九つの法則が、ますますあなたを幸せに導きますように!
あなたが、ますます光を選び取れますように!
ますます世界中が社会が家庭が心が、
平和になりますように、生き生きと輝きますように!
この心霊科学の九つの法則は、現代の日本で最高の霊能者と言われている江原啓之さんと美輪明宏さんが提唱している霊的真理を、わたしが一つにまとめたものです。大半が江原啓之さんの著書 「スピリチュアルな人生に目覚めるために」 からの抜粋です。
私は、”霊的真理の九つの法則” のこの日本語版を森羅万象万物すべてに捧げます。万物すべてが、ますます愛を善を真理を真実を許しを希望を助け合いを誠実さを公平さを、すなわち光を選び取ることが出来ますように導き賜え。私たちが光を選び取る力をますます得られますように導き賜え。世界中の苦しむ人々に ”霊的真理の九つの法則” が、ますます届きますように。世界中の苦しむ人々が、ますます救われますように。世界中の人々と万物が、ますます浄化向上できますように。
霊 的 真 理 の 九 つ の 法 則
( 現代日本のスピリチュアリズムの霊的真理 )
1、霊魂の法則
2、階層の法則
3、類魂の法則
4、守護の法則
5、運命の法則
6、波長の法則
7、因果の法則
8、正負の法則
9、向上の法則
1、霊魂の法則
★ 人間は霊的存在
人はみな、霊的存在である。これが、霊魂の法則です。私たち人間は、単なる肉体だけの存在ではありません。私たちは、死んでしまえばすべてお終いという空(むな)しい存在では決してないのです。私たちは、肉体と霊魂が互いに重なり合った状態でこの物質界を生きています。霊魂こそが私たちの本質であり、肉体はこの世を生きる間だけ借りている乗り物のようなものにすぎません。誕生とともに肉体に宿った私たちの霊魂は、肉体の死と同時にまた肉体を離れ、霊的存在として永遠に生き続けるのです。この真実を知り、理解することは、人生を真に輝かせるために欠かせないことです。逆にこの真実を知らなかったり、否定したりしていると、生きる意味があやふやなままで不安や恐れの多い人生を送ってしまうことになるでしょう。人生の中で誰もが体験することになる三つの大きな苦しみから逃れることも困難になります。その三つとは、死に対する恐怖心、死別の悲しみ、そして自分の人生を不幸と思うことです。
★ 死を恐れる必要はない
人生の三つの苦しみの一つが、死に対する恐怖心です。子供の頃、もし自分が死んでしまったならどうなるんだろうと考えて、夜も眠れなくなった経験はありませんか?私(江原)は、四歳で父親に死なれた頃、死とは無になることなのかと思い、一週間も眠れなかったことがありました。私のもとを訪れる相談者にも、死への恐怖を抱える末期ガンの患者やHIV感染者が数多くいます。彼らは悲嘆に暮れ、今までの人生を悔やみ、なかには恐怖のあまり錯乱状態に陥(おちい)っている人もいます。そうかと思うと一方では、病気や悲しみ、貧困など、人生のすべての苦しみから逃れようと、自らの命を断とうとしている人もいます。両者に共通しているのは、死によって自分自身が無に帰するという考えです。しかし、それは大きな間違いです。人間の本質は霊魂ですから、私たちが死んで無になることなど決してありません。霊界の方々が語るところによると、あちらの世界(霊界)こそが本当の世界であって、私たちが生きるこの物質界は仮の世界なのです。あちらが光ならば、こちらは影なのだと言います。私たちが長いと思う人生も、永遠の魂の尺度で見れば、あっという間の事なのだそうです。ですから死を恐れる必要はありません。まるで蝉が抜け殻を離れて飛んでいくように、人間も死とともに肉体を脱ぎ捨て、霊界という慣れ親しんだ故郷へ帰るのですから。魂の旅は、そこからまた続いてゆくのです。
★ 死は永遠の別れではない
