英語で人生修行していこう!

50代で塾講師
独学で英語の上級をめざしています

いのちのバトンタッチ

2014-01-31 08:45:40 | 講師の仕事
小保方晴子さん、弱冠30歳で大金星(ふるいなぁ)ですね!

実はろくすっぽ読めもしないのに、亡くなった姉の最新がん情報を集めるために
iPadの'Nature'デジタル版を定期購読しています。

毎週お知らせがあるのですが、今回の彼女の最新リサーチがあることで
クローン羊・ドリーの時以来、2度目の事前発表が控えられていたとのこと。
これって凄いことなんです!!!!
今までの生物学の常識が根底からひっくり返るかもしれない。
それをわずか30歳のあのようなかわいらしいアジア女性がやってのけたとは!

3食夫婦で食事をとっているので、
私の興奮っぷりを夫に伝えてもどうにも「とんちんかん」。

だってですよ、自分のクローン人間をいともた易く複製可能になるかもしれない。
カズオイシグロの『私をはなさないで』じゃないけど、
自分の複製を密かに作っておいて、臓器に支障があった場合、
担当外科医に、
「キミ、悪いけどここ交換してくれる?」
と車のタイヤ交換みたいに自分の臓器の交換が可能になりそう。
そうなれば、亡くなった人からの臓器移植は不必要になり
助かる人が多くなるでしょう。
良いことづくめのようにも思います。

ただ人間は心をもつ動物なのがひっかかったりする。
死が不可避な存在だってのも、やっぱり当然なことだし。

わかりやすく言えば、
生のお花とアートフラワーの感覚の違いかもしれないなぁ。
ライブ感がある、期限があるっていうのは
対面するものに圧倒的な迫力があると思いますもん。

何かを言い残して次の世代にバトンタッチすることの大切さ。
それを小保方晴子さんは、祖母のかっぽう着で如実に表していると思う。
人類の何世紀にもわたる未来のために
自分の発見が寄与すればいい。
そんな長期的視野にたって話ができる若者がいるってことだけでも
私はとても日本人でよかったと思います。

たぶんノーベル生物学賞の筆頭格だと思われる彼女。
ビビアナ・ウエストウッドが大好きだとか。
ちょっとぶっとんだイギリスを代表するおばあちゃんデザイナーだけど
ゴスロリチックなファッションも晴子さんにぴったりな気がします。

今年のセンター受験者内でもリケジョの数が増えたそうな。
私はさっぱり理数科目がダメだったので
ひたすら憧れます。
英語はその人たちにとっては夢を体現するための道具。
その先にある目標は、いのちのバトンタッチをするための
素晴らしい未来予想図を完成することですね。
本当にうれしいです♪

Natureより/細胞: 多能性を誘導する新たな手段ブックマーク

二次までの自転車操業開始

2014-01-25 10:37:23 | 講師の仕事
センター試験が無事終了。
ほっとする間もなく、二次対策を視野に入れつつ
私大の入試が始まってます。

私の担当する受験生の方々もそれぞれ早い人は昨日から。
遅くても2月半ば過ぎには私大一般入試が終了。
その後、2月23-25日あたりに前期2次試験が開始予定です。

センターまでは全員一律で同じことをやればよかったんですが、
ここからが大変。

というのも、それぞれが別の大学を受験するから。
その受験生のやりたいことをきめ細かく応えつつ、
予習をしておかないとまずいことになる(うぅぅ~、きびしい)。

先週の火曜日(1月21日)は、国公立の出願をどこにするか
すでに決定済みの人、まだの人、がっくりきて出席できなかった人、
悲喜こもごもでした(はぁ~~)。

センター直前の火曜日に英熟語だけを特化した日英社から出ている
10日間で完成するドリルをほぼ2時間で仕上げてもらいました。
一番不安げだった男子君はようやく自分の弱点(地道に熟語を覚える)が
これほどとは!と気づいてくれたようです。

彼は慌てて見直しすることをやったそうです。
それで素点250点(200点筆記、50点リスニング)で堂々の200点越え。
傾斜配点方式で200点に換算しても80%を超えました!
いや~、めでたい、めでたい♪

