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スピリチュアリズム大霊教 / Spiritualism Taireikyo

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霊的真理の九つの法則 (現代日本のスピリチュアリズム) 日本語版 その1

2014年04月11日 | 10の霊的真理 (日本語版)



        九つの法則が、ますますあなたを幸せに導きますように!

            あなたが、ますます光を選び取れますように!

              ますます世界中が社会が家庭が心が、

          平和になりますように、生き生きと輝きますように!


この心霊科学の九つの法則は、現代の日本で最高の霊能者と言われている江原啓之さんと美輪明宏さんが提唱している霊的真理を、わたしが一つにまとめたものです。大半が江原啓之さんの著書 「スピリチュアルな人生に目覚めるために」 からの抜粋です。


私は、”霊的真理の九つの法則” のこの日本語版を森羅万象万物すべてに捧げます。万物すべてが、ますます愛を善を真理を真実を許しを希望を助け合いを誠実さを公平さを、すなわち光を選び取ることが出来ますように導き賜え。私たちが光を選び取る力をますます得られますように導き賜え。世界中の苦しむ人々に ”霊的真理の九つの法則” が、ますます届きますように。世界中の苦しむ人々が、ますます救われますように。世界中の人々と万物が、ますます浄化向上できますように。




                 霊 的 真 理 の 九 つ の 法 則
                ( 現代日本のスピリチュアリズムの霊的真理 )


1、霊魂の法則
2、階層の法則
3、類魂の法則
4、守護の法則
5、運命の法則
6、波長の法則
7、因果の法則
8、正負の法則 
9、向上の法則 


1、霊魂の法則

★ 人間は霊的存在

人はみな、霊的存在である。これが、霊魂の法則です。私たち人間は、単なる肉体だけの存在ではありません。私たちは、死んでしまえばすべてお終いという空(むな)しい存在では決してないのです。私たちは、肉体と霊魂が互いに重なり合った状態でこの物質界を生きています。霊魂こそが私たちの本質であり、肉体はこの世を生きる間だけ借りている乗り物のようなものにすぎません。誕生とともに肉体に宿った私たちの霊魂は、肉体の死と同時にまた肉体を離れ、霊的存在として永遠に生き続けるのです。この真実を知り、理解することは、人生を真に輝かせるために欠かせないことです。逆にこの真実を知らなかったり、否定したりしていると、生きる意味があやふやなままで不安や恐れの多い人生を送ってしまうことになるでしょう。人生の中で誰もが体験することになる三つの大きな苦しみから逃れることも困難になります。その三つとは、死に対する恐怖心、死別の悲しみ、そして自分の人生を不幸と思うことです。

★ 死を恐れる必要はない

人生の三つの苦しみの一つが、死に対する恐怖心です。子供の頃、もし自分が死んでしまったならどうなるんだろうと考えて、夜も眠れなくなった経験はありませんか?私(江原)は、四歳で父親に死なれた頃、死とは無になることなのかと思い、一週間も眠れなかったことがありました。私のもとを訪れる相談者にも、死への恐怖を抱える末期ガンの患者やHIV感染者が数多くいます。彼らは悲嘆に暮れ、今までの人生を悔やみ、なかには恐怖のあまり錯乱状態に陥(おちい)っている人もいます。そうかと思うと一方では、病気や悲しみ、貧困など、人生のすべての苦しみから逃れようと、自らの命を断とうとしている人もいます。両者に共通しているのは、死によって自分自身が無に帰するという考えです。しかし、それは大きな間違いです。人間の本質は霊魂ですから、私たちが死んで無になることなど決してありません。霊界の方々が語るところによると、あちらの世界(霊界)こそが本当の世界であって、私たちが生きるこの物質界は仮の世界なのです。あちらが光ならば、こちらは影なのだと言います。私たちが長いと思う人生も、永遠の魂の尺度で見れば、あっという間の事なのだそうです。ですから死を恐れる必要はありません。まるで蝉が抜け殻を離れて飛んでいくように、人間も死とともに肉体を脱ぎ捨て、霊界という慣れ親しんだ故郷へ帰るのですから。魂の旅は、そこからまた続いてゆくのです。

★ 死は永遠の別れではない

二つ目の苦しみは、死別の悲しみです。愛する人を失うのは、本当に悲しいものです。家族や友人など、身近にいるのを当たり前のように思っていた人が突然いなくなった時の喪失感、悲しみの深さは、実際に経験してみないと分からないことではないかと思います。そうした悲しみを抱える人が、よく私のところにも相談に来ます。亡くして何年もたつ家族を思って、ああすればよかったのでは、こうすればよかったのではと、いつまでも悔やむ人たち。大事な伴侶をなくして、この先どうやって生きたらよいのかと途方に暮れている人たち。その事を思い詰めてしまったことによって、後追い自殺まで考える人もいます。しかしこれらも、その人が死というものを無になること考えてしまい、肉体の死別を永遠の離別であると考えてしまった誤解から生じる悲しみなのです。あなたが亡くなった家族や友達に会えなくなるのは、確かに寂しいことです。今はこのように書いている私自身、幼くして両親を亡くした時、どんなに寂しかったかわかりません。でも、こう考えてみて下さい。親友や家族と遠く離れて暮らしたことはありませんか?愛する恋人との遠距離恋愛を経験したことはありませんか?それらの事と死別は同じようなものなのです。今はたまたま、片方はこちらの世界におり、もう一方はあちらの世界にいるというだけのことなのです。人間が肉体を離れても永遠に生き続ける霊的存在である以上、深い魂の絆(きずな)を肉体の死が分かつことは決してありません。肉体の有無に、魂の結びつきの強さは影響されないのです。今の私に、両親と死別した頃のような悲しみはありません。むしろ失われることのない絆に喜びを感じています。あなたが失った大切な人も、やはり永遠に生き、あなたを見守っています。ですからどうか悲しみを手放して下さい。霊魂の法則を真に理解し、孤独の深いトンネルを抜け出て下さい。あなたが涙を拭(ぬぐ)い、死者との絆に気づくことは、死者にとっても大きな喜びとなるのですから。

★ 人生に不幸はない

人生で陥りがちな三つ目の苦しみが、人生は不幸なものという思いです。あなたの日常生活を思い浮かべて下さい。あなたは今、自分を幸せだと思いますか?それともあなたは不幸を感じているでしょうか?どちらにしても、その理由をよく考えてみて下さい。なぜあなたは、幸せなのですか?恋人とうまくいっているからです。仕事が順調だからです。家族がみんな健康だからです。お金がたくさんあるからです。素敵な家に住んでいるからです。なぜあなたは、不幸なのですか?なかなか恋人ができないからです。いつ結婚できるか不安だからです。職場の人間関係が辛(つら)いからです。お金がないからです。健康や容姿に悩みがあるからです。これらすべてが現世的な視点、つまり物質的な視点で判断した幸不幸にすぎません。現世的な幸せは、どれもが不安定でいつ崩れるともわからない一時的なものばかりです。たとえそれが一生続いたとしても、肉体が死を迎えたらそこでおしまいです。私たちが肉体の死後に帰る魂の故郷に持ち帰れる物は何一つありません。あなたの魂があの世に持っていけるものは、この世で積んだ 「経験」 と、その経験から得た 「感動」 、つまり様々な喜怒哀楽(きどあいらく)だけです。経験と感動だけが、私たちの魂を磨き、浄化向上させてくれます。「霊的視点で見た幸せ」 とは、どれだけたくさんの 「感動」 を得ることができたのかということなのです。現世的な不幸も、この世で生きている間に限られることばかりです。現世的な不幸とは、私たちの魂が肉体という殻の中に封じ込まれているために、人間の本質が永遠に生きる霊的存在であるということを私たちが忘れてしまっているので、私たちは肉体だけの存在だと思い込んでしまったために生じている悩みなのです。あなたが霊的視野に立てば、現世的な不幸それすらあなたの魂を磨くための試練だということが理解できるはずです。私は自分自身の経験から、そして多くの相談を受けてきた経験からも、はっきり言えます。「人生に不幸はない。」 と。人間が考える不幸とは、その時の自分にとって都合が悪い状態であるというだけなのです。長い目で見れば、そして霊的視点で見れば、その状態こそがその人の魂に学びを与えてくれているのであり、成長を促してくれているのです。さらに不幸と思えることが、実は後に用意されている大きな幸せのための苦難であることがとても多いのです。仮に、人間が霊的存在ではなく、肉体の終わりとともにすべてが消滅してしまうとしたら、いったい世の中はどうなるか想像してみて下さい。私たちがどんなに努力を重ね一生懸命に生きてみたところで、私たちの努力は無駄ということになってしまいます。そして、無になってしまう前に、自分の体が喜びを感じる事だけをすればいいという考えになってしまうことが予想できます。人の迷惑など顧みず、どんどん食べて、どんどんお金や物を手に入れて、どんどんセックスをして、食欲・物欲・性欲を貪欲に満たしたいだけ満たすようなそうゆう人生が幸せということになってしまいます。自分のことだけを考えて生きた方が得だし、世の中にある物には限りがありますから、人に与えれば自分が損をしてしまう。ならば人から奪ってまでも自分の手に入れた方が、私たちは幸せということになってしまうかもしれません。他人と争っても、他人をだましても、他人を傷つけたり殺したりしてでも、限られた人生をやりたい放題に生きる方が断然幸せだと言えるかもしれません。そしてそれが叶(かな)わなければ、自分は不幸なままで人生を終えてしまうということになってしまいます。もちろん人を殺したり物を盗むなど、法律に触れることまでする人はまれでしょう。それは極端としても、先ほど思い浮かべて頂いたあなたが幸せだと思う理由、不幸だと思う理由と、今の例えは全く別のものと言えるでしょうか。そんな物質的な幸せの価値観を手放せないために、人は人生の中で競争を繰り返しては悩み、だまされ、妬(ねた)まれ、傷つけられているのではないでしょうか。そのあげくに、自分は不幸だという思いに陥っていると言えないでしょうか。こうした間違った幸せの価値観から追い求めた幸せは、たとえ実現しても、人との争いの末に奪い取ったものですから、心の底から幸せとは感じられないはずです。私たちが幸せでも周りの人たちが不幸だったら、私たちは本当の幸せを実感できないはずなのです。なぜなら、あなたの本質である魂のきれいな部分が「ノー」 と首を振っているからです。私たちが霊的視点に真に立つことが出来れば、人生の大半の幸せも不幸も、物質的視点で自分自身が作り上げた幻だったことがわかります。物もお金も地位も今の肉体さえ、あなたの魂が本当に求めている幸せに不可欠のものではないのです。本当の幸せとは何か。それを考えながら、残りの七つの法則を読んで下さい。答えは、九つの法則の最後である向上の法則にまとめたいと思います。