二つ目の苦しみは、死別の悲しみです。愛する人を失うのは、本当に悲しいものです。家族や友人など、身近にいるのを当たり前のように思っていた人が突然いなくなった時の喪失感、悲しみの深さは、実際に経験してみないと分からないことではないかと思います。そうした悲しみを抱える人が、よく私のところにも相談に来ます。亡くして何年もたつ家族を思って、ああすればよかったのでは、こうすればよかったのではと、いつまでも悔やむ人たち。大事な伴侶をなくして、この先どうやって生きたらよいのかと途方に暮れている人たち。その事を思い詰めてしまったことによって、後追い自殺まで考える人もいます。しかしこれらも、その人が死というものを無になること考えてしまい、肉体の死別を永遠の離別であると考えてしまった誤解から生じる悲しみなのです。あなたが亡くなった家族や友達に会えなくなるのは、確かに寂しいことです。今はこのように書いている私自身、幼くして両親を亡くした時、どんなに寂しかったかわかりません。でも、こう考えてみて下さい。親友や家族と遠く離れて暮らしたことはありませんか?愛する恋人との遠距離恋愛を経験したことはありませんか?それらの事と死別は同じようなものなのです。今はたまたま、片方はこちらの世界におり、もう一方はあちらの世界にいるというだけのことなのです。人間が肉体を離れても永遠に生き続ける霊的存在である以上、深い魂の絆(きずな)を肉体の死が分かつことは決してありません。肉体の有無に、魂の結びつきの強さは影響されないのです。今の私に、両親と死別した頃のような悲しみはありません。むしろ失われることのない絆に喜びを感じています。あなたが失った大切な人も、やはり永遠に生き、あなたを見守っています。ですからどうか悲しみを手放して下さい。霊魂の法則を真に理解し、孤独の深いトンネルを抜け出て下さい。あなたが涙を拭(ぬぐ)い、死者との絆に気づくことは、死者にとっても大きな喜びとなるのですから。
★ 人生に不幸はない
人生で陥りがちな三つ目の苦しみが、人生は不幸なものという思いです。あなたの日常生活を思い浮かべて下さい。あなたは今、自分を幸せだと思いますか?それともあなたは不幸を感じているでしょうか?どちらにしても、その理由をよく考えてみて下さい。なぜあなたは、幸せなのですか?恋人とうまくいっているからです。仕事が順調だからです。家族がみんな健康だからです。お金がたくさんあるからです。素敵な家に住んでいるからです。なぜあなたは、不幸なのですか?なかなか恋人ができないからです。いつ結婚できるか不安だからです。職場の人間関係が辛(つら)いからです。お金がないからです。健康や容姿に悩みがあるからです。これらすべてが現世的な視点、つまり物質的な視点で判断した幸不幸にすぎません。現世的な幸せは、どれもが不安定でいつ崩れるともわからない一時的なものばかりです。たとえそれが一生続いたとしても、肉体が死を迎えたらそこでおしまいです。私たちが肉体の死後に帰る魂の故郷に持ち帰れる物は何一つありません。あなたの魂があの世に持っていけるものは、この世で積んだ 「経験」 と、その経験から得た 「感動」 、つまり様々な喜怒哀楽(きどあいらく)だけです。経験と感動だけが、私たちの魂を磨き、浄化向上させてくれます。「霊的視点で見た幸せ」 とは、どれだけたくさんの 「感動」 を得ることができたのかということなのです。現世的な不幸も、この世で生きている間に限られることばかりです。現世的な不幸とは、私たちの魂が肉体という殻の中に封じ込まれているために、人間の本質が永遠に生きる霊的存在であるということを私たちが忘れてしまっているので、私たちは肉体だけの存在だと思い込んでしまったために生じている悩みなのです。あなたが霊的視野に立てば、現世的な不幸それすらあなたの魂を磨くための試練だということが理解できるはずです。私は自分自身の経験から、そして多くの相談を受けてきた経験からも、はっきり言えます。「人生に不幸はない。」 と。人間が考える不幸とは、その時の自分にとって都合が悪い状態であるというだけなのです。長い目で見れば、そして霊的視点で見れば、その状態こそがその人の魂に学びを与えてくれているのであり、成長を促してくれているのです。さらに不幸と思えることが、実は後に用意されている大きな幸せのための苦難であることがとても多いのです。仮に、人間が霊的存在ではなく、肉体の終わりとともにすべてが消滅してしまうとしたら、いったい世の中はどうなるか想像してみて下さい。私たちがどんなに努力を重ね一生懸命に生きてみたところで、私たちの努力は無駄ということになってしまいます。そして、無になってしまう前に、自分の体が喜びを感じる事だけをすればいいという考えになってしまうことが予想できます。