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南スーダンPKO 「宿営地の上、銃弾通過」第10次隊長

2017-11-24 | いろいろ

より

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南スーダンPKO 「宿営地の上、銃弾通過」第10次隊長

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の第10次隊(昨年5~12月)で隊長を務めた札幌市の第11旅団幕僚長、中力(ちゅうりき)修1佐(49)が毎日新聞の取材に応じ、昨年7月に首都ジュバで起きた武力衝突について「銃弾が宿営地の上を通過した」などと緊迫した状況の一端を明らかにした。当時の日報に「戦闘」と記載されていたことには「一般的な定義で使った」とし、PKO参加5原則に抵触する法的な意味ではないとした。【前谷宏】

 中力1佐が昨年12月の帰国後、報道機関の単独取材に応じるのは初めて。

 陸自の施設部隊が活動していたジュバでは昨年7月8~11日、大統領派と当時の副大統領派による大規模な武力衝突が発生した。

 中力1佐や当時の日報によると、同7日夜に小規模な衝突が起き、陸自部隊は8日朝に別の国連施設で予定されていた作業を中止。安全確保のため宿営地で待機を始めた。衝突は当初、市内の別の場所で起こったが、宿営地の隣のビルには反政府勢力が立てこもっており、10日朝になると政府軍が周辺住民を避難させ、同午前11時ごろから始まった銃撃戦は2日間続いた。

 中力1佐は「細部は話せないが、小銃や機関銃の銃弾が一部、宿営地の上を通過したのは事実」と証言。政府軍の戦車砲による衝撃音も響いた。宿営地の一部で流れ弾とみられる弾痕も確認されたという。

 中力1佐は隊員に安全確保を指示。隊員は防弾チョッキやヘルメットを着用し、宿営地内の安全な施設に避難した。「不測の事態に備えた訓練を日本でも現地でもやっていた。我々が狙われたわけではなく、隊員たちは落ち着いて行動できた」と振り返ったが、「(被害が出れば)隊員の家族に何て言おうか」という思いも頭を離れなかったという。ただ、精神面で不調を訴えた隊員はおらず、「帰国まで一人も交代しなかった」とも明らかにした。

 当時の日報に記載された「戦闘」という言葉を巡っては、紛争当事者の停戦合意などを条件とするPKO参加5原則に抵触すると野党が国会で追及した。中力1佐は「(国または国に準じる組織の間の戦闘行為という)法的な意味ではない。上級部隊に正確な情報を報告する必要があり、現場では違和感はなかった」と述べた。一方で「日報は私もチェックしている。基本は私に責任がある」とも話した。

 中力1佐は南スーダンへの派遣について「我々が活動すると現地の方々から感謝される。行って良かった」と振り返った。また、今後のPKO派遣のあり方について「政府が判断すること。答える立場にない」と述べた。


解説 情報公開し議論を

 南スーダンPKOの第10次隊の日報を巡っては、防衛省がフリージャーナリストの開示請求に「廃棄した」と回答した後も陸自内で保管されていたことが発覚。「戦闘」という表現を隠蔽(いんぺい)したとの批判が上がり、稲田朋美防衛相(当時)の辞任に発展した。昨年7月の武力衝突時に部隊が置かれた状況は、いまだに明らかになっていない部分が多い。

 かつて停戦監視や人道支援が中心だったPKOの任務は、住民の保護のために積極的に武力介入する方向に変わりつつある。安全保障関連法の施行で、自衛隊は海外で「駆け付け警護」などが新たに可能となり、中力1佐の次の第11次隊からは武器使用の権限も一部拡大された。ただ、文民保護のためなら積極的に武器を使用できる他国軍に比べ、自衛隊はまだ制約が多いのも事実だ。

 南スーダンから陸自の施設部隊が撤収し、PKOへの部隊派遣はなくなったが、防衛省内では「今後はより厳しい任務がくる可能性がある」との懸念の声も漏れる。自衛隊が置かれている現実について政府は広く情報を公開し、今後の海外派遣や国際貢献のあり方の議論を深める必要がある。
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