にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

三味に嫌われちゃったみたい

2018年11月13日 19時18分02秒 | おつとめ

11月の月次祭の今日は静かな日でした。
晴れではなかったけど、曇ってましたけど
風もほとんどなくって、駐車場の工事の方も
今日はお休みのこと。雨が降りそうだった。

 

誰も参拝には来て下さらずの日でした、今月も。

自分がついているおつとめの事ばかりが
気がかりなんです、、、、おつとめに付かせて頂くってのは
本当にありがたいことなんだけど、分かっていますけど。


今日は上半の三味です。苦手意識もだんだんと
薄れてきたとは言っても、、やっぱ苦手なんです。
得意なものもないのだけど。

三味に嫌われちゃったな、、、
もうこれしかないっしょ。
痛恨の極みでした、私には。
ここ数年の中の及第点でしょうね。

普通にやっているつもりが出来ていなかったのって
どうしていいのか分かんないですよ。
弦はバチがすべるし、空振りよりもすべって引っかかない。

なんで?どうして?

角度が違うのかな、、、
三味の角度が違うのか
姿勢が悪いのかな
力の入れ具合が違うのかな
疲れてないけど疲れたのかな
悲しいくらいに初心者だった。
泣けてきそうな気持ちにブレーキをかけて
平常心で淡々とつとめるしかなくて。

「謙虚さが足りないのかな・・・」
「昨日のお琴の音が聞こえなくって、、、、と言ったのが×だったのか」
思いつくことはみんな反省に変えてました。

 

屈辱の半下りがようやく終わった。
おつとめがすべて終わって、、昼食の時間だ。
たまたま私を挟んで横に並んだ3人はとある
いまのところ内緒のプロジェクトのメンバーだ。

その話もしたんだけど、3人で闘志を燃やすかのような・・
不安をかき消すような勇んだ3人の会話が嬉しくってありがたくって
まるで私の心中を知っているかのようだった。
励まされているのかなって思ってみたり。



昼間のことを一つ一つ思い出しているうちも目から水が出てきて、、、

そうだ。


私は最近泣いていなかった。
ガマンしてしまっていて、こんなふうに目から水を流さないように
してきていたんだ。これは嬉しい涙なんだよ。
嬉しい涙は本当になくなってしまった。
嬉しくってもなかなか泣くことはないと思いません?


人間泣くときって悲しいとか悔しいとか感動したときや
もらい泣くときもあるけど
うれし泣きって久しくなかったですかねーー。
お孫が誕生したときでさえ嬉しくても泣かなかった。

 

 

ご飯の30分ほどあとに、
昨日三味の修練をして下さった教友が隣りに座ったので、、、、
頭の中に充満していることを口に出してみた。
「嫌われちゃったんだーー」と言ってみた。

『三味に嫌われちゃったの?今日は三味はご機嫌斜めだったんだね・・』
彼女はそんなふうに言ってくれた。三味のことって言っていないのに
分かっていたからビックリした。そんだけひどかったんだな。
「三味のご機嫌良くなかったのかなー」と私。


月次祭の半下りはとても長い。闘いだ。何かと闘っているんだ。
以前も記事に書いたと思うけど山あり谷あり、落とし穴だってある。
どんな感情で立ち向かっていけばいいのかわからなくなる。
何も考えない。ただおやさまが教えてくださったおつとめを
間違えないように必死に丁寧に大事につとめさせていただこう
と言う気持ちで毎回いるのだけど・・・・
御礼なのだからと思ってみたりだけど・・・・
本人にも分からないダメなときがあるんだ。

 

 

 

意外なほど落ち込んでいないのは教友のおかげかな。
自分もへこたれない強さを持てるようになった?
おつとめでへこたれることもないんじゃないのかとも思う。

 

 

病院へ向かった。
母にも優しい気持ちでおさづけのお取次ぎをさせていただけた。
ありがたかった。月次祭の理がこもってます。

今日は色んなことがあった、いろんな人としゃべった。
だから良かった。