やっぱり自分のありのままを苦しくても客観視できる素直さと勇気が
最後にはそれなりの結果として出るのだなぁと実感。

来週の火曜日からは、こちらも個人個人に対応した予習をしっかりしておかねば。

ところが、英検対策用にTIMEを読んできたことから
大学受験用の伝統的な長文はクセがあってけっこう辛い。

これがペアを組ませてもらっている正社員の講師の先生に言わせると
時事英語のような文章が出題されている問題は辛いということです。

私は時事英語の方にシフトするべきだと思うな~。
というのも、今年のセンター国語科目の現代文で疑問が生じているから。

私自身が古文、漢文が好きじゃなかったこともあって
偏りがある、と前置きします。

グローバルスタンダードとよく言われるけど、
もっと世界で戦える国語力が必要じゃないですか?

現在の国語力の判定テストとしてのセンター国語科目は
教養の面が大きすぎると強く思う。

教養は、それぞれが大人になってからやればいいことだと思うなぁ。

じゃぁ何を国語力とするか。
英語にトフルや英検を基準とするなどというなら、
朝日新聞や漢検などが実施する資格認定テストを国語力の判定基準にしたらいいのに。

つまり読解や漢字の読みとり力をもっと高めるほうに
シフトチェンジするべきだと思う。

それと大学生になってから大慌てでノウハウを泥縄式に学ぶ「論文構成力」について。
これを論理学までいかなくても、高校の国語の一環として
論文の基礎のような項目で教えるべきじゃないでしょうか?

林修さんという東進の講師の方が、
「いまでしょう!」
と売れっ子になってます。

でも、どうなんかな???
テクニックだけで読みこなすような難解極まりない現代文を読むことに
大きな意味があるとは思えないな。

お笑い芸人もやってる早稲田大学の博士課程取得の男性ブログを読みました。
彼はテクニックを抑えたら現代文は絶対に満点取れると豪語してるんです。

つまり出題者の意図を早く読みとったらいいということ。
それはないよなぁ、つまんないと思う。
そういう「しのぎ」的な読みとり力を上げても
元々の作者の意図と合致しないことが多いのでは?

英語の科目だけ実用に向けて「早く早く」と急がされることに
大きな懸念をもったんですけど、どう思います??


最後に最近とても感動した医師、鎌田實氏の詩より。

『サンキュー、グッドバイ』

張られた一本の欲望の綱をわたっていました

人と比較するのをやめると

少しだけよくばりが減ったように思います

よくばらなくなると

生きるのが楽になりました

よくばらなくなると

自由がふえました

人と競争しなくてもいいや

お金がなくてもいいや

偉くならなくてもいいや

僕のパンパンに張った欲望が

少しだけ小さくなりました

あるがままに生きればいいのだと気がつきました

人の目が気にならなくなりました

家族と笑ったり、人とつながったり

ごく普通の日常が、すごくいとおしくなりました

ちょっと遅かったけど、欲望が少し減って

自然に人に感謝できるようになりました

もしかしたら、この世に最後の時がきても

「サンキュー、グッドバイ」と言えるような気がします

最後の最後は家族と友人に

「さよなら、ありがとう」を言いたい

ちょっとだけよくばっています。


私もそうやっていつでも言えるように生きていきたいなと
思いますねぇ。

受験生とは真逆のような心の持ちようですけど、
得点や偏差値基準じゃなくて
自分の将来つきたい仕事を視野に入れて
マクロな視点で学校選びもしてほしいと思っています。
大学の選択肢を過大評価することはちょっと疑問です。

人間力の土台を作ることのほうがずっと大事じゃないかと思ったりするんですよね。

最大限の力でぶつかってほしい

2014-01-14 09:26:16 | 講師の仕事
この週末は大学入試センター試験が全国的に実施されますね。

私の受け持ち生徒さんたちも受験します。
この中で悲喜こもごもになりそうな予想が立つのがちょっと怖い。

どうも男子の生徒君たちは精神レベルが女子に比べ幼いのか、
自分を客観視できない気がします。

女子3名のうち、1名は昨年4月に受け持ってから驚異の伸びを見せました。
11月初めからセンター試験の過去問題を制限時間を正確に測ってやってもらってました。
もちろんその実施年の全受験者平均点も考慮しながらです。

