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古賀茂明「柳瀬唯夫君、良心に従って“第二の佐川”になるな」

2018-04-19 | いろいろ

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古賀茂明「柳瀬唯夫君、良心に従って“第二の佐川”になるな」

 安倍晋三総理の元秘書官、柳瀬唯夫経済産業審議官が加計学園疑惑で時の人となっている。

 今回朝日新聞のスクープで明らかになった最も重要な事実は、柳瀬秘書官が愛媛県地域政策課長・今治市企画課長・加計学園事務局長らと会談していたことが愛媛県職員の「備忘録」に明確に記載されていたということだ。これまでは、今治市の記録で、今治市の職員らが、官邸を訪れていたことははっきりしていたが、公開された記録では、面会相手が書いてあるとみられる部分が黒塗りになっていたため、誰に会ったのかということは証明できなかった。

 今回出てきた愛媛県の職員による会談の備忘録の内容の真偽については、中村時広愛媛県知事が直接その職員から聞き取りをして、間違いないことを確かめている。仮に国会にその職員あるいは中村知事が呼ばれた場合(最初は参考人招致だと思われるが)、この事実を証言する可能性が高い。

 他方、柳瀬氏は、昨年の国会で、この会談について、記憶にないから会ったとはいえないという趣旨の答弁を繰り返していた。今回の発表を受けた後のコメントでも、その立場を変えていない。「記憶の限りでは、会っていない」ということだから、厳密に言えば、会っていたが忘れてしまったのかもしれないということも含まれる。したがって、愛媛県の職員と柳瀬氏の話が完全に矛盾するわけではないが、県職員の側には、面談について嘘をつく動機が全く考えられないことから、信憑性においてはかなり高いという評価になる。

 では、一方の柳瀬氏には、嘘をつく、あるいは隠ぺいする動機が存在するのかどうか整理してみよう。

 動機については、二つの側面がある。一つは総理秘書官だった者として、総理の利益を守る立場にあるという側面。もう一つは、純粋に柳瀬氏個人の利益の側面である。

 この点について考える前に、柳瀬氏がどういう人なのか、そして、総理秘書官としてどんな立場にあったのかについて、私が知っている範囲で簡単に紹介しておきたい。

 柳瀬氏は、東大法学部を卒業後、1984年に当時の通商産業省(現経済産業省)に入省した。その後の経歴を見ると、絵に描いたようなエリートコースを歩み、麻生太郎総理の秘書官を務めた後、将来の次官候補が就くことが多い大臣官房総務課長を経験している。その後、第二次安倍政権で、二度目の総理秘書官に就いた。二人の総理に仕えるというのはかなり異例のことだ。経産省に戻った後も、局長ポストでは最も重要な経済産業政策局長を務め、昨年夏から、事務次官級の事務方ナンバーツーである経済産業審議官に就任している(審議官という名前がついているが、普通の審議官とは全く格が違い、局長や官房長、外局の資源エネルギー庁長官、中小企業庁長官などよりも上で、格としては、事務次官級である)。

 現在、経産事務次官は、82年入省の嶋田隆氏だ。2年下の柳瀬氏は、当然、将来の有力次官候補ということになる。

 ちなみに、安倍総理の政務の秘書官は、あの有名な今井尚哉(たかや)氏だが、彼は82年入省で次官の嶋田氏と同期だ。政務の秘書官では、小泉純一郎総理の時の飯島勲氏が有名だが、彼らはみな政治家の秘書として雇われていた人で、その雇い主がたまたま総理になって、政務の秘書官に抜擢されたというものである。したがって、政務の秘書官に官僚がなるのは極めて珍しい。

 つまり、通常は、経産省から秘書官となった場合、総理の側近に経産省の官僚がいるということは今まではなかったのだが、柳瀬氏の場合は、総理の他に経産省の先輩である今井氏がもう一人の事実上の上司として存在していたということだ。さらに、安倍内閣では、この他にも、内閣広報官兼総理補佐官として、76年入省の長谷川栄一氏がいる。その意味では、柳瀬氏は、ただでさえ大変なのに、2人も余計な小舅がいて、ものすごく苦労しているという噂もよく聞かれた。

 余談だが、私は、柳瀬氏の4年前に通産省に入省した。もちろん、彼のことはよく知っているが、彼の人となりについて、あまり嫌な印象を持ったことはない。議論していても、直球型という感じだった。今井氏に比べれば常識的な人間だという印象である。

