その始まりは、娘が大の毛虫嫌いであることが発端だった。
娘が小学2、3年生の頃だった。
小学校までの通学路は緑萌える頃になると、多くの幼虫がアチコチに姿を現すようになる。シラカバの木に特に毛虫が多いような気がする。この季節になると嫌でも目につく毛虫に娘は怯えていた。とにかく娘は毛虫が「大っきらい」なのだった。
ある日ふと、大好きなものが大嫌いなものに変わってしまったら、娘はどうするのだろうと思った。
日々、娘は「お母さんだーいすき」と言っては抱きついてきた。もし、私が毛虫になってしまったら、娘はどうするだろうか。「毛虫になったお母さん」だったら、大嫌いになるだろうか、それとも…。
そんな発想だった。
私が毛虫になるには、やはり魔法使いが出てこなけりゃならないなあ。と言うことで、ファンタジー小説としてチラシの裏側にボールペンで書き始めた。
頭の片隅には、ハリー・ポッターで大成功を収めたJ・K・ローリングのエピソードがチラついた。離婚後、乳飲み子を抱えて、経済的にも苦境だったさなかに、カフェで書き始めたという。
私は離婚はしていなかったし、子供も乳飲み子ではなかったけれど、家計はちょっと苦しかった。物語の魔法という共通点。決して真似したかったわけじゃないけど。
物語は、仲の良い母子の姿を見かけた魔法使いの少女が、子供が毛虫嫌いであることを知り、魔法で軽い気持ちで母親を毛虫に変えるというイタズラをするのだが、魔法を容易に解くことが出来ず…
といった内容だ。
構想が頭の中で大雑把に出来上がったので、書いてみたが、大抵の場合中途半端に投げ出してしまう事が多い私だ。
中学1年生の時に、大阪から転校してきたM君と推理小説の話で盛り上がったことがあった。
お互いに原稿用紙に事件の発端となる、残虐な手口の殺人を書いては、原稿用紙を交換して読んだ。
冷蔵庫から死体が出てきたりして、そんなシーンを一生懸命妄想しながら書いたけど、いざ犯人を推理する探偵が登場するあたりに話が進むと、急に熱が冷め、結局結末まで書き終えることはなかった。
そんな私だから不安はあったが、中学の時の何のプロットも構想も無い状態とは違い、今回は大筋は出来ていた。しかし、書き始めたときの情熱は、いつしか日常の忙しさに紛れてしまった。
でも、物語はそこで終わりはしなかった。
それは、一人熱心な読者がいたからだった。
私がチラシに書いた物語を息子はいつも熱心に読んでくれた。あの時、息子は小学6年生だった。
小説の続きが中々進まないと、「あの続き、どうなるの」と聞かれ、ひとりの大切な読者である息子のために、何とか最後まで書き終えることが出来たのだった。
そんな折、児童文学作品の公募の事が新聞に載っていた。賞金100万円。何だか、100万円もらえるような気がしてしょうがなかった。
その日から、パソコンで清書を始め、原稿用紙200枚位になったのではなかっただろうか。
そして応募の規定に従い応募した。100万円を手中に収めたような気分で。
結果は、ご想像どおり佳作にも、奨励賞にも、名前はどこにもありませんでした。当たり前ですよね。
その時児童文学ファンタジー大賞を獲得したのは、「西の魔女が死んだ」で有名な梨木香歩さんの「裏庭」だった。
私は賞が目当てではなかった。家計が苦しかったから、100万円が欲しかっただけだ。
賞はもらえなかった。100万円も貰えなかった。
だけど、熱心な読者が一人私を「次どうなるの」で、応援し支え続けてくれて、結末まで書き終える事が出来た。
彼がいなかったら、この小説は完成しなかった。そして、娘がいなければ、この小説は生まれなかった。子供達がいたからこそ書き始め、書き終える事が出来た唯一の小説だ。
私の人生においての貴重な「成し遂げ」初体験だ。
この小説「毛虫になったお母さん」が世に出ることは無いけれど、何事も中途半端な私が最後まで出来た記念として、思い出箱の中に収めておこうと思う。