                            もう一つの説明

万物すべては霊的存在であり、そしてそれぞれが魂を持っています。これが、霊魂の法則です。ですから私たちは、私たちが霊的存在であるということを、いつも考えながら暮らすことが大切です。さて、私たちは未熟な魂ゆえにそれぞれの問題を抱えて生まれて来ました。私たちは、今の人生における学びの目的に必要な様々な経験と感動を重ねることによって、未熟な魂を浄化し改善するという目的をもって生まれてきました。未熟な魂を浄化するということは、心の弱さ、無知そして心の弱さや無知によって引き起こされた傲慢(ごうまん)さ、つまり利己的な行為に気づくことによってそれらを改善するということを意味しています。心の弱さとは、何かを失うことに対する恐れや不安のことです。例えば、現世における三大災厄、つまり死の恐れ、愛する者との別れの悲しみ、物質に対する強い執着心。無知とは、以下の二つの事である。最初の無知は、何かを失うことに対する恐れや不安が、魂の存在を信じないことや魂が永遠に生き続けるということを知らないということによって引き起こされているということに、私たちが気付いていないということです。第二の無知は、多くの人々が以下の偏った考えに気づいていないということです。この現世において、何かを失うことに対する恐れと不安は、何かが足りない十分でないという考えを引き起こします。そしてこの考えは、もっと得たいという考えを引き起こします。だから、この問題を解決するために、何を得たらよいかと考えた時に、多くの人は人、物、金を得ようと考えがちです。つまり、それは物質中心主義ということです。これら二つの間違いに気づかぬために、多くの人々は、利己的な行いをしてしまっていた。つまり、それは傲慢であるということです。だから、まず最初に、私たちはこれら二つの間違いに気づく必要があります。第二に、私たちは偏った考え方を改善することによってバランスのとれた考え方を持つ必要がありますし、私たち自身の人生哲学とスピリチュアリズムの霊的真理をもっと考える必要があります。要するに、人は何かを失うことに対して恐れや不安を持つほど、人はより傲慢になってしまいます。人は、永遠に生き続ける魂の存在を信じなければ信じないほど、人は、より傲慢になってしまいます。人は、この問題を解決するために、人、物、金を得ようとすればするほど、人はより傲慢になってしまいます。そして、人は、傲慢になればなるほど、人はより傷付きやすくなってしまいます。なぜならば、このような人は、心の中に浄化し改善する必要のある部分がたくさんあるからです。人が、誰かによって心を傷付けられたということは、自分の魂を磨いてもらった、自分の魂の利己的な部分を気づかせてもらったということでもあります。言い換えると、その人の魂を浄化し改善することによって本当の謙虚さを持っている人は、傷付かないということです。私たちはお互いに私たちの魂の未熟さに気付かせてもらっています。だから、私たちは、どんな魂も未熟であり、皆未熟な魂を持っているということに気づくことが出来ます。それゆえに、私たちは、自他共に許すということの必要性に気づかされます。自他共に許すことで、私たちは、闇に悪に陥ることから救われます。そして、今生における学びの目的に必要な様々な経験と感動を重ねた後、私たちは死を向かえます。死は、現世での辛い訓練の終わりを意味しています。たとえ私たちが体を失ったとしても、魂を失うことは決してありません。私たちの魂は永遠に生き続けます。霊の世界へと旅立った私たちの魂は、霊的存在として永遠に生き続けます。私たちが霊的存在であることを理解することは、何かを失うことに対する恐れや不安を乗り越え解き放つために欠かせないことなのです。


2.階層の法則

★ 魂は浄化向上を志している

霊的世界は無数の階層に分かれていて、あなたは死後、あなたの魂の成長のレベルに応じた階層に行くことになります。これが、階層の法則です。霊魂の法則により、人間が霊的存在で、この世に一時的な旅をしに来ているとわかると、「なぜわざわざそのようなことをするのか?」 「この世とあの世がなぜ分かれていて、何のために二つの間を行ったり来たりしなければいけないのか?」 といった疑問が出てくることでしょう。その答えの鍵(かぎ)は、すべての魂が目指している浄化向上にあります。私たちは物質界にいる今でこそ肉体をまとい、一人一人がばらばらの存在になっていますが、霊的世界においては、究極的には私たちは一つのまとまりなのです。人間の魂だけでなく、動物や植物の魂、この世に姿を持ったことのない魂(自然霊)も、すべての魂の源は一つです。そのまとまりの中心こそが、大霊(グレイト・スピリット)すなわち神です。神とは最高位の霊的エネルギーなのです。すべての魂は、神であるこの中心の中に、いつか統合されていくことを志しています。しかし、その魂に濁りや曇りがあればあるほど、中心との距離が離れてしまっています。そこでより純粋なエネルギーとなるよう、自らの濁りを少しでもきれいにし(浄化)、今よりもより高い境地に行けること(向上)を目指しているのです。私たちの魂を浄化向上させるために最適な場所が、この物質界です。だからこそ死と再生を繰り返しながら、私たちは何度もこの世への旅に来ているのです。霊的世界にいる間は、私たちの魂は自らが浄化向上を目指していることを理解しています。ところが物質界の肉体に宿ったとたんにそれを忘れてしまい、魂が持つ本性むき出しの状態で、この世を生きることになります。そして、喜びや楽しみを味わい、愛を学ぶ一方で、物質界特有のさまざまな苦悩を味わい、人間同士の衝突を経験するのです。霊的視点で見れば、これらの経験は決してマイナスではありません。むしろ、自らの魂の濁りや曇りに気づかせてくれるありがたい仕組みなのです。大事なのは、そうした経験を前向きに受け入れて、喜怒哀楽の感動に魂を震わすこと。感動こそが、何よりも魂を浄化させる力を持つのですから。感動の多い人生では、魂は大きく浄化向上します。逆に、経験の乏しい人生、感動の少ない人生を漫然と送っていたのでは、この世に生を受けている時間を有効に生かしていないことになってしまいます。失敗を恐れずに沢山の経験と感動を積み重ね、より透明な魂となってあの世へ帰ることこそが、私たちがこの世に生まれて来た意味なのです。