人の迷惑など顧みず、どんどん食べて、どんどんお金や物を手に入れて、どんどんセックスをして、食欲・物欲・性欲を貪欲に満たしたいだけ満たすようなそうゆう人生が幸せということになってしまいます。自分のことだけを考えて生きた方が得だし、世の中にある物には限りがありますから、人に与えれば自分が損をしてしまう。ならば人から奪ってまでも自分の手に入れた方が、私たちは幸せということになってしまうかもしれません。他人と争っても、他人をだましても、他人を傷つけたり殺したりしてでも、限られた人生をやりたい放題に生きる方が断然幸せだと言えるかもしれません。そしてそれが叶(かな)わなければ、自分は不幸なままで人生を終えてしまうということになってしまいます。もちろん人を殺したり物を盗むなど、法律に触れることまでする人はまれでしょう。それは極端としても、先ほど思い浮かべて頂いたあなたが幸せだと思う理由、不幸だと思う理由と、今の例えは全く別のものと言えるでしょうか。そんな物質的な幸せの価値観を手放せないために、人は人生の中で競争を繰り返しては悩み、だまされ、妬(ねた)まれ、傷つけられているのではないでしょうか。そのあげくに、自分は不幸だという思いに陥っていると言えないでしょうか。こうした間違った幸せの価値観から追い求めた幸せは、たとえ実現しても、人との争いの末に奪い取ったものですから、心の底から幸せとは感じられないはずです。私たちが幸せでも周りの人たちが不幸だったら、私たちは本当の幸せを実感できないはずなのです。なぜなら、あなたの本質である魂のきれいな部分が「ノー」 と首を振っているからです。私たちが霊的視点に真に立つことが出来れば、人生の大半の幸せも不幸も、物質的視点で自分自身が作り上げた幻だったことがわかります。物もお金も地位も今の肉体さえ、あなたの魂が本当に求めている幸せに不可欠のものではないのです。本当の幸せとは何か。それを考えながら、残りの七つの法則を読んで下さい。答えは、九つの法則の最後である向上の法則にまとめたいと思います。
もう一つの説明
万物すべては霊的存在であり、そしてそれぞれが魂を持っています。これが、霊魂の法則です。ですから私たちは、私たちが霊的存在であるということを、いつも考えながら暮らすことが大切です。さて、私たちは未熟な魂ゆえにそれぞれの問題を抱えて生まれて来ました。私たちは、今の人生における学びの目的に必要な様々な経験と感動を重ねることによって、未熟な魂を浄化し改善するという目的をもって生まれてきました。未熟な魂を浄化するということは、心の弱さ、無知そして心の弱さや無知によって引き起こされた傲慢(ごうまん)さ、つまり利己的な行為に気づくことによってそれらを改善するということを意味しています。心の弱さとは、何かを失うことに対する恐れや不安のことです。例えば、現世における三大災厄、つまり死の恐れ、愛する者との別れの悲しみ、物質に対する強い執着心。無知とは、以下の二つの事である。最初の無知は、何かを失うことに対する恐れや不安が、魂の存在を信じないことや魂が永遠に生き続けるということを知らないということによって引き起こされているということに、私たちが気付いていないということです。第二の無知は、多くの人々が以下の偏った考えに気づいていないということです。この現世において、何かを失うことに対する恐れと不安は、何かが足りない十分でないという考えを引き起こします。そしてこの考えは、もっと得たいという考えを引き起こします。だから、この問題を解決するために、何を得たらよいかと考えた時に、多くの人は人、物、金を得ようと考えがちです。つまり、それは物質中心主義ということです。これら二つの間違いに気づかぬために、多くの人々は、利己的な行いをしてしまっていた。つまり、それは傲慢であるということです。だから、まず最初に、私たちはこれら二つの間違いに気づく必要があります。第二に、私たちは偏った考え方を改善することによってバランスのとれた考え方を持つ必要がありますし、私たち自身の人生哲学とスピリチュアリズムの霊的真理をもっと考える必要があります。要するに、人は何かを失うことに対して恐れや不安を持つほど、人はより傲慢になってしまいます。人は、永遠に生き続ける魂の存在を信じなければ信じないほど、人は、より傲慢になってしまいます。