その彼女は一番初めからの点数で60点以上上がりました!
凄いでしょう???
先週火曜日の2011年の追試験問題では200点満点中190点弱でした。
これは私も取れないんじゃないかな???
彼女は多分このままいけば6月の英検で準1級も受かるのでは?と思っています。

ところが伸びがイマイチっていう部分をもつ生徒さんもいます。

この違いってなんだろうというと答えは歴然としています。
それは「単語と熟語を覚悟を決めて必死に覚えるかどうか」です。
もちろん理想は英語で書かれた小説や文章を楽しんで読めること。
でもそれはやはり綺麗ごとに終始するでしょう。
というのも、現在の国公立受験&合格を目指す現役高校生に
それだけ英文に浸れるほど時間はないから。

少ない時間で効率よく結果を出すこと。
そのためには幾つかの踏まなければならない手順があるように感じます。
30年近く英語を教えてみて、そして自分自身で英検を受けてきてみて
それはやはりあるなぁと思います。

正規の学校という場じゃない塾の使命は何か。
もう単純明快で、「学力を上げて数字を上げること」。
胡散くさいし、生臭いなぁ。
でも、これが達成できないってことは存在意義がないってことに繋がりますわ~。

仲間づくりとか、正義の意味とか、社会的スキルの確立とか、
学校の果たす役割は学力向上以外にいっぱいあるでしょう?
夫が何十年もかけてやってきた苦労をそばで見ていて
つくづく、
『こんなん、私、ムリやわ~』
と思って暮らしておりました(涙)。

それに比べると存在悪と言われるサブカルに属する塾の役割は単純でいいです。
ただ私なりに誇りをもって仕事をしているのも事実です。
それは、私より長く生きるだろう生徒の皆さんに
今より良い日本にしてくれるという希望を持たせられるようにすること。

ぶっちゃけ、自分の子供も成人した現在、
私の残りの人生は「余生」。
つまり余りの時間だと思った方がいい。

それをどう使うべきなのか。
64歳と1カ月ほどで亡くなった実姉の死に際してずいぶん沢山書物を読みました。

特別なにかの宗教を信心している訳でも
思想的な団体に加入している訳でもないけど、
せっかくの自分の余生はどうすると満たされたものになるのか。

それは自分のこのパート仕事で充足されるものなんだと気がついたわけです。
つまりこれからの若い世代に未来を託すこと。
自分が亡くなったあとも日本の社会が安定して安心して老いていけるようになること。

姉の主治医3名との意思疎通が叶わなかったことから
医療従事者の世界とは何か?と疑問が湧きました。
そこで思いつくままに読みだしたのが「久坂部羊」の作品。
ほぼ全て読みました。

医師とは生死が日々の生業になっている仕事ですから
心が鈍磨していくのは仕方ないのです。
そういう仕事でそれ相応の報酬がもらえるってのも当然ですよねぇ。
いや~、私には到底できない仕事だなぁって思います。

12日の日曜日に全県規模の中学生向け模擬テストが朝8時半から実施されました。
私は自動的に中学2年生の担当になっておりまして(汗)
むっちゃ寒い当日の朝、6時半に飛び起きて家事をすませて業務遂行。

その試験中の待ち時間内で読み終えたのが、『ブラックジャックは遠かった』。





久坂部氏は麻酔科医を父にもつ阪大医学部卒の医師の方です。
私と2歳違いですが、当時の阪大医学部の様子とか中々興味深くて面白いです。

でも彼の他の作品はあまり明るい内容ではない。
患者側の意識のままに医師が職務を行うのもかなり危ないことだと知りました。

彼の作品を読みながら自分なりに結論付けたことがあります。
それは誰もがさけて通れない自分の晩年を覚悟をしつつ
毎日を過ごすことはとても大切だということ。
明日突然に余命宣告を受けても「まぁまぁの人生だったからいいかな?」と
それを受容できる心の持ち方で生活していけること、かな?