 加計学園の問題について、昨年の国会答弁で、柳瀬氏が愛媛県などとの面会を認めなかった動機は何かという話に戻ろう。まず、元総理秘書官としての立場上それを認めたくなかったという側面がある。つまり、自分が会ったということがわかると、総理にとって都合が悪いから、総理を守る立場にあった柳瀬氏としては、これを否定しなければならなかったということだ。

 総理にとって、都合の悪いこととして考えられるのは大きく分けて3点だろう。

 第一に、柳瀬氏が会ったという事実は、加計学園問題がまさに「首相案件」だったという有力な間接証拠になるということだ。彼が会ったということは、内閣府の藤原豊地方創生推進室次長(当時)が会ったというのとは全く質的に異なる。なぜなら、藤原氏は地方創生の担当者だから、役所の職制上の仕事として会ったということになる。柳瀬氏は、事務の秘書官の間での役割分担では、規制改革などを担当していたのかもしれないが、それは、あくまでも安倍総理との関係での役割であって、外部の人に対してこれを仕事としていた訳ではない。つまり、彼が会っていたということは、総理と関係があるからとしか考えられないのだ。

 第二に、第一の論点で述べた柳瀬氏が「総理との関係で愛媛県などと会っていた」とすれば、そのことを安倍総理がその時点で知っていただろうと理解するのが自然だ。一方、安倍総理は、2017年の1月20日まで、加計学園が国家戦略特区の申請をしていたことを知らなかったという答弁を国会でしている。これはおかしいと誰もが思うだろう。総理秘書官が官邸で会っている案件について、総理は全く知らなかったのが本当なら、柳瀬氏が、この件について、安倍総理に知られないようにしながら、多忙な中、独自の行動としてわざわざ自治体職員と会っていたということになる。何か特別な事情があったという説明が必要になるが、そういう事情は今のところ判明していない。そう考えると、総理の答弁の方が嘘ではないのかという疑惑を呼ぶことになる。

 第三に困るのは、会談の事実を認めると、参加者が誰だったかも言わなければならなくなることだ。この会談には、加計学園事務局長が参加していたので、国家戦略特区の自治体と話しただけでなく、加計学園案件ということで話をしたということがわかってしまう。また、総理秘書官が会った相手が、県の課長クラスだということもわかってしまうが、いかにもバランスが悪い。言葉は悪いが、官邸の感覚では、特別の事情がなく総理秘書官が県の課長「ごとき」と会うのかというところだ。いかにも不自然なのである。そんなことが可能だったのは、総理と加計孝太郎氏の特別な関係があったからだと疑われるのは確実だ。加計学園の幹部の事務局長が同席したとなれば、疑惑はダブルで深まることになる。

 そして、これら三つの疑惑全ては、加計学園が今治市の国家戦略特区の事業者に決定した2017年1月20日の段階まで、安倍総理は加計学園の話をずっと知らずにいたという総理答弁に収斂してくる。安倍総理は、過去の答弁を修正してまで、この点を強調している。

 総理は、加計孝太郎氏と、頻繁にゴルフや宴席を共にしているが、その費用負担について、奢ったり奢られたりしていると国会で答えている。割り勘ではないのである。実際には、かなりの費用負担をしてもらっているのかもしれない。もし、ほとんどを安倍総理が支払っていたのであれば恐らくそう答弁するだろうが、そう答えていないところを見ると、むしろ大半を加計孝太郎氏側に持ってもらっていたのではないかという疑いが出てくる。

 一方、国家戦略特区の仕組み上、その最高責任者は、安倍総理である。仮に、特区の申請をしている者からの接待を受けていたとなると、職務権限があり、加計孝太郎氏から話を聞いていたとなれば、贈収賄の構成要件を満たす可能性が出て来る。

 マスコミは、大臣規範(2001年閣議決定。「関係業者との接触に当たっては、供応接待を受けること、職務に関連して贈物や便宜供与を受けること等であって国民の疑惑を招くような行為をしてはならない」と定めている)違反になると報じているが、そんな生易しい話ではない。大臣規範の話なら、政治責任や倫理的な責任ということにとどまり、安倍総理の性格からして、形だけ謝罪して終わりと考えるかもしれない。