人は、この問題を解決するために、人、物、金を得ようとすればするほど、人はより傲慢になってしまいます。そして、人は、傲慢になればなるほど、人はより傷付きやすくなってしまいます。なぜならば、このような人は、心の中に浄化し改善する必要のある部分がたくさんあるからです。人が、誰かによって心を傷付けられたということは、自分の魂を磨いてもらった、自分の魂の利己的な部分を気づかせてもらったということでもあります。言い換えると、その人の魂を浄化し改善することによって本当の謙虚さを持っている人は、傷付かないということです。私たちはお互いに私たちの魂の未熟さに気付かせてもらっています。だから、私たちは、どんな魂も未熟であり、皆未熟な魂を持っているということに気づくことが出来ます。それゆえに、私たちは、自他共に許すということの必要性に気づかされます。自他共に許すことで、私たちは、闇に悪に陥ることから救われます。そして、今生における学びの目的に必要な様々な経験と感動を重ねた後、私たちは死を向かえます。死は、現世での辛い訓練の終わりを意味しています。たとえ私たちが体を失ったとしても、魂を失うことは決してありません。私たちの魂は永遠に生き続けます。霊の世界へと旅立った私たちの魂は、霊的存在として永遠に生き続けます。私たちが霊的存在であることを理解することは、何かを失うことに対する恐れや不安を乗り越え解き放つために欠かせないことなのです。
2.階層の法則
★ 魂は浄化向上を志している
霊的世界は無数の階層に分かれていて、あなたは死後、あなたの魂の成長のレベルに応じた階層に行くことになります。これが、階層の法則です。霊魂の法則により、人間が霊的存在で、この世に一時的な旅をしに来ているとわかると、「なぜわざわざそのようなことをするのか?」 「この世とあの世がなぜ分かれていて、何のために二つの間を行ったり来たりしなければいけないのか?」 といった疑問が出てくることでしょう。その答えの鍵(かぎ)は、すべての魂が目指している浄化向上にあります。私たちは物質界にいる今でこそ肉体をまとい、一人一人がばらばらの存在になっていますが、霊的世界においては、究極的には私たちは一つのまとまりなのです。人間の魂だけでなく、動物や植物の魂、この世に姿を持ったことのない魂(自然霊)も、すべての魂の源は一つです。そのまとまりの中心こそが、大霊(グレイト・スピリット)すなわち神です。神とは最高位の霊的エネルギーなのです。すべての魂は、神であるこの中心の中に、いつか統合されていくことを志しています。しかし、その魂に濁りや曇りがあればあるほど、中心との距離が離れてしまっています。そこでより純粋なエネルギーとなるよう、自らの濁りを少しでもきれいにし(浄化)、今よりもより高い境地に行けること(向上)を目指しているのです。私たちの魂を浄化向上させるために最適な場所が、この物質界です。だからこそ死と再生を繰り返しながら、私たちは何度もこの世への旅に来ているのです。霊的世界にいる間は、私たちの魂は自らが浄化向上を目指していることを理解しています。ところが物質界の肉体に宿ったとたんにそれを忘れてしまい、魂が持つ本性むき出しの状態で、この世を生きることになります。そして、喜びや楽しみを味わい、愛を学ぶ一方で、物質界特有のさまざまな苦悩を味わい、人間同士の衝突を経験するのです。霊的視点で見れば、これらの経験は決してマイナスではありません。むしろ、自らの魂の濁りや曇りに気づかせてくれるありがたい仕組みなのです。大事なのは、そうした経験を前向きに受け入れて、喜怒哀楽の感動に魂を震わすこと。感動こそが、何よりも魂を浄化させる力を持つのですから。感動の多い人生では、魂は大きく浄化向上します。逆に、経験の乏しい人生、感動の少ない人生を漫然と送っていたのでは、この世に生を受けている時間を有効に生かしていないことになってしまいます。失敗を恐れずに沢山の経験と感動を積み重ね、より透明な魂となってあの世へ帰ることこそが、私たちがこの世に生まれて来た意味なのです。
★ 肉体の年齢と魂の年齢
