質問者。
仲の悪い家族にも、家族ならではの 「 結束 」 というものはありますか。
その中で愛を学べるのでしょうか。
昌清霊。
家族は小我のつながり。 家族の愛には大我が混じるが小我もあり、その小我は 「 束縛愛 」 となるのじゃ。
束縛愛は、誰もが持つものにござる。 生まれながら親から生き別れした者とて、つながりはあるのじゃ。 束縛から離れているように見えるが、しかしこれまた影の束縛、裏の束縛なのじゃ。
親のある束縛、ない束縛。 同じなのじゃ。 早くから親から離れた者であれ、親を思うのじゃ。 思うということ自体が束縛なのじゃ。
親から早く離れ、親など気にもせず考えもせず生きる者が一人でもいたならば、今の話は戻す。 が、ありえぬ。 なぜならば、それが定め、法であるからじゃ。
家族とともに生きようが、離れて生きようが、小我の束縛はあるのじゃ。 その小我の束縛によって魂を見つめることとなるのじゃ。 仲が良くとも悪しくとも、そこで悩み、もがくわけじゃ。
それが魂、大我を、より輝かすこととなるのじゃ。
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仲の良し悪し、同居、別居にかかわらず、家族間には 「 束縛愛 」 があり、その悩みが魂に学びを与える。
( 江原啓之 スピリチュアルメッセージⅢより )