私の仕事も医師や看護師などの医療分野に行くかもしれない人材の導入部を
受け持っています。
若くてやる気満々の若い人たちに希望がかなうようにしてやりたい。
彼らにはこの週末に持てる力のすべてをぶつけて戦ってきてほしいです。

A Happy New Year~~♪

2014-01-04 10:06:02 | 日記
明けましておめでとうございます!
本年もこの拙ブログをどうぞよろしくおねがいします


もう1月4日になってしまい、
『今さら何よ』と言われそう~(汗)。

いやぁ・・・・・。
今年の年末年始は忙しかった、マジで気ぜわしい年末年始でした。

亡姉の1月3日の四十九日は以前から決まっていたのだけど、
亡父の12月8日の七回忌も含めて、
11月から1月にかけて3カ月続けて葬儀、法事と毎月仏事が重なりました。
こんな年もあるんですね、いや、ホンマに立て続け。

パートのおばさん仕事は29日に強制ボランティア(こういうのは矛盾してる)の
講師自ら自分の使用している教室の大掃除に出向きました。
珍しくないっすか???
毎回授業が終了後、講師は教室の掃除をすることになってしまった。
経費節減だそうです・・・・(涙)。
人生相談っぽい悩みごとや愚痴を聴かせていただき(汗×2)
その後に掃除機をかけてゴミ箱のゴミを捨てに行くのです。
うぅぅ~む。
人生とはこういうものですね。

この(クソ)忙しい最中、
今後のメディカル実務翻訳の展望はどうなるんやろ?と
年末前にアマゾンで購入済みだった『新版医学・薬学の翻訳・通訳完全ガイドブック』を
あらまし読みおわりました。

そうすると、驚愕の記事内容があるわけです。
78ページ「私の医薬翻訳学習法」/バックグランドなし&ほぼ独学。
小野寺和彦さんという浄土真宗の僧侶もなさっている男性は
翻訳者という2足のわらじをはきながら頑張っている人。
翻訳なんて大学入試の英語からさっぱり縁がなかった方です。

プロになるにはどうしたらいいのか。
なんと1万時間はかかるだろうと独特の算出方法で仮説を立てたのです。
それで毎日12時間は翻訳家になるために学習にあてたのだそうな(激汗)。
うぅぅ~む、やはりそうなんだな。

英検1級合格のために私なりに戦略は立てたのです。
たぶん2000時間はいるなと思ってました。
主婦業などどうしても時間がねん出できない場合も含めて
やれる時は一日5時間は学習時間にあてても2年はかかるかも、と思っていました。
結果は大体その通り。
まるで人体実験を地で行く感じでしたっけ(遠くを見る目)。

となると、1級レベルの英語力を保持していたとしても(もうないほうに100万円やわ)
まぁ、最低でも半分の5000時間はかかるのかもしれないと思った方がいいのかな?

こう考えたら、色んなことが「なるほどなぁ~」と納得できる。
というのも、簡単に数値化できる資格試験のあれこれより
ずっとずっと困難な道なんだと思えるからです。
大勢のチャレンジャーが志半ばで諦めるってことも
この仮説に基づけば「そうなんだぁ」と納得できるかも。

つまり薄ぼんやりとした目標にむかって自分で決意したことを
地味ぃ~にやり続けられるか。

誰かにはっぱをかけてもらって
それに身をゆだねてばかりいたんじゃ
絶対にかなわないことなんですよね(ため息)。

自分で決めて自分でやりぬかせる。
言うや易く、行うは難し、です。

一つだけ利点があるとするなら、
「おばちゃんだから」かな????

あまりギスギスせずに、まぁいつかは着くでしょうと
不必要に周りとの対比をせず、我が道を進める強みはありそうだなぁ。
これってけっこうな強みだったりして。
人生の甘さも強さもボチボチ知ってきたから??

さてさて昨年は大きな別れもあり、自分の余生(余命?)も含めて
価値観の大変革を迫られる年でした。

午(うま)年ではあるけど、
もう無さそうな若さにまかせて早駆けはせず
一歩、いや半歩ずつでも前進していこうと思っています。

今年もこの拙ブログ、どうぞ宜しくお願いいたします(ぺこり)

追伸:慶應通信の頃にとても意気投合した名誉教授の清水先生が個展をなさいます。
宜しければお近くの方、ぜひお出かけください。