このようにすべての人間は、霊的存在として、魂の浄化向上もしくは霊的成長を志しています。その進み具合を心境といったり霊格と言ったりしますが、これは人によりさまざまです。つまりこの世には、魂の浄化向上が進んだ人と、まだまだこれからという人が混在しているのです。私はいつも霊格の事を、わかりやすく魂の年齢と表現しています。魂の年齢とは、すべての前世をも含めて、その魂がこれまでにどれほど多くの経験と深い感動を積み上げて来たかの度合です。私たちがこの世に生まれて何年が過ぎたのかというふつう年齢と呼ばれる肉体の年齢とは、これは別のものです。経験と感動を多く積んで浄化向上してきた人ほど、魂の年齢は高く、真の愛に目覚め、霊的価値観すなわち叡智(えいち)を備えています。魂の年齢の幼い人ほど、まだまだ学びが足りず、地上的な物質主義的価値観にしばられています。霊格はおおむね人格に比例しているとも言えます。魂の年齢と肉体の年齢の間には、何の関係もありません。この世には、魂が大人である子供もいれば、子供の魂を持った大人もいるのです。人間関係において、この視点を持つことはとても大切です。まず第一に、この人は年齢から言うともう立派なお年寄りなのに、どうしてこんなに意地が悪いのだろうか、うちの姑(しゅうと)は、なぜこんなにもわからずやなんだろうか、といったようなことで悩むことはなくなります。腹が立った時は、見かけの年齢に惑わされないよう、相手を赤ちゃんとして想像すればいいのです。赤ちゃんに叩(たた)かれたり、幼児にからかわれたりして腹を立てる大人はいません。もしいるとしたら、その人こそ幼いのです。また、この視点を持つことにより、年下の人に対する見方が変わります。年下の人の中にも、自分よりよほど経験を積み、叡智を備えた魂の持ち主がいるのだとわかると、自分は年上なんだからとか、年下のくせにといった不必要な構えやこだわりが無くなります。彼らから学ぶべきことに心を開くことで、とても心豊かになることが出来ます。親子においては、この子は子供のくせに生意気なことを言うと思ったり、自分の子供だからと、子供をわが物のように考えたりすることが間違いだとわかります。親より子供の方が魂の年齢が高い親子など、実はざらにいるのです。
★ より高い魂の境地へ行くために
始めに書いたように、死後の世界は無数の階層からなる、厳然とした 「差別界」 です。誰もが例外なく、死んだ時点での自分の心境に合った階層に、平行移動していきます。生前の地位も名誉も貧富も全く関係ありません。死後は魂がどれだけ純粋で、どれだけ輝いているかということだけが問われるのです。世の中には、死を迎えたら天国に昇天するとか、すぐに神と一つになると考えている人がいますが、真相はそう簡単ではありません。毎日神様に祈ったり、念仏を唱えてさえいれば天国に行けると単純に考えている人もいますが、それは全くあり得ないことなのです。魂が死後たどる道筋について簡単にご説明しましょう。人間は肉体の死とともに肉体という殻を脱ぎ、幽体と呼ばれる霊的なエネルギー体に移行します。そして、「現界」 すなわち私たちが生きるこの世界と霊的世界の中間にある、「幽現界」 へ行きます。一般に仏教では死後四十九日間はこの世にいると言われますが、それは現界に留まっているということではなく、「幽現界」 にいるという意味です。その後、魂は 「幽界」 へ向かいます。この 「幽界」 の中も、さらに無数の階層に分かれています。霊格が高いほど高い層へ、低いほど低い層へ行くことになります。よく言われる 「天国」 と 「地獄」 は、この 「幽界」 の高い層と低い層を指していることが多いようです。臨死体験をした人の話によれば、ある人は、死後の世界はお花畑が広がり、小鳥は歌い、言葉には尽くせないほど美しい世界だったと証言しています。また別の人は、暗闇が果てしなく広がる恐ろしい世界だったと言います。これほどの開きがあるのは、その人の魂のレベルによって行く場所が違うからです。魂はやがて、この 「幽界」 をも離れて 「霊界」 へと上昇します。このとき、魂は自らの姿を形作っている 「幽体」 さえも脱ぎ捨てるため、この過程は 「第二の死」 と呼ばれています。「霊界」 へ行くと、魂は自らの類魂(「類魂の法則」 参照)に帰って行きます。類魂と溶け合い、その一部分となるのです。私たちの魂は、「現界」 で学び足りなかった部分をふり返り、多くの場合、もう一度学び直そうと決意を固め、そこからまた 「再生」 します。こうして魂は 「再生」 と 「類魂へ帰ること」 を繰り返し、最終的には、大いなる光のエネルギー、大霊(グレイト・スピリット)へと融合する 「神界」 へ向かうのです。こうして説明してきたものの、肉体の死後の魂の道筋には、実際は気が遠くなるほどの時間がかかります。それは私たち人間が持つ時間の単位などでは、到底計れないほどです。
