幼い頃に観た映画の題名を探ろうとして、グーグルで色々検索していたところ、「雌雄眼(しゆうがん)」という言葉に出会った。初めて知る言葉だ。
自分の持っている岩波書店の広辞苑(新村出編 第二版補訂版)には掲載されていない言葉だったので、最近の言葉なのだろうか。
意味は、左右の目の大きさが違うという事を指すのだそうだ。
ネット上では「雌雄眼の魅力」とか「雌雄眼はモテる」などという言葉もチラホラ見られ、雌雄眼の芸能人が紹介されていた。
しかしながら、紹介されているタレントたちは、およそ両目の大きさが違うとは指摘されなければ分からない程度である。おまけに、元々美しい顔立ちの方々だ。魅力があるのも、モテるのも、雌雄眼のおかげとは言い難いと私は思った。
私こそ、顕著に左右の目の大きさの違いが分かる「雌雄眼」だ。
子供の頃から私の右目は一重(ひとえ)瞼で、左目は二重(ふたえ)瞼だった。
それが、私の数あるコンプレックスの中の一つだった。
鏡に映すと、私の顔は自分では見慣れた顔だが、人が見ると左右の目が逆転する為、奇異な顔に映ると思っていた。だから、友達とトイレに行った際に鏡があると、鏡の中に映った自分の顔を見られるのが嫌だった。
父は、私の悩みを知っていて、「大きくなったら、手術で治すことが出来る」と私を慰めてくれるのだった。
かく言う父も、左右の目が一重瞼と二重瞼の雌雄眼であった。
父の目は、私と一重と二重が逆の目なので、父と向き合うとまるで鏡に写ったようであった。遺伝子の為せる技だ。
子供の頃、父の周囲の人からは、私は父にとても良く似ていると言われた。父親に似た娘は幸せになるともよく言われた。
しかし、私は父に似ていると言われても、あまり嬉しくはなかった。父は特別ハンサムな訳でもなく、似ている点をあげれば、”団子っ鼻に下ぶくれの顔“おまけに、雌雄眼。
似ていると言われて、女の子としては嬉しいことは何一つ無かった。
しかし、「男親に似ると女の子は幸福になる」という伝承について、今振り返ってみると子供の頃には色々あったものの、それ以降は多少の波風はあったが、結婚し子供を二人育て上げ、衣食住足りた何の不自由も無い現在の生活である。これを幸福と呼ばずしてなんと呼ぶだろうか。
伝承通り、父に似た私は幸福になったと言えるだろう。
逆に、「女親に似ると男の子は幸福になる」という伝承は無いのだろうか。
任天堂DSというゲーム機があるが、そのゲーム機の機能の中に、「似てる度カメラ」なる物があった。
二人並んで顔をカメラに映し、どれだけ似ているか判定するものだ。
もう10年以上前の事になるが、私と息子と並んで「似てる度カメラ」に映してみたところ、“双子級”という判定が出た。
息子はどう感じたかはわからないが、私は嬉しかった。
息子が小さかった時、彼も雌雄眼であった。息子は私の父と同じで、私と向き合うと鏡に映ったようになった。
成長と共に、彼の一重瞼は、知らぬ間に二重瞼になっていた。
そして私も、年齢のせいか一重瞼が、いつの間にか二重になっていた。ここまでも、双子級。
そんな母親に似た息子、幸福になって欲しいと願わずにはいられない。
そして、もし息子に子供が出来た時、遺伝子は三度(みたび)合わせ鏡の雌雄眼の奇跡を起こすのだろうか。
そんな日が来るのかどうか、まだまだわからない、ずっと先の未来の事だが…。