★ 肉体の年齢と魂の年齢


このようにすべての人間は、霊的存在として、魂の浄化向上もしくは霊的成長を志しています。その進み具合を心境といったり霊格と言ったりしますが、これは人によりさまざまです。つまりこの世には、魂の浄化向上が進んだ人と、まだまだこれからという人が混在しているのです。私はいつも霊格の事を、わかりやすく魂の年齢と表現しています。魂の年齢とは、すべての前世をも含めて、その魂がこれまでにどれほど多くの経験と深い感動を積み上げて来たかの度合です。私たちがこの世に生まれて何年が過ぎたのかというふつう年齢と呼ばれる肉体の年齢とは、これは別のものです。経験と感動を多く積んで浄化向上してきた人ほど、魂の年齢は高く、真の愛に目覚め、霊的価値観すなわち叡智(えいち)を備えています。魂の年齢の幼い人ほど、まだまだ学びが足りず、地上的な物質主義的価値観にしばられています。霊格はおおむね人格に比例しているとも言えます。魂の年齢と肉体の年齢の間には、何の関係もありません。この世には、魂が大人である子供もいれば、子供の魂を持った大人もいるのです。人間関係において、この視点を持つことはとても大切です。まず第一に、この人は年齢から言うともう立派なお年寄りなのに、どうしてこんなに意地が悪いのだろうか、うちの姑(しゅうと)は、なぜこんなにもわからずやなんだろうか、といったようなことで悩むことはなくなります。腹が立った時は、見かけの年齢に惑わされないよう、相手を赤ちゃんとして想像すればいいのです。赤ちゃんに叩(たた)かれたり、幼児にからかわれたりして腹を立てる大人はいません。もしいるとしたら、その人こそ幼いのです。また、この視点を持つことにより、年下の人に対する見方が変わります。年下の人の中にも、自分よりよほど経験を積み、叡智を備えた魂の持ち主がいるのだとわかると、自分は年上なんだからとか、年下のくせにといった不必要な構えやこだわりが無くなります。彼らから学ぶべきことに心を開くことで、とても心豊かになることが出来ます。親子においては、この子は子供のくせに生意気なことを言うと思ったり、自分の子供だからと、子供をわが物のように考えたりすることが間違いだとわかります。親より子供の方が魂の年齢が高い親子など、実はざらにいるのです。

★ より高い魂の境地へ行くために

始めに書いたように、死後の世界は無数の階層からなる、厳然とした 「差別界」 です。誰もが例外なく、死んだ時点での自分の心境に合った階層に、平行移動していきます。生前の地位も名誉も貧富も全く関係ありません。死後は魂がどれだけ純粋で、どれだけ輝いているかということだけが問われるのです。世の中には、死を迎えたら天国に昇天するとか、すぐに神と一つになると考えている人がいますが、真相はそう簡単ではありません。毎日神様に祈ったり、念仏を唱えてさえいれば天国に行けると単純に考えている人もいますが、それは全くあり得ないことなのです。魂が死後たどる道筋について簡単にご説明しましょう。人間は肉体の死とともに肉体という殻を脱ぎ、幽体と呼ばれる霊的なエネルギー体に移行します。そして、「現界」 すなわち私たちが生きるこの世界と霊的世界の中間にある、「幽現界」 へ行きます。一般に仏教では死後四十九日間はこの世にいると言われますが、それは現界に留まっているということではなく、「幽現界」 にいるという意味です。その後、魂は 「幽界」 へ向かいます。この 「幽界」 の中も、さらに無数の階層に分かれています。霊格が高いほど高い層へ、低いほど低い層へ行くことになります。よく言われる 「天国」 と 「地獄」 は、この 「幽界」 の高い層と低い層を指していることが多いようです。臨死体験をした人の話によれば、ある人は、死後の世界はお花畑が広がり、小鳥は歌い、言葉には尽くせないほど美しい世界だったと証言しています。また別の人は、暗闇が果てしなく広がる恐ろしい世界だったと言います。これほどの開きがあるのは、その人の魂のレベルによって行く場所が違うからです。魂はやがて、この 「幽界」 をも離れて 「霊界」 へと上昇します。このとき、魂は自らの姿を形作っている 「幽体」 さえも脱ぎ捨てるため、この過程は 「第二の死」 と呼ばれています。「霊界」 へ行くと、魂は自らの類魂(「類魂の法則」 参照)に帰って行きます。類魂と溶け合い、その一部分となるのです。私たちの魂は、「現界」 で学び足りなかった部分をふり返り、多くの場合、もう一度学び直そうと決意を固め、そこからまた 「再生」 します。こうして魂は 「再生」 と 「類魂へ帰ること」 を繰り返し、最終的には、大いなる光のエネルギー、大霊(グレイト・スピリット)へと融合する 「神界」 へ向かうのです。こうして説明してきたものの、肉体の死後の魂の道筋には、実際は気が遠くなるほどの時間がかかります。それは私たち人間が持つ時間の単位などでは、到底計れないほどです。

★ 「失うことへの恐れ」 を捨てる

私たちが私たちの人生を終えて霊界へ向かう過程すら平坦(へいたん)ではありません。霊的世界を信じないまま死んだ魂や、死後も自らの死を受け入れられない魂、この世に執着を強く残す魂は、「幽界」 どころか 「幽現界」 をいつまでもさまよい続けます。これらの魂は、あの世への移動が停滞してしまった、いわば狭い意味での 「未浄化霊」 たちです。街中を霊視すると、そうした霊魂が無数にいます。ラッシュアワーの駅に行き霊視をすれば、いまだに死に気づかず電車を待っているサラリーマンの霊魂を見つけることが出来ます。デパートへ行き霊視をすれば、売り場を歩き回り、商品の値札までチェックしている主婦の霊魂を見つけることが出来ます。交通事故の現場に行き霊視をすれば、「こんな場所で突然死ぬなんて」 と思いながら、ふらふら歩いている泥酔状態の霊魂を見つけることが出来ます。火災現場に行き霊視をすれば、パニック状態で走り回っている霊魂を見つけることが出来ます。「地縛霊(じばくれい)」 とも呼ばれるこれらの未浄化霊は、彼ら自身の肉体の死を受け入れられず、この世への執着や悲劇的な思いを手放せないでいるのです。また、死に気づいても 「この土地は誰にも渡すものか」 と、生前の土地や家にへばりついたままの霊魂もいます。「死んだらお墓に行くものに決まっている」 という自分の固定観念にしがみつき、お墓にぽつんと座り込んでいる放心状態の霊魂などもいます。これらの人々はみな執拗(しつよう)なこだわりによって、自らの魂を地上世界に留まらせてしまっているのです。「浮遊霊(ふゆうれい)」 と呼ばれる未浄化霊もあります。これは、「恋人が忘れられない」、「私が死んであの人だけが幸せになるなんて許せない」、「やり残していることが山ほどある」、「残した家族が心配でたまらない」 など、現世に残したものへの未練や後悔、妬(ねた)みや憎しみなどの感情を手放せず、いつまでも現世をさまよっている霊魂です。愛と喜びの世界へと向かって行けるはずの彼らの魂を 「幽現界」 に留めているのは、他ならぬ彼ら自身の否定的な心のエネルギーです。いわば 「失うことの恐れ」 が、魂の浄化を妨(さまた)げているのです。しかも自分で自分を縛っている事にも気づけないのですから、何と不幸なことでしょう。これは霊魂に限った話ではありません。生きている私たちにも、実は全く同じことが言えます。私たちが、失ったものへのこだわり、執着、妬み、後悔、恐れといった否定的な感情を手放せないでいると、それは魂の成長を停滞させてしまうのです。ちょうど 「未浄化霊」 のように。こうした 「失うことの恐れ」 は、この世に生きる人間には多かれ少なかれ誰にでもあるものです。そしてそれは誰もが乗り越えなければならない、現世での共通する課題です。今あなたは何を恐れ、何に執着しているのか、ふり返ってみて下さい。そして、それを手放してこそ、喜びや幸せを受け取る準備が出来るのだという事実を知ってほしいのです。