★ 「失うことへの恐れ」 を捨てる
私たちが私たちの人生を終えて霊界へ向かう過程すら平坦(へいたん)ではありません。霊的世界を信じないまま死んだ魂や、死後も自らの死を受け入れられない魂、この世に執着を強く残す魂は、「幽界」 どころか 「幽現界」 をいつまでもさまよい続けます。これらの魂は、あの世への移動が停滞してしまった、いわば狭い意味での 「未浄化霊」 たちです。街中を霊視すると、そうした霊魂が無数にいます。ラッシュアワーの駅に行き霊視をすれば、いまだに死に気づかず電車を待っているサラリーマンの霊魂を見つけることが出来ます。デパートへ行き霊視をすれば、売り場を歩き回り、商品の値札までチェックしている主婦の霊魂を見つけることが出来ます。交通事故の現場に行き霊視をすれば、「こんな場所で突然死ぬなんて」 と思いながら、ふらふら歩いている泥酔状態の霊魂を見つけることが出来ます。火災現場に行き霊視をすれば、パニック状態で走り回っている霊魂を見つけることが出来ます。「地縛霊(じばくれい)」 とも呼ばれるこれらの未浄化霊は、彼ら自身の肉体の死を受け入れられず、この世への執着や悲劇的な思いを手放せないでいるのです。また、死に気づいても 「この土地は誰にも渡すものか」 と、生前の土地や家にへばりついたままの霊魂もいます。「死んだらお墓に行くものに決まっている」 という自分の固定観念にしがみつき、お墓にぽつんと座り込んでいる放心状態の霊魂などもいます。これらの人々はみな執拗(しつよう)なこだわりによって、自らの魂を地上世界に留まらせてしまっているのです。「浮遊霊(ふゆうれい)」 と呼ばれる未浄化霊もあります。これは、「恋人が忘れられない」、「私が死んであの人だけが幸せになるなんて許せない」、「やり残していることが山ほどある」、「残した家族が心配でたまらない」 など、現世に残したものへの未練や後悔、妬(ねた)みや憎しみなどの感情を手放せず、いつまでも現世をさまよっている霊魂です。愛と喜びの世界へと向かって行けるはずの彼らの魂を 「幽現界」 に留めているのは、他ならぬ彼ら自身の否定的な心のエネルギーです。いわば 「失うことの恐れ」 が、魂の浄化を妨(さまた)げているのです。しかも自分で自分を縛っている事にも気づけないのですから、何と不幸なことでしょう。これは霊魂に限った話ではありません。生きている私たちにも、実は全く同じことが言えます。私たちが、失ったものへのこだわり、執着、妬み、後悔、恐れといった否定的な感情を手放せないでいると、それは魂の成長を停滞させてしまうのです。ちょうど 「未浄化霊」 のように。こうした 「失うことの恐れ」 は、この世に生きる人間には多かれ少なかれ誰にでもあるものです。そしてそれは誰もが乗り越えなければならない、現世での共通する課題です。今あなたは何を恐れ、何に執着しているのか、ふり返ってみて下さい。そして、それを手放してこそ、喜びや幸せを受け取る準備が出来るのだという事実を知ってほしいのです。
もう一つの説明
霊界は、さまざまな階層によって作られています。これが階層の法則です。死後、私たちは、霊的な存在として現世で培った魂の成長に応じた場所へ向かいます。私たちが肉体の死を迎えた時、私たちは霊的なエネルギーとなります、すなわち、肉体の体を脱ぎ捨てた幽体です。最初に私たちの魂が行く場所は、現世と幽界の中間にある幽現界です。次に、私たちの魂は、幽界に行きます。最後には、幽体をも脱ぎ捨ててしまいます。そして私たちは、光り輝く光だけの状態となり、霊界へ上がって行きます。死後の世界は、明るい雰囲気から暗い雰囲気まで様々な階層に分類された差別界です。この分類の仕方は、私たちの現世での行いによって決められます。私たちが、現世にいた時に持っていた地位や名誉や財産は、霊の分類の決定には何の関係もありません。判断材料は、どのくらいその魂が明るく光り輝いているかという1点だけです。私たちの魂をより明るく輝かすためには、九つの法則全てを実践することが必要なのですが。