 しかし、ことが贈収賄という問題になれば、証拠が出そろっていない「疑惑」の段階でも、一般人が、総理を収賄容疑で検察に告発するという事態も十分にあり得る。

 国家戦略特区の結論が出た17年1月20日まで、安倍総理が加計学園の申請を知らなかったと言えるのかどうかは、この問題の肝となる論点なのである。

 15年4月13日に官邸での会談があったと認めれば、芋づる式に、総理が17年1月20日の前に本件をよく知っていたという結論に結び付くことを恐れて、官邸は、とにかく会談そのものを否定しようという作戦を取ってしまったのではないだろうか。柳瀬氏は、そのラインを必死に守っているということだろう。

 以上は、安倍総理の秘書官だった者として、会談を否定する動機であるが、この他に、柳瀬氏が自分の個人的な利益のために会談を否定したという側面もあったと思われる。

 前述の通り、柳瀬氏は、経産省のエースであり、順当に行けば、次官を狙える位置にいた。今もそうである。しかし、以前とは異なり、安倍政権下では、上司である経産省嶋田現次官に気に入られれば次官になれるという保証はない。安倍総理に嫌われると出世するのが難しいというのは周知の事実だ。となれば、仮に、会談の事実を認めて総理を困らせると、安倍総理に「裏切り者」と思われて、出世を妨げられたり、ひどい場合には、勇退させられる恐れがある。

 そう考えると、柳瀬氏には、会談を認める選択肢はなかったのかもしれない。そういう状況下で、彼が選んだのが、「記憶の限りでは」「記憶の範囲内では」という留保をつけたうえでの、面会事実の否定だ。この留保をつけておけば、最終的に証人喚問されたときに、記憶にないという逃げ口上が使える。最悪の場合には、今思い出しましたと前言を翻しても、ギリギリ嘘をついたことにはならない。

 そういう計算をしながら、会談の事実を否定して、安倍総理に恩を売り、出世したいという個人的利益を求めていたとしても不思議ではない。

 今回、愛媛県のメモで会談事実はほとんど否定しようがなくなった。この段階に至っても、柳瀬氏は従来のコメントを維持している。ここまで見え透いた嘘をつくのか、と驚く方も多いと思うが、現在の彼の立場は、最初の判断をした時と基本的に同じだ。7月には、経産省の人事がある。嶋田現次官が勇退するか留任するかはわからないが、いずれの場合でも、柳瀬氏が安倍総理を裏切って、真実を話せば、おそらく次官にはなれないままこの夏で勇退ということになるであろう。しかも、天下りはなし、あるいは、あっても惨めなところになる可能性がある。さらには、前川文科省前次官のように退職後もいろいろな嫌がらせを受けるかもしれない。安倍総理の残虐性、執拗性は、近くにいる者ほど強く感じるはずだ。そのリスクを考えると、彼としては、今も、「記憶にない」という言葉で逃げるというのが、唯一の選択肢ということなのではないだろうか。

 では、今後の展開はどうなるのか。柳瀬氏については、最終的には証人喚問が実施される可能性は高い。愛媛県については職員または知事の参考人招致は避けられないだろう。そうなると、仮に柳瀬氏が「記憶にない」と証言しても、愛媛県側が生々しいやり取りを具体的に証言すれば、世論は、柳瀬氏が嘘をついているという印象を持つだろう。

 それで、仮に世論が盛り上がり、支持率がさらに下がるということになれば、安倍総理が、このままでは逃げ切れないと考えるかもしれない。そうなると、「俺は何も言っていないのに、柳瀬氏が、勝手に俺の意向を忖度して暴走した。ひどい奴だ。自分はまったく知らなかった。」というストーリーを作るかもしれない。森友事件で、財務省の佐川氏と理財局に全責任を負わせたのと同じやり方だ。

 その後は、柳瀬氏についての個人的な誹謗中傷のような情報が流れるだろう。現在、佐川氏がパワハラで有名だったというような情報がネットや週刊誌などで流れているように。

 柳瀬氏には、佐川氏の前例を参考にできるという利点がある。また、断定口調で言いきってきた佐川氏と違って、「記憶の限りでは」という留保条件を付けて自分の身を守る冷静さも持ち合わせている。その違いが、最後の段階で、「真実を話す」という、佐川氏とは異なる判断を導くかもしれない。その時、安倍政権は終わりだ。

 柳瀬氏には、是非とも、佐川氏の教訓を生かし、最後の最後で、国民のために働く官僚としての良心に従ってもらいたい。「第二の佐川」にならないためにも。
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