                             もう一つの説明

霊界は、さまざまな階層によって作られています。これが階層の法則です。死後、私たちは、霊的な存在として現世で培った魂の成長に応じた場所へ向かいます。私たちが肉体の死を迎えた時、私たちは霊的なエネルギーとなります、すなわち、肉体の体を脱ぎ捨てた幽体です。最初に私たちの魂が行く場所は、現世と幽界の中間にある幽現界です。次に、私たちの魂は、幽界に行きます。最後には、幽体をも脱ぎ捨ててしまいます。そして私たちは、光り輝く光だけの状態となり、霊界へ上がって行きます。死後の世界は、明るい雰囲気から暗い雰囲気まで様々な階層に分類された差別界です。この分類の仕方は、私たちの現世での行いによって決められます。私たちが、現世にいた時に持っていた地位や名誉や財産は、霊の分類の決定には何の関係もありません。判断材料は、どのくらいその魂が明るく光り輝いているかという1点だけです。私たちの魂をより明るく輝かすためには、九つの法則全てを実践することが必要なのですが。ここで、いくつか大切な点を説明したいと思います。より自らの魂を輝かすということは、より愛を善を真理を真実を許しを、つまり光を選び取るということであり、よりそれらを選び取る力を付けるということです。具体的に言いますと、第一に、私たちは、自分自身の性格や才能を知る努力をする必要があります。第二に、私たちは、自らを偽ることなく本当にやりたいことに取り組んで行く努力をする必要があります。第三に、私たちは、私たち自身の欠点や問題に前向きに取り組み改善するための努力をする必要があります。第四に、私たちは、経験と感動を積み重ねることによって客観的に他人の感情に同情することの出来る能力を育てる努力をする必要があります。つまり、感性を養うということです。第五に、私たちは、善悪を公正無私な立場で判断する公明正大な愛と見返りを求めない無条件の愛を正しく理解して実践努力し、これら二つの愛によって自他共に正しく愛する努力をする必要があります。そしてまた、自分自身、恋人、家族、社会、国、あらゆる国々、動物、植物、人類、霊魂、大自然、森羅万象万物すべてと愛する対象を広げてゆく努力も必要です。公明正大な愛とは、霊的真理に基づいて善悪を明確に判断しながら善を選び取り、どんな魂をも善へ導いてゆくことの出来る大我の愛ことです。無条件の愛とは、善悪の判断をせずにどんな魂をも愛することの出来る大我の愛ことです。これら二つの愛は、現世で暮らす私たちにとって、利己主義に陥りやすい面を持っています。ですから、小我に陥らないように十分にこれら二つの愛について考える必要があります。第六には、他人の人生と自分の人生とを比較しないということです。なぜならば、現世におけるあなたの人生は、あなた自身が最適に成長することができる最適な経験と感動ができるように、霊界にいた時にあなたが守護霊と一緒にあなたの人生の大体の筋書きを設計したからです。あなたの人生は、あなたの魂にとって最高のものなのです。あなたの人生は、他人の人生と比較する必要もないし比較することも出来ないのです。第七には、あなたの人生を生き抜くことが大切です。あなたの人生は、あなたの魂にとって最高で最適な人生なのです。大変でも、どうか生き抜いて下さい。ですから、自殺は決してしないで下さい。決して闇を、つまり無関心を悪を隠ぺいを偽りを恨みを絶望を選び取らないで下さい。なぜならば、自殺をすると再び生まれ変わった時にもう一度同じ人生を繰り返さなくてはならないからです。ですから、あなたの人生でおこるさまざまな出来事をいつも前向きに考えて下さい。常に光を、つまり愛を善を真理を真実を許しを希望を選び取って下さい。そして、ますますあなたの魂を輝かせて下さい。



3.類魂の法則

私たちは決して一人ではありません。誰もが必ず霊界に現世の家族以上の強い絆で結ばれた魂の家族を持っています。私たちはそれぞれに、霊界すなわち魂の故郷に強い絆で結ばれた魂の家族である類魂を持っています。類魂は、たくさんのほとんど均質な魂達から作られています。そして霊界は、たくさんの類魂で作られています。これが類魂の法則です。魂の家族に対し現世の家族は、肉体の家族です。現世の家族は、肉体的に血はつながっていても魂は別々です。なぜ別々の魂が集まって家族を形成しているかというと、お互いに切磋琢磨して学び合うためです。それゆえに、それぞれの魂にとって必要な学びがお互いに学び合えるように最適な者同士が集まって一つの家族が構成されています。その意味で、現世の家族は魂の学校なのです。私たちが生まれる前、まだ霊界にいた時は、私たちの魂はこの類魂の中に溶け合っていました。そしてあるとき、私たちの魂は類魂全体の浄化向上のために再生を志し、そこを離れてこの世に生まれてきました。私たちはこの世で魂を磨き、やがて死ぬと、故郷である類魂のもとへまた帰って行きます。あなたの類魂を一杯の水に例えたならば、あなたの魂は一滴の水です。グラスの中の水は少し濁っていて、より透明できれいな水になること(浄化向上)を目指しています。濁った水をきれいにするには、物質界であるこの世に生れ出て、たくさんの経験と感動を積み、魂を磨く必要があります。そのためにあなたは、一粒の水滴としてグラスからこの世に出されました。この世であなたは、水滴の濁りができるだけ薄くなるように、生涯魂の浄化向上に努めます。そしてやがて人生を終え、故郷であるグラスの中へ戻って行きます。一粒の水滴がきれいになれば、グラス全体も少しは透明度を増します。しかし、全体が透明になるには気の遠くなるような時間をかけて、この作業を繰り返さねばなりません。中には薄くなるどころか、より濁った水滴となって故郷に帰り、類魂の浄化向上を遅らせるような人生もあります。一つの類魂から現世に再生できる水滴の数は、通常はひとつだけです。一つの類魂が、同時期に複数の水滴を現世に再生させることはありません。あなたの魂が浄化向上すればするほど、再生の頻度が増してきます。つまり、あまり間を置かずに再生するという事です。そして、中には二粒の水滴を送り出す類魂も出てきます。これが、ツインソウルと言われるものです。こうしたことを繰り返すうちに、グラスの水はきれいになって行くのです。究極の目標は、完璧に無色透明な魂になること。そうなれたときにはもう、類魂ごと大霊(最高の類魂)と一体です。どの類魂も、その境地をひたむきに目指しています。だからこそあなたに、あなたの類魂は、霊界から大きな愛を注ぎ、あなたの成長を懸命に支援しています。あなたの成長が、あなたの類魂全体の成長に必要なことだからです。実は、あなたの守護霊たちもすべてあなたの類魂の一部分なのです。あなたの守護霊たちもかつては、あなたの類魂からこの現世に降りて一人の人間としての人生を送っていました。その守護霊がとりわけ熱心にあなたを見守り、辛抱強く指導してくれる理由は、守護霊にとってはあなたのことが、自分自身の事にほかならないからなのです。そして同時にまた、霊界からあなたを指導するという経験を通じて、守護霊自身が学んでいるのです。江原啓之さんの守護霊である昌清の霊さんは、類魂についてこのように説明しています。あなたの類魂の個性は、同一である。しかし、あなたの類魂のそれぞれの魂の経験は別々であると彼は説明しています。つまり、類魂は全体があなた自身のようなものですから、個性は同一です。そしてまた、あなたが今持っている個性は死後も変わりません。つまり、あなたの個性はあなたの類魂の個性なのです。けれども類魂のそれぞれの部分が持つ経験はそれぞれ違っています。グラスの水の例えで言うと、一滴ずつグラス(類魂)から出ている水滴(魂)は、これまでに実に様々な時代、国、性の人間として生まれ、全く違う経験を積んできました。つまり、一つ一つの前世の経験は、すべて違っています。今の時代や今の国や今の名前で生きているあなたの経験は、かけがえのないその一つなのです。あなたの類魂には、それら無数の経験が内包されているのですから、そこから導き出された知恵もたくさん詰まっていることになります。つまり、あなたの類魂は輝かしい記憶と叡智の宝庫なのです。昌清霊によると、あなたの肉体が死んで霊界へ行き、類魂の中へ再び溶け合ったとたんに、それらすべての経験が、あたかも自分の記憶のように蘇るのだそうです。しかし当然ながら、今のあなたにその記憶はありません。もっと正確に言うと、あなたは魂のどこかで本当は知っているのですが、肉体という鈍重な物質にこもっているために、その記憶を引き出せないのです。しかし、そのような状態であったほうがより良いのです。なぜなら、そのような状態になっていることによってあなたは日々の経験を新鮮な学びの材料として生きていけるのですから。そんなあなたに、あなたの類魂はしきりに支援を授けようとしています。あなたが高い波長(より良い人格を目指し努力すること)を持って生きていれば、類魂からのあなたへの通信は容易になり、あなたは叡智の宝庫の恩恵をひらめきなどを通じて受け取れるようになるはずです。そして、類魂に関してもう一つ知っていただきたい大事なことがあります。それは、これまで説明してきた類魂は狭義の類魂であるということです。広い意味で言えば、すべての魂が一つの類魂です。あなたの類魂は、さらに大きな類魂の一部です。その大きな類魂もまた、もっと大きな類魂の一部です。そうして遡って行くと、すべての魂は広義の類魂なのです。ですから私たちの魂は皆同じく大霊の子であり神の子なのです。




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霊的真理の九つの法則 (現代日本のスピリチュアリズム) 日本語版 その2

2014年04月04日 | 10の霊的真理 (日本語版)