ここで、いくつか大切な点を説明したいと思います。より自らの魂を輝かすということは、より愛を善を真理を真実を許しを、つまり光を選び取るということであり、よりそれらを選び取る力を付けるということです。具体的に言いますと、第一に、私たちは、自分自身の性格や才能を知る努力をする必要があります。第二に、私たちは、自らを偽ることなく本当にやりたいことに取り組んで行く努力をする必要があります。第三に、私たちは、私たち自身の欠点や問題に前向きに取り組み改善するための努力をする必要があります。第四に、私たちは、経験と感動を積み重ねることによって客観的に他人の感情に同情することの出来る能力を育てる努力をする必要があります。つまり、感性を養うということです。第五に、私たちは、善悪を公正無私な立場で判断する公明正大な愛と見返りを求めない無条件の愛を正しく理解して実践努力し、これら二つの愛によって自他共に正しく愛する努力をする必要があります。そしてまた、自分自身、恋人、家族、社会、国、あらゆる国々、動物、植物、人類、霊魂、大自然、森羅万象万物すべてと愛する対象を広げてゆく努力も必要です。公明正大な愛とは、霊的真理に基づいて善悪を明確に判断しながら善を選び取り、どんな魂をも善へ導いてゆくことの出来る大我の愛ことです。無条件の愛とは、善悪の判断をせずにどんな魂をも愛することの出来る大我の愛ことです。これら二つの愛は、現世で暮らす私たちにとって、利己主義に陥りやすい面を持っています。ですから、小我に陥らないように十分にこれら二つの愛について考える必要があります。第六には、他人の人生と自分の人生とを比較しないということです。なぜならば、現世におけるあなたの人生は、あなた自身が最適に成長することができる最適な経験と感動ができるように、霊界にいた時にあなたが守護霊と一緒にあなたの人生の大体の筋書きを設計したからです。あなたの人生は、あなたの魂にとって最高のものなのです。あなたの人生は、他人の人生と比較する必要もないし比較することも出来ないのです。第七には、あなたの人生を生き抜くことが大切です。あなたの人生は、あなたの魂にとって最高で最適な人生なのです。大変でも、どうか生き抜いて下さい。ですから、自殺は決してしないで下さい。決して闇を、つまり無関心を悪を隠ぺいを偽りを恨みを絶望を選び取らないで下さい。なぜならば、自殺をすると再び生まれ変わった時にもう一度同じ人生を繰り返さなくてはならないからです。ですから、あなたの人生でおこるさまざまな出来事をいつも前向きに考えて下さい。常に光を、つまり愛を善を真理を真実を許しを希望を選び取って下さい。そして、ますますあなたの魂を輝かせて下さい。
3.類魂の法則
私たちは決して一人ではありません。誰もが必ず霊界に現世の家族以上の強い絆で結ばれた魂の家族を持っています。私たちはそれぞれに、霊界すなわち魂の故郷に強い絆で結ばれた魂の家族である類魂を持っています。類魂は、たくさんのほとんど均質な魂達から作られています。そして霊界は、たくさんの類魂で作られています。これが類魂の法則です。魂の家族に対し現世の家族は、肉体の家族です。現世の家族は、肉体的に血はつながっていても魂は別々です。なぜ別々の魂が集まって家族を形成しているかというと、お互いに切磋琢磨して学び合うためです。それゆえに、それぞれの魂にとって必要な学びがお互いに学び合えるように最適な者同士が集まって一つの家族が構成されています。その意味で、現世の家族は魂の学校なのです。私たちが生まれる前、まだ霊界にいた時は、私たちの魂はこの類魂の中に溶け合っていました。そしてあるとき、私たちの魂は類魂全体の浄化向上のために再生を志し、そこを離れてこの世に生まれてきました。私たちはこの世で魂を磨き、やがて死ぬと、故郷である類魂のもとへまた帰って行きます。あなたの類魂を一杯の水に例えたならば、あなたの魂は一滴の水です。グラスの中の水は少し濁っていて、より透明できれいな水になること(浄化向上)を目指しています。濁った水をきれいにするには、物質界であるこの世に生れ出て、たくさんの経験と感動を積み、魂を磨く必要があります。そのためにあなたは、一粒の水滴としてグラスからこの世に出されました。