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国交省「メール自動廃棄」の問題点

2018-02-21 | いろいろ

より

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国交省「メール自動廃棄」の問題点?なぜご都合主義がまかり通るのか
 NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長 三木 由希子氏



 メール自動削除はなぜ違法ではないのか

 1月16日の毎日新聞の「メール1年で自動廃棄 国交省 政策検証困難に」によると、国土交通省は2月1日から公用電子メールを、メールサーバから1年で自動消去するシステムを稼働させるという。

 2月3日の毎日新聞が、自動削除の開始を国交省は当面見送ったと報じた。筆者が聞いているところによると、国交省ではメールソフトを利用してパソコンから送受信していないようなので、事前に共有フォルダなどで保存するか、プリントアウトしていないと、文字通り1年たつと勝手にメールが消えるところだった。

 また、2月2日には質問主意書に対する答弁書で、政府はメールの自動削除を財務省、国税庁、厚生労働省、防衛省、検察庁の5省庁で行っており、また、30日から半年での自動削除としている。ただし、必要なメールは速やかに保存しているとも、政府は答弁しているという(「財務省など5省庁、公用メールを自動削除 30日~半年」朝日新聞DIGITAL 2018年