放っており、上り框を超えると一面、目にも鮮やかな緋毛氈が敷き詰められている。
私は緋毛氈を見る度に、気持ちが高揚した。

料亭の仕事が入ると、私は嬉しくてたまらなかった。
裏口から入り、出汁の良い香りの漂う厨房を横目に、急勾配の木造の階段を上がり、洗い場を抜けて更衣室へ向かう。

更衣室の壁一面には、様々な美しい着物がかけてあり、お姉さんの指示で、今日の着物が決まる。
着物を着て、お化粧を直し、お店へ出ると、そこからは非日常が始まるのだ。

日夜繰り広げられる、華やかな宴。
美しい器に飾られた、見たこともない食材の数々。季節ごとに添えられる、可愛らしい花や美しい枝葉。繊細なグラスに盛り付けられた一口の高級食材。
料理はアートだ。
お正月には、お料理もとりわけ目出度い賑やかさに溢れ、いつにも増して珍しく、小粋な器の数々。そしてそれらに盛られた正月料理の色、形、彩りの鮮やかさ。
私は、様々なお料理を運びながら、それぞれの器と料理の盛り付けの美しさ、素晴らしさに感動していた。

ダブルワークは肉体的に結構辛くはあったけれど、二つの世界を行き来する様で面白くもあった。

お陰様で、子供達は無事に大学を卒業し、私もダブルワークから解放された。
焼け石に水状態だった収入と支出のバランスも、何とか焼け石が冷やせる状態に落ち着いた。

振り返るとがむしゃらに働いていた日々が、今では夢の中の出来事の様に感じられる。
あの何十畳もの大広間で、人々が目に鮮やかな料理の数々に舌鼓を打ち、酒に酔いしれた騒がしくも楽しい宴の日々。

今、あの料亭は、どうしているのだろう。お寿司屋さんや、ホテルも…。

緊急事態宣言下の“歓楽街すすきの”の今を思うと、やるせない。


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