この世であなたは、水滴の濁りができるだけ薄くなるように、生涯魂の浄化向上に努めます。そしてやがて人生を終え、故郷であるグラスの中へ戻って行きます。一粒の水滴がきれいになれば、グラス全体も少しは透明度を増します。しかし、全体が透明になるには気の遠くなるような時間をかけて、この作業を繰り返さねばなりません。中には薄くなるどころか、より濁った水滴となって故郷に帰り、類魂の浄化向上を遅らせるような人生もあります。一つの類魂から現世に再生できる水滴の数は、通常はひとつだけです。一つの類魂が、同時期に複数の水滴を現世に再生させることはありません。あなたの魂が浄化向上すればするほど、再生の頻度が増してきます。つまり、あまり間を置かずに再生するという事です。そして、中には二粒の水滴を送り出す類魂も出てきます。これが、ツインソウルと言われるものです。こうしたことを繰り返すうちに、グラスの水はきれいになって行くのです。究極の目標は、完璧に無色透明な魂になること。そうなれたときにはもう、類魂ごと大霊(最高の類魂)と一体です。どの類魂も、その境地をひたむきに目指しています。だからこそあなたに、あなたの類魂は、霊界から大きな愛を注ぎ、あなたの成長を懸命に支援しています。あなたの成長が、あなたの類魂全体の成長に必要なことだからです。実は、あなたの守護霊たちもすべてあなたの類魂の一部分なのです。あなたの守護霊たちもかつては、あなたの類魂からこの現世に降りて一人の人間としての人生を送っていました。その守護霊がとりわけ熱心にあなたを見守り、辛抱強く指導してくれる理由は、守護霊にとってはあなたのことが、自分自身の事にほかならないからなのです。そして同時にまた、霊界からあなたを指導するという経験を通じて、守護霊自身が学んでいるのです。江原啓之さんの守護霊である昌清の霊さんは、類魂についてこのように説明しています。あなたの類魂の個性は、同一である。しかし、あなたの類魂のそれぞれの魂の経験は別々であると彼は説明しています。つまり、類魂は全体があなた自身のようなものですから、個性は同一です。そしてまた、あなたが今持っている個性は死後も変わりません。つまり、あなたの個性はあなたの類魂の個性なのです。けれども類魂のそれぞれの部分が持つ経験はそれぞれ違っています。グラスの水の例えで言うと、一滴ずつグラス(類魂)から出ている水滴(魂)は、これまでに実に様々な時代、国、性の人間として生まれ、全く違う経験を積んできました。つまり、一つ一つの前世の経験は、すべて違っています。今の時代や今の国や今の名前で生きているあなたの経験は、かけがえのないその一つなのです。あなたの類魂には、それら無数の経験が内包されているのですから、そこから導き出された知恵もたくさん詰まっていることになります。つまり、あなたの類魂は輝かしい記憶と叡智の宝庫なのです。昌清霊によると、あなたの肉体が死んで霊界へ行き、類魂の中へ再び溶け合ったとたんに、それらすべての経験が、あたかも自分の記憶のように蘇るのだそうです。しかし当然ながら、今のあなたにその記憶はありません。もっと正確に言うと、あなたは魂のどこかで本当は知っているのですが、肉体という鈍重な物質にこもっているために、その記憶を引き出せないのです。しかし、そのような状態であったほうがより良いのです。なぜなら、そのような状態になっていることによってあなたは日々の経験を新鮮な学びの材料として生きていけるのですから。そんなあなたに、あなたの類魂はしきりに支援を授けようとしています。あなたが高い波長(より良い人格を目指し努力すること)を持って生きていれば、類魂からのあなたへの通信は容易になり、あなたは叡智の宝庫の恩恵をひらめきなどを通じて受け取れるようになるはずです。そして、類魂に関してもう一つ知っていただきたい大事なことがあります。それは、これまで説明してきた類魂は狭義の類魂であるということです。広い意味で言えば、すべての魂が一つの類魂です。あなたの類魂は、さらに大きな類魂の一部です。その大きな類魂もまた、もっと大きな類魂の一部です。そうして遡って行くと、すべての魂は広義の類魂なのです。ですから私たちの魂は皆同じく大霊の子であり神の子なのです。
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