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4、守護の法則

誰にでも、あなたに寄り添い見守ってくれる守護霊がいます。これが、守護の法則です。守護霊のついていない人は、この世に一人もいません。守護霊という霊的存在は、あなたが人知れずどんなに苦しい試練の中で苦悩している時でさえも、大きな愛であなたを見守ってくれているのです。守護霊が願っていることは、私たちの魂を大きく成長させより輝かせることに尽きます。彼らは、現世での私たちの学びを実り多きものとするというただそれだけの目的に沿って私達を導いているのです。守護霊は、現世の親以上に厳しいものです。彼らは、あなたの成長のためになることなら試練を与える事さえ厭いません。試練は、可愛い子には旅をさせろという意味につながる愛の鞭なのです。守護霊は、役割によって大きく四つのタイプに分けられます。一つ目は、生前から死後まであなたを見守り続ける中心的役割を担っている存在である中心的守護霊です。彼らは、他の守護霊達のリーダー的存在でもあるのです。そして彼らは、この役割を途中で他の守護霊に譲ったりはしません。彼らはこの役割を最後まで担い続けます。その強い絆のためにか、人は皆自分の中心的守護霊と似たような生涯を送ると言われています。多くの場合、女性には女性の霊魂が、男性には男性の霊魂が中心的守護霊としてつきます。統計的にみると、四百年前から七百年前に他界した先祖の霊が中心的守護霊として働くことが多いようです。二つ目が、あなたの職業や才能、趣味を指導する指導霊です。例えば、芸術家には芸術家の霊魂が、医師には医師の霊魂がついていることが多いようです。指導霊は、中心的守護霊と違って先祖とは限りませんし、外国人の霊魂である場合もよくあるようです。例えは、ヨガの先生にインド人の霊魂がついていたりします。指導霊は、中心的守護霊と違って現在のあなたの心のレベルに見合った別の指導霊と入り替わったりします。三つ目は、支配霊です。彼らは、あなたと中心的守護霊が霊界で決めてきたあなたの宿命と現世でのあなたの行いによって新たに生み出されたあなたの運命を調整しています。彼らは、人や出来事との出会いや新しく住む土地や環境など、あなたが人生において進むべき方向を調整しています。支配霊は、あなた未来を十年ほど先まで知ることが出来ます。あなたは自分の今までの人生をただの偶然の積み重ねだと考えているかもしれませんが、実際には支配霊の支援が常にあったのです。四つ目は、補助霊です。彼らは、以上三つの守護霊達の仕事を手伝い補助しています。彼らは、さほど古い霊魂ではありません。あなたの家族や近い親戚や近い先祖が補助霊になっている場合が多いようです。守護霊の存在を知っていても、人生があまりにも悩みや苦しみに満ちているときは、本当に守護霊なんているのだろうかという気持ちにあなたはなってしまうかもしれません。しかし、ここで思い出して頂きたいのが波長の法則です。あなたが否定的な心でいれば守護霊の愛はあなたの心に届きません。そればかりかどんどん遠のいてしまいます。それは、雨雲と太陽の関係に例えられます。雨雲が空に広がっていると、向こうに太陽がさんさんと輝いていてもその光は届きません。あなたの心に広がる厚い雨雲とは何のことだと思いますか? それは、あなたの不平不満や妬みや憎しみで す。それは、自分の怠惰は棚に上げて、人に依存したり、責任転嫁したりするあなたの心です。そして、そうした低い心境に引き寄せられて集まる邪霊や低級霊です。これらの否定的なエネルギーが、守護霊の愛の光を阻(はば)んでしまうのです。逆にあなたが優しさと労(いたわ)りの心や 感謝の心を忘れずにいれば、あなたの波長は高くなります。あなたがそうなれば、厚い雨雲は消え失せ守護霊の愛はさんさんと輝く太陽のようにあなたを照らしてくれるでしょう。そしてあなたは、あなたの才能を花開かせることができ、素晴らしい閃(ひらめ)きを得ることが出来るでしょう。そしてまた、困難に直面した時も、絶妙な支援を受け取ることが出来るでしょう。さらに、私たちが忘れてはならない事実があります。あなたの波長が高くなれば、中心的守護霊以外の指導霊、支配霊、補助霊は、より高いエネルギーを持った霊魂と入れ替わるということです。あなたの波長が低くなれば、中心的守護霊以外の指導霊、支配霊、補助霊は、より低いエネルギーを持った霊魂と入れ替わるということです。例えば、仕事であなたが常に努力を惜しまず向上心を持ち謙虚に誠実に励んでいれば、たとえ才能のない人でも高級な指導霊を呼び込むことが出来ます。そして、あなたの能力を飛躍的に伸ばすことも可能なのです。逆に傲慢(ごうまん)になったり増長したりすれば、あなたの波長は著しく低下し、今ついている指導霊はあなたのもとを去ってゆくかもしれません。代わりにあなたにつく指導霊は、 あなたの低くなった波長に見合う一段下の霊魂です。そのことによってあなたの能力は落ち、今までできたはずの事も出来なくなってしまいます。こうなったとしても守護霊達の責任ではありません。あなたがより高い導きを受け入れることが出来るか否かは、あなた自身の波長次第なのです。


5、運命の法則

★ 運命と宿命は別。

運 命という言葉があります。世の中には、自分の人生をすでに決められたものとし、何事も宿命のせいにする宿命論者がいます。テレビや雑誌でも、占い師などが あなたの人生は決まっているなどと語っています。しかし、あなたの運命は決して一つに定められているものではありません。波長の法則、因果の法則からもわ かるように、あなたの人生の流れはあなた自身が作り出すものなのです。これが、運命の法則です。もしあなたの運命がすでに決められているのなら、あなたが この現世に生まれてくる理由など何もないことになります。なぜなら、あなたは決められた通りの人生をだらだらとただ生きていけば良いことになりますから、 努力をする必要も悩む必要も無くなってしまうからです。しかし、人生はそのようなものではないのです。あなた自身があなたの自由意志で決めて行くのが人生 であり、それが生きることの喜びなのです。今あなたに起きていることは、すべて今までのあなた自身が作り出した現実にほかなりません。そして今後の人生を 作り出して行くのも、すべてあなたの自由意志です。幸せになりたければ、波長を常に高くし、善い行いを沢山すればよいのです。誰もが自分自身を責任主体と して、幸せな人生を作る自由を持っているのです。誰もが自分自身を責任主体として、幸せな人生を作る自由を持っているのです。しかし、人生には変えること の出来ないものもあります。それは、あなたが生まれる前から決まっていた要素です。つまり、それは宿命です。例えば、あなたが女性、あるいは男性として生 まれたことです。その事実は変ることが出来ません。生まれ持った体質や容姿もまた宿命です。さらに、あなたがあなたの家族のもとに生まれて来たこと、日本 人なら日本人として生まれて来たこと、今という時代に生まれて来たことも宿命です。こう書けば、やっぱり人生のほとんどは、自分の意志ではないものによっ て決められているんじゃないかと思う人がいるかもしれません。けれども、スピリチュアリズムの立場からはこう考えます。宿命さえも、生まれる前にあなたが きめたことなのだと。あなた自身の魂、ひいてはあなたの類魂が決めたことなのだと。スピリチュアリズムの立場から言えば、あなたが楽に生きられる環境は、 あなたにとって何も学べない環境だと言えます。何の苦難も摩擦も経験できない環境を選んで生まれたら、その人生は学びの少ないものとなってしまいます。あ なたが生まれたのは、あなたの魂を磨くためなのです。この世で多くのことを学び、感動し、あなたの魂を浄化向上させて、あなたの類魂を大霊に少しでも近づ けるためでした。そのためには、あなたの魂の濁った部分を徹底的に磨ける環境が、人生の設定として選ばれなければなりません。そうして選んだのが、ほかな らぬあなたの性別や体質であり、国籍や時代であり、家族なのです。これらは、あなたの筋肉の弱い部分を鍛えてくれるトレーニング・マシーンのようなもので す。あなたはこのトレーニング・マシーンに自ら挑むことにしたのです。真の幸せ、永遠の幸せをつかむために。

★ 宿命を受け入れて生きる。

で は、生まれ持った宿命と、実際の人生の中で作り出されていく運命の関係を、私たちはどう考えたらいいでしょうか。私はよく、それを説明するときに、ケーキ のスポンジとデコレーションの関係に例えます。スポンジは宿命、デコレーションは運命です。既に決まっているスポンジの上に、自由にデコレーションしてゆ く。これが人生なのです。デコレーションを考えるときは、みんなと同じがいいとか、少しでもみんなに羨(うらや)ましがられるようなデコレーションがいい といった発想は禁物です。あなたのスポンジに最適である独自のデコレーションが必ずあるはずなのです。ですから、あなたのスポンジの特徴をよくつかんで、 それに適したデコレーションを考え出すことが大切です。もしあなたが、あなた以外の価値観を基準にしたデコレーションをしたのでは、釣り合いの取れていな い不安定なケーキが出来上がってしまいます。人生も、これと同じです。もしあなたが決まった宿命の中で最高の人生を生きようと思ったら、自分の宿命を理解 し受け入れることが第一歩となります。そしてその特徴を生かしてこそ、幸せな人生を作っていけるのです。あの人のスポンジならよかったのにとか、こんなス ポンジでは幸せになれっこないなどとぐずぐず言っていては、人生の時間が無駄に過ぎていくだけです。「 このスポンジを最高のケーキに仕立ててみせる!」 と、早いうちに肚(はら)をくくれた人ほど、充実した人生を送ることが出来るのです。宿命と運命の関係は、それを学校生活に例えることもできます。その学 校で既に決まっている制服、校則、授業のカリキュラムは、宿命です。そしてその学校であなたがどう過ごすのかは、運命です。中学校時代や高校時代のクラス メイトたちを思い出してみて下さい。同じ学校に通っていても、過ごし方は様々だったと思います。これと同じで、人生という学校でも、懸命に勉強して良い成 績を挙げることもできれば、部活動に熱を入れることも、たくさんの友達を作って友情を育むこともできます。自分で望んで入った学校であるにもかかわらず、 不満ばかり言いながら過ごすこともできるし、つまらないからと毎日サボることもできます。その学校(宿命)で、どんな経験をするのか、どれだけ有意義に過 ごすかは、ひとえに一人一人の自由意志次第なのです。人生も、これと同じです。決まった宿命のもとに生まれたあなたの人生には、無数の過ごし方がありま す。今日からこの世を去る日まで、どのような人生を歩むのかは、すべてあなた次第なのです。


