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ポジティブな私 ポジ人

新聞紙を踏む時

我が家の床は絨毯で覆われている。
これまで随分いろいろなものをこぼしてきた。

水をこぼすならまだしも、ジュースや醤油、タレなどをこぼした時には、「あーっ、もう」と口をついて言葉が漏れてしまう。

誰かかれかがこぼすので…いや、そのほとんどがほぼ私なのだが、そんな時の後始末が上手になった。
古布に素早く汁を吸わせて、清潔な水を多めに含ませた雑巾と、乾いた雑巾とで、交互に拭くと何とか汚れは落ち、最後に余分な水気をしっかり拭き取ったら、最後の仕上げに新聞の出番。

まだ湿気を含む絨毯の上に置いたら、私の全体重を足裏にのせ、濡れた周辺を細かく移動しながら踏み続ける。
新聞の吸水性は素晴らしい。
何枚か濡れた新聞を変えながら踏み続け、ほぼ水分が吸い取られたら、最後に乾いた新聞を、事故現場にかぶせておく。誰かがうっかり踏んづけたりして、靴下を濡らさないように。
やがて、乾いたら跡形もなく元通り。

こんな風に、容赦なくいつもなら新聞を踏みつける私だが、たまに読みかけの開いた新聞を踏むとき、ふと微妙な気分になる。

私が子供の頃、日曜日など父はよく6畳間の部屋の床に新聞を広げて読んでいる事が多かった。
狭い部屋を横切ろうと私が無頓着に新聞を踏んでしまおうものなら、そのたびに「新聞を踏むな!」と父から叱られていた。

幼い私はそれがなぜいけない行為なのか、考える事もなかった。
少し大きくなってから、様々な文字が書かれた本のようなものだから、書いた人に失礼だからだろうかと思うようになった。
その本当の意味を知ったのは、後になってからのことだった。

新聞には戦時中に“御真影”と呼ばれた“昭和天皇の写真”も掲載されることがあった。

母からよく聞かされたのは、母が小学生の頃、昭和天皇の写真は教室の扉付きの戸棚に収められていて、日に一度扉は開けられ、当時“現人神(あらひとがみ)”とみなされた昭和天皇の写真に最敬礼させられていたという。その際に、写真をまともに見ることは一切許されなかったそうだ。だから、一度もまともに見たことが無かったという。

そんな慣習があったので、昭和天皇の写真が掲載されている新聞紙は決して踏んではならないと、私の親世代は教育を受けていたらしい。
いつ掲載されるともしれない天皇の写真が載った新聞を踏むことは、不敬に当たるとして、日頃から踏まないように気を付けなければいけなかったのだろう。

私が生まれた時期は、戦後軽く10年は超えていたし、私が父の周りでチョロチョロしていた頃は、すでに戦後15年以上は経っていた。
もはや天皇は現人神ではなく、人間宣言もして久しい時代だったのに。時代に刷り込まれた思想は根が深い。
父は戦争に行くことはなかったけれど、筋金入りの軍国少年だった。
三つ子の魂百まで。雀百まで踊り忘れず。
父が私に新聞を踏まないようしつけていたのもその名残りだろう。条件反射のようなものだ。

そんなわけで、私も未だにうっかり読みかけの新聞を踏むと、一瞬「いけない事」と「父」とをセットで思い出すのだ。

そして国を盲目的に信じていたその時代に生きた人たちが、終戦と同時に価値観が180度転換してしまった心のショックの大きさは如何ばかりかと思い、戦争の異常さをつくづく感じるのだ。

そして、平和である現代の危うさも、今身近に感じながら、生きている。



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