見出し画像

ポジティブな私 ポジ人

1994年の扇風機

長男が生まれた1993年5月、私は新米ママになった。
妊娠中は、育児書を何冊も図書館から借りてきて、育児の本番に向けて万全の準備をしてきたつもりだった。
ところが実際に子育てが始まってみると、何一つ育児書のとおりには行かなかった。
そりゃそうだ。赤ちゃんが100人いたら、その子にあった100通りの育て方があるのだから。それなのに、自分の子供をよく見ずに、育児書ばかり見ていた。

息子は生まれた時から少食だった。育児書に書いてある量のミルクを飲まない、というだけで「どうしよう」と途方に暮れたりもした。
今考えると、育児書を読みすぎて、完全に”頭でっかち“になっていた。

確か、月に一度保健婦さんが訪問してくださって、様々なアドバイスをしてくれた。
初訪問は5月だったと思うが、室温は18度と低く、私は産まれたばかりの息子が寒く無いように、短肌着と長肌着を着せ、タオルケットとバスタオルを掛けていた。
すると、保健婦さんは「これは着せすぎ」と言って、肌着を一枚脱がせ、バスタオルを除いてタオルケットだけにした。
それが正しいのだろうが、私は小さな息子が寒いのでは無いかと心配だった。
でも、その日から保健婦さんの指導どおり、“薄着”という事を心がけて育てたのだった。
その結果、息子は丈夫に育ったが”汗っかき“になった。

その年は記録的な冷夏で、お米が不作だった年だ。米不足が深刻で、日本はタイから「タイ米」を輸入したほどだった。
タイ米はインディカ米で、見た目は日本のお米よりひょろ長く、粘り気のないパラリとした米だった。
今ではエスニック料理などでよく知られるインディカ米だが、当時の日本人のほとんどが初めて出会うお米だった為、多くの人が味や米の独特な匂いに不平を漏らしたりした。
そんな声が上がると、良識ある人達からは、せっかくタイから分けていただいたお米に文句を言うのはいけない、という声もあがった。

余談だが、今年2023年は、卵が不足した。鳥インフルエンザにより大量に鶏を殺処分した為だが、米不足から30年後の卵不足。主食の米不足は、卵不足よりも深刻だった。

翌1994年は、今度は記録的な猛暑だった。
前年、薄着で通した息子は、猛暑の中で汗をかきまくり、あせもだらけとなった。

当時、我が家には扇風機が無かった。
あせもだらけの息子のためにも、扇風機を1台買おうと決め、中心街の電気店へ行ったが、どこも売り切れで、ニュースになるほどの年だった。
米不足の翌年は、扇風機不足。

「もしかしたら、町内の小さな電気店の方が扇風機があるかも知れない」
そう思い立ち、夫と連れ立って家の近くの電気店へ行ったところ、最後の1台が奇跡的に残っていた。読みが当たった。大喜びで、直ぐに買い求めた。

その直後だった。60代半ばと思われるご夫婦が来店した。店員さんが梱包のために店頭からレジへ移動する最後の扇風機を、「あらー、売れてしまったのね」とうらめしそうに見つめていたのが忘れられない。

家を出る時刻があと数分遅ければ、高齢のご夫婦の物になっていたかもしれない「最後の1台の扇風機」。
手に入れることができた幸運を喜びながらも、かのご夫婦に申し訳ないような複雑な気持ちだった。

その日から30年経過した今、私達夫婦はあの時扇風機を手に入れられなかったご夫婦とほぼ同じ年齢に達した。暑さが身にこたえる年齢である。あのご夫婦はあの後、扇風機を手に入れることは出来ただろうか。Amazonもネット通販も無い、遥か昔の時代だ。

先週、いささか暑さに耐えられず、扇風機を納戸から出した。その時購入した扇風機である。30年経った今も、現役で活躍している。

毎年、この扇風機を使う度に思い出しては、夫と語るエピソードだ。



コメント一覧

ポジ人
@nice_day002 おはようございます、ken様。
米(こめ)ントありがとうございます(笑)
 
夫が回し続ける扇風機に、電気代がいくらになるか、ドキドキが止まらない毎日です。
nice_day002
おはようございます。
平成6年でしたか、コメ不足のことを思い出しました。
30年の扇風機、思い出がいっぱいですね。

今年も猛暑、電気代が高く扇風機も重宝しそうです。

ken🌺
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「思い出」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事