6、波長の法則


★ 「想念」 が出会いを決める。

自 分の心のあり方が、あなたの出会う人や出来事を決めている。これが、波長の法則です。人間が心に持つすべての思いは、「想念」 という霊的なエネルギーを生み出します。そして、「類は友を呼ぶ」 という言葉が昔からあるように、同じレベルの想念の波長をもった者同士がお互いに引き寄せあうのです。今のあなたを 取り巻いている人たちを思い浮かべて下さい。どんな人たちが、あなたの日常生活の中にいるでしょうか。愛情と優しさに満ち、前向きで素直な心を持った人た ちなら、あなたも前向きな高いエネルギーを持っていると言えます。反対に憎しみや妬み、蔑(さげす)みの心を持つ人たちに囲まれていれば、あなた自身も否 定的なエネルギーを持っていることになります。「私の周りにはろくな人がいないわ。」 「どうして私のところにばかり腹の立つやつが集まるの。」 「人間 関係に恵まれない私って不幸・・・・・。」 と言う人も、その原因は自分自身にあるのです。自分自身の波長は、日常の中で経験する出来事をも決めていま す。「最近ろくなことがない。」 「どうしてこんなに嫌なことばかり続くんだろう。」 と思う人は、自分の波長が低くなっていないかどうかを省みる必要が ありそうです。自分自身の心のあり方をまるで鏡のように見せてくれる波長の法則ですが、恐れる必要は全くありません。あなたが感謝や喜びの心、労(いたわ)りや優しさの心を持てば、波長が高まり、同じく高いエネルギーを持った人や出来事が、必ず感応して集まってくるのですから。この法則から言えることの 一つは、恋人との別れは悲しいことではないということです。あなたは、お互いにかなり夢中だった恋人とうまくいかなくなったりとか、あなたがとても親しかった友達と話が合わなくなったという経験が、あるのではないでしょうか。これは、ふたりの波長の間に差が出て来たためなのです。これは、ごく自然な流れ であり仕方のないことです。その関係にいつまでも執着せず、心を切り替えて新しい出会いに向かってゆく方がいいのです。思いの持つエネルギーだけでなく、言葉が持つエネルギー、すなわち 「言霊(ことだま)」 もおろそかにしてはいけません。口から出した言葉は必ずエネルギーとなって、同じようなエネルギーを持つ人や出来事を呼び寄せます。「どうせ私には出来っこない。」 とか言った否定的な口癖は、今すぐにでも止めて下さい。「私はダメな人間だから・・・・」 も禁物です。あなたが、たとえ謙遜(けんそん)で言っていても言い続けていると、本当にダメな人間になってしまいます。言霊の力は、それほど強力なのです。

★ 低級霊の憑依にご用心

霊 的な電波を放って生きている私たち人間は、例えてみればラジオのようなものです。どこにチューニング(調整)するかにより聞こえてくるものが違ってきま す。あなたが心を高い周波数にチューニングしていれば、あなたの気持ちが安らぐ話や、あなたにとって必要な情報が耳に飛び込んできます。あなたが心を低い 周波数にチューニングしていると、嫌な噂(うわさ)や、あなたを不安な気持ちにさせる雑音しか入ってきません。現世に肉体を持たない霊にも、人間が出す霊 的な電波は及び作用しています。あなたが低い波長の電波を出していると、邪霊や未浄化霊と呼ばれる低級霊と同調することになるのです。場合によっては、そ れが憑依霊(ひょういれい)となってあなたに憑(つ)き、あなたの生活や健康にまで悪影響を与えます。例えば、私たちが墓場や事故現場、因縁のある場所に 出かけた時に、悪い霊に取り憑かれてしまったとします。それ以来、ずっと肩が重いとか、悪いことが重なって起きるとか、健康を害してしまったなどと言うこ とが起きて来ます。こうした憑依現象は、とかく霊の側が悪いものとして語られ恐れられています。けれども、こうゆう現象も波長の法則が働いた結果なので す。憑かれた人間も、同じレベルの波長を出していたのですから、自分の低い波長に問題があったと考えねばなりません。私(江原啓之)のもとにも、憑依霊の 問題で訪れる相談者はかなりいます。「今すぐこの霊を私から取り除いて下さい!」 まるで被害にでもあったかのような感じで相談してくる人もいます。ところが私がその人を霊視してみると、どの憑依霊も口を揃(そろ)えてこう言うのです。 「私は、この人に呼び寄せられて来たのです。」 と。ずっと前に訪ねてきた若い女性もそうでした。彼女は体調をかなり悪くしていて、原因は病院に行ってもわからないと言います。その顔は真っ青で、まるで 地獄の底から這(は)い上がってきたような形相でした。彼女は、付添いの人に腕を支えてもらわなければ立つこともままならないほどの衰弱ぶりだったので す。私は驚きを隠せませんでした。廃人のような彼女の姿にではありません。彼女の後ろに重なるように、はっきりと別の女性の姿が立ち浮かんでいたからで す。その憑依霊は、三年前に海に飛び込み自殺をした若い女性の霊でした。その霊が私に語るところによると、自分は恋愛の果てに捨てられて自殺したとのこと でした。彼女が恋人に捨てられた原因は、彼女に赤ちゃんが出来たからでした。なぜその女性に憑依したのかを私が霊に尋ねると、「彼女は私と全く同じ事情で 悲しみに暮れていたからです。この女性なら私の気持ちをわかってくれると思ったのです。」 と、その霊は言いました。相談者の女性にそのままを伝えると、まさしくその通りであるとのことでした。彼女は恋愛にやぶれ、お腹に別れた男性の子供を宿 し、絶望的な気持ちになっていたのです。そして憑依霊が入水自殺をしたという同じ岬に、彼女も自殺したいと思いながらたたずんでいたのです。一緒にいた友 人が彼女が自殺するのを止めてくれたおかげで、その場では事なきを得ましたが、以後彼女は様々な症状に襲われるようになりました。そして、とうとう喉が腫 (は)れて食べ物も通らなくなり、お腹がパンパンに張って痛むという、まさに入水自殺をしたのと同じような症状に悩まされるようになったのです。私はその 憑依霊を浄霊するとともに、相談者の女性に生きることの意義を諭(さと)し、希望を持って生きるよう励ましました。するとみるみるうちに、彼女は誰が見て もはっきりわかるほど、明るく健康な女性に変わりました。この女性はこんなに美人だったのかと思うほど、見事な変貌ぶりでした。日本には、なぜか自殺が多 発する場所があります。そうゆう場所へ失恋に悩む人が足を運べば、失恋を苦に自殺した霊達が同調して集まってきます。金銭トラブルに悩む人が行けば、金銭 を苦に自殺した霊達が呼び寄せられて、次々にその人の足を引っ張ります。自殺者の霊は、なぜ死んだ現場に居残ってこのようなことをするのでしょうか。それ は、彼らが自分が死んだという事を理解出来ないでいるからです。彼らが、自分たちはまだ死ねていないと勘違いしているからです。多くの自殺者は、死ねばす べてが終わると信じて死にます。ところが、霊魂の法則からもわかるように、人間は霊的存在ですから肉体の死後も魂の存在は無くなりません。自殺した霊は、 いつまでも自分という存在が消えてしまわないことに苦しみます。そして、もう一度きちんと自殺をやり直さなければならないと思い込み、同じ波長の人に憑依 しその肉体を借りてもう一度自殺しようとするのです。もちろん、そうした場所へ行った人すべてが憑依を受けるわけではありません。あなたが、高い波長を 保っていれば絶対に大丈夫です。先の例からわかるように、彼女と一緒にいた友人は、自殺したいと思うどころか、むしろ彼女が自殺しないように止めてくれた のですから。あなたはここまで読んで、私は霊的体質でもないし憑依なんて関係ないと思うかもしれません。しかし実は、誰にとっても憑依は意外なほど頻繁に 起こっています。ふつうあなたは気付いていないことがほとんどですが、ごく小さな憑依まで含めれば、それこそ日常茶飯事といってもいいくらいです。それは 何も特別なことではなく、憑依も単に波長の法則の一面であるにすぎないのです。それは、肉体を持たない霊による憑依だけではありません。生きている人の想 念と魂、つまり生霊もまた憑依をします。昔から怪談などで語られる丑の刻参りなどは、生霊のエネルギーを使った呪術です。これなどは極端におどろおどろし い例ですが、人に対する思いは、意識的にしろ無意識的にしろ、相手にしばしば影響を及ぼしているのです。

★ 憑依の連鎖を断ち切るために

低 級な憑依霊に取り憑かれた人に対し、私は霊能力者として浄霊を行うことがあります。けれども私はこれが根本的な解決をもたらすとは思っていません。それは 憑依を一時的に取り除くに過ぎない、いわば対症療法に過ぎないと考えています。憑依した霊は、私がよくよく言い聞かせることにより、その人の体を離れてい きます。しかし、その憑依を招いたのはその人の波長ですから、本人の心のあり方がその後も変わらなければ、また同じレベルの霊を招いて憑依されてしまいま す。憑依の連鎖を断ち切ることは、結局のところ本人にしかできません。本人の心の波長さえ高まれば、霊能力者の手を借りなくても憑依霊は自然と離れていき ます。憑依霊が、自分が憑いた人間が前向きに変わった姿を見て 「なるほど、もっともだ」 と教えられ、浄化していくことも珍しいことではありません。霊的な話が苦手な人には、恐ろしく思える話が続いたかも知れませんが、憑依も恐ろしいものばか りではありません。人間は高い波長をもった霊による憑依で恩恵を受けることもしばしばです。すぐれた才能や技能を持つ人たちの多くは、霊から創造的なエネ ルギーを授かって仕事をしています。生霊も否定的なものばかりではありません。親が子を心配する思い、遠く離れた人を思う愛といったエネルギーもまた生霊 であり、思われている側がそのエネルギーに守られて助けられたり、難局を切り抜けられたりすることは、本人は気づかなくても日常よくあることなのです。す べては自分自身の波長しだいです。自分が波長という大事なエネルギーを放っていることを自覚し、常に自分の波長を高く保つように努めて下さい。


7、因果の法則


★ すべての行為、つまり思いと言葉と行動がカルマになる。

自分がしたことはいつか自分に返ってくると、日本ではよく言われます。「自らまいた種は、自らが必ず刈り取らねばならない。」という言葉もあります。因果の 法則は、まさにこの事を意味しています。これが、因果の法則です。因果とは、文字通り原因と結果のことです。これをカルマとも言います。他にカルマには、 すべての行為、つまり思い、言葉、行動という意味もあります。今ある状況はすべてが、これまでの自分のあり方(原因)の結果だというのが因果の法則です。 この世には奇跡と偶然のどちらも存在しません。すべての出来事は、因果の法則という自然の摂理にもとづいた必然なのです。原因となるのは、「行い」だけで はありません。あなたが話す「言葉」や心に抱いた「思い」さえもが、原因なのです。すべての行為は、霊的エネルギーを放っています。それは、いつかあなた のもとに何らかの結果となって返ってきます。この法則が働く正確さは、スーパーコンピューターをはるかに凌(しの)ぐものです。因果やカルマというと、恐ろしいイメージを持つ人が多いのですが、波長の法則と同様、これも自分自身の自己責任次第だという事を知れば、何も恐いことはありません。あなたが愛や思 いやりや努力といったプラスのカルマを積めば、必ずプラスのカルマがあなたに返って来ます。そのことをこの法則は保証しているのですから、むしろありがた いことです。たとえマイナスのカルマが返って来たとしても、それはいわゆる天罰ではありません。霊的法則に天罰はないのです。ただ単純に、自分が蒔(ま) いた種がそのまま返って来るというだけです。とてもわかりやすい摂理なのです。因果の法則は、実に機械的な法則に思えるかもしれませんが、しかし、これは 実に愛に満ちた法則なのです。なぜなら、この法則が働いているからこそ、私たちは必ず自らの欠点や未熟な部分に気付くことが出来、それを改善することがで きるのですから。その時は、手痛い経験と感じるかもしれません。しかし、だからこそ、二度と同じ過(あやま)ちをしない自分になれるのです。このように、 どの霊的法則も、私たちの魂がより成長できるようにのみ働いているのです。

★ カルマは、人間関係の磨き砂

現 世における学びのうち、あなた一人で達成できるものはほとんどないと言えるでしょう。人間は、人間同士が共に生き、時には衝突し、感動を与え合ってこそ、 お互いの魂を磨き合うことが出来るのです。本当の幸せも、たった一人きりでは得ることはできません。人間関係とはまさに、魂に輝きを与える磨き砂と言える のです。因果の法則は、あなたと他者との関係がどうあるべきかを教えてくれます。あなたが、思い、言葉、行為を通じて、愛情やいたわりを人に与えれば、必 ずそれは同じだけあなたのもとに返って来ます。逆に、憎しみや妬みなどの思いを人に与えていたら、あなたのもとにそれが同じだけ戻ってきます。この法則を 知らず、もしもあなたが自分の悩みの原因を他人に転嫁(てんか)したり、恨んだりすればどうなるでしょう。自分が放った否定的エネルギーがあなたに戻って来ただけなのに、さらに新たな否定的エネルギーを放ってしまうことになります。あなたが、自分自身の過(あやま)ちに気付かない限り、その苦しみは二重にも三重にもなり、いつまでも自分が蒔いた種によって苦しむことになりかねないのです。逆に、あなたが肯定的なエネルギーを常に放っていれば、あなたのもとにそれが二倍にも三倍にも なって返って来ます。これは、とても心強い摂理です。正直者が馬鹿を見るとか、報われない努力といったことが絶対にないことの保証だからです。

★ 家や国にもカルマがある

と ころで、因果、すなわちカルマには、もう一つ大事な側面があります。カルマは人間一人一人に働いているだけでなく、家、会社、国、さらには地球にも作用し ているということです。つまり、家には家系のカルマ、会社には会社のカルマがあり、国や地球にも、国のカルマ、地球のカルマというものが存在するのです。 すべての魂が元来一つである以上、カルマも相互に無関係ではありません。類魂の法則で書いたように、私たちはすべて広義の類魂です。「自分の行いや思い が、自分の人生を左右するところまでは実感できるけれど、国や地球の事まではピンと来ない。私にはそんな大きな力はないから。」 などとは思わないで下さ い。あなたのカルマは、あなたの暮らす国のカルマとなり、ひいては地球のカルマとなるのです。そして、地球のカルマは、各国のカルマとなり、一人一人の人 間のカルマとなります。日本に生きる私たちは、日本という国のカルマを背負っています。現在の地球環境の悪化も、経済の不況も、さまざまな社会不安も、今 までのツケによって表面に出て来た日本のカルマであり、私たちが共に学ばなければならない課題です。非常に大規模な国のカルマというものを、私たちは分担 して背負っている仲間なのですから、責任を押し付け合わず、どんな問題も共に考えていかなければなりません。たとえば、今の日本には就職口が少ないという 問題があります。どんなに優秀で努力を積んでいても就職活動がうまくいかないという人も多いでしょう。あなたが努力というプラスのカルマを積んでいるのに もかかわらず、うまくいかないのは不公平だと、あなたは思うかもしれません。しかし、これもまた日本のカルマです。そして、運命の法則で書いたように、私 たちは日本という国のこの時代を選んで生まれて来ました。雇用不安という問題を一つとってみても、それは私たち一人一人が考えねばならない問題なのです。 逆の場合も考えてみて下さい。地球の幸せなくして、日本の幸せはあるでしょうか。日本の幸せなくして、個人の幸せはあるでしょうか。地球のカルマ、日本の カルマを果たしてこそ、私たちの幸せはあるはずです。どこか遠い国で起こっている惨事も、地球環境が破壊されつつあることも、私たちは自分自身の責任とし て、自分自身の痛みとして、感じながら生きていかなくてはならないのです。




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霊的真理の九つの法則 (現代日本のスピリチュアリズム) 日本語版 その3

2014年03月21日 | 10の霊的真理 (日本語版)



8、正負の法則


人 生には、霊的な学びの仕組みがあります。私たちの人生の霊的な学びの仕組みは、人生で起きるプラスの面とマイナスの面をどちらも体験することによって、物 事に対する理解と気づきをさらに深めて行くという仕組みになっています。それはつまり、私たちはプラスの面とマイナスの面の両方のバランスを取りながら学 びを深めているということです。これが、正負の法則です。ですから、私たちはさまざまに違った立場を経験することになります。つまりこれは、「苦あれば楽 あり。楽あれば苦あり。」ということです。そしてこれは、「雨が続いたなら、晴れがありがたい。晴れが続いたなら、雨がありがたい。」ということでもあり ます。これを別な視点で考えてみると、私たちは二つの大きな世界で暮らしていることがわかります。それは、現世と霊界です。現世と霊界は、互いに逆の世界 です。価値観や環境が、逆になっています。現世は困難や苦しみの多い世界です。しかし、霊界は喜びや幸せの多い世界です。困難や苦しみの多い現世では、私 たちの魂はとても成長できます。しかし、喜びや幸せの多い霊界では、私たちの魂はあまり成長できません。現世では、肉体があります。しかし霊界では、肉体 はありません。私たちは、互いに逆の世界である前世と霊界を交互に暮らしながら学んでいます。そしてまた、私たちは現世に男性や女性として生まれて来ま す。また、物事がうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。たとえば、もしあなたが誰かに嘘をつき何かを隠したならば、しばらくの間は、そ れを隠すことができるでしょう。しかし、最後には必ずあなたの嘘はバレてしまうでしょう。これらのように、私たちはプラスの面とマイナスの面の両方をいろ いろと経験しているのです。ところで、すべての魂は大霊つまり最も浄化した霊と一体化し溶け込もうとしています。私たちの魂が大霊と一体化するためには、 最終的にはありとあらゆる全ての経験を積み、私たちの魂を最高度に浄化しなくてはなりません。それゆえ、私たちは皆誰でも、やがてはありとあらゆる同じよ うな経験をすることになっているのです。私たちは、プラスの面とマイナスの面の両方をバランスを取りながら永遠の時間の中で、ありとあらゆるすべての同じ ような経験をすることになっているのです。これらのことから導き出される諺(ことわざ)は、「明日は我が身」 という諺です。この諺は、他人に起きているこ とは、いつか自分にも起きるということを意味しています。もしも私たちが、この諺に対する理解をもっと深めることが出来たならば、私たちは立場や環境の違 う他人と自分とを比較することを止めることが出来ますし、自分や他人に対してもっと優しくなることが出来、イジメや差別や戦争を防ぐことも出来ます。この 諺と正負の法則は、素晴らしい可能性を秘めています。


9.向上の法則


★ すべての霊的法則は、私たちを真の幸せに導いている

こ こまでの八つの法則を振り返ってみましょう。あなたは永遠に生き続ける霊的存在であり(霊魂の法則)、魂を磨いて大霊に少しでも近づけるよう、ひたすら浄 化向上を目指しています(階層の法則)。そのためにあなたはこの世に生まれ、自分の波長やカルマが引き寄せたものを通じて、多くを学んでいます(波長の法 則、因果の法則)。より多くを学ぶためには、まずあなた自身の宿命を受け入れ、運命の仕組みを知ることが大切です(運命の法則)。人生の旅には苦難がつき ものですが、どんなときもあなたは守護霊や類魂の愛に包まれています(守護の法則、類魂の法則)。これらの法則は個々に独立して存在しているのではなく、 渾然(こんぜん)としてからみ合い、相互に作用し合いながら働いています。どれ一つ欠けても、私たちは霊的真理を語ることはできません。そして霊的法則 は、時間的にも空間的にも、私たちの想像が及ばないほどの大きな規模で、しかも一つの見落としもなく正確に働いています。一体このような大がかりな法則が 働いているのは、何のためなのでしょうか?それは、もうここまで読んであなたにはおわかりの通り、すべての魂が大霊つまり神と一つになるためです。これを 個人レベルでわかりやすく言えば、霊的法則は、私たちが真の幸福を得るために働いているのです。これが、向上の法則です。一般的に考えられている幸せは、 この世の視点で考える幸せであり、物質的価値観に基づいていることがほとんどです。しかし、霊的視点で見た幸せは違います。ときには苦難に遭い、試練を克 服しながら、愛を学び、自らの魂の濁りをきれいにしてゆくこと。それこそが魂の真の幸せであり、神に近づいてゆく唯一の道なのです。このように書くと、大 霊に近づくことなんて私は別に望んでいないと思う人がいるかもしれません。それよりもあなたは、今すぐ素敵な恋人を見つけることや、棚ぼた式にお金持ちに なることを幸せとして望むかもしれません。波長の法則も因果の法則も、あなたにはただ厳しいだけに思えるかもしれません。霊的真理をよく理解できないうち は、それもある程度は仕方のないことでしょう。では、逆を考えてみましょう。たとえば、因果の法則が働かない世界を想像してみて下さい。あなたはどんなに 悪いことをしても、人をつらい目に遭わせても、仕返しを受けることもなければ、同じ目に遭って自分のしたことを思い知らされることもありません。あなた は、自分の欠点にいつまでも気づかされませんから、人に迷惑をかけ続けながら一生を過ごして行きます。一見、喜ばしいことに思えるかもしれません。欲望を 叶(かな)えたい放題の、楽な人生に思えるかもしれません。でもこれは、大霊に見放された状態なのです。あなたは罪を犯したまま、ゆがんだ性格を持ったま ま、波長の法則に従って、否定的なエネルギーの雪だるまのようになってゆきます。未浄化霊や邪霊も寄り集まって来て、守護霊や神様の光のメッセージなど、 まるで届かなくなってしまいます。それは周囲にも波及し、この世の人間たちは堕落して行く一方になります。こうした地獄の状態に比べ、因果の法則があるお かげで、私たちが自分のどんなに小さな間違いにも気づくことが出来るということは、とても幸いなことだと思いませんか。私たちがどんなに逃げようとして も、その間違いを改められるまで必ず挽回(ばんかい)のチャンスを与えられるのですから、とてもありがたいと思いませんか。因果の法則は、向上を約束して いる法則、幸せを約束している法則なのです。たとえ落ちこぼれであっても、私たちが天使であり続け、いずれは必ず神と一体化するのだということを絶対的に 保証している、ありがたい法則なのです。

★ 与える人生こそが幸せな人生

霊 的視点で考えると、他人に対する見方が変わってくると思います。階層の法則や類魂の法則のところで、他人は皆あなたと同じ大霊の一部だと書きました。霊界 においては魂は皆つながっているのですが、この世ではその部分部分が肉体という物質に宿るため、別個の存在になるのです。なぜかと言えば、別々でいてこそ 私たちはお互いを磨き合えるからです。ぶつかり合い傷つけ合いながら、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)してゆけるからです。物質界での他人は、霊的に見 れば大霊を目指す仲間ですから、共に魂を磨くために出会い、お互いの成長を助け合っているのです。あなたが愛を理解して、本当の幸せと出会うまでに、どん なに多くの人達があなたを助けてくれているか、数えきれないほどです。あなたを愛するという直接的な形で愛を教えてくれる人もいるでしょう。反対に、あな たを憎むという形で、かえってあなたに愛の大切さを教えてくれる人とも出会う事でしょう。あなたを憎む人は、あなたに憎まれることの悲しみや苦しみを教え てくれる人なのです。あなたは憎まれた経験から、愛の素晴らしさを知るチャンスをもらえたのですから、決してその人を憎しみ返してはいけません。その人は 大事なことを教えてくれたにもかかわらず、あなたを憎んだという負のカルマを背負ってもいるのです。あなたが愛を知るために、その人の魂は苦しんでいま す。この事実を、あなたは知らなければなりません。とにかく、霊的真理を学び、常に愛と思いやりを、周りの人たちに施して行きましょう。してもらったか ら、してあげるという受け身の姿勢ではなく、あなたがまずはじめに愛と奉仕の気持ちを周りの人々に与えることが大切です。愛情がほしければ、自分から率先 して愛情を与えられる人になり、幸せがほしければ、誰よりも先に幸せを与えられる人になることです。もちろんそこに打算の気持ちがあってはいけません。こ れだけ愛を与えたんだから、これだけ返ってこないとおかしいという計算づくの愛は、本物ではありません。打算も否定的なエネルギーなのです。

★ 今こそ、広い意味での類魂としての自覚を持って下さい!

人 間の想念は強力です。たとえあなた一人が憎しみの波動を放つだけでも、必ず何らかの影響が生じます。それが仮に百人、千人といった単位で、今この瞬間に放 たれたとしたらどうなるでしょうか。それは大きな憎しみのエネルギーとなり、目に見える形をとって現実化します。さらにそこへ、波長の法則に従って、低級 霊までもが感応します。その結果が、今の世の中にはびこる通り魔殺人、暴動、戦争、自然破壊であると残念ながら言えるのです。地球上がまさに今、低級霊の 住み家となりつつあるのです。今の日本や世界の状況を見ていると、一刻も早くみんなが波長を高くし、良い種をまかなくては間に合わないところにまで来てい ると思いませんか。類魂の法則で書いたように、人類はすべて広い意味での類魂です。今どんな状況も自分自身の事として受けとめ、考え、共に改めて行くこと が、私たちに必要とされています。遠い国の戦争に対しても、日本のどこかで起きた事件に対しても、私たちは無関心であってはなりません。身近な社会現象に も、同じようなことが言えます。隣の家の問題も、友達の悩みも、自分自身には関係がないとは言い切れないのです。「すべての存在はもともと、ひとまとまり の広い意味での類魂であり、共に神を目指して向上している仲間である。」 このたった一つの叡智(えいち)を皆が得ることができるならば、想像すら出来ないほど私たちは世界を大いに救うことが出来ます。私たち一人一人が、救世主 であることをしっかりと自覚することが、今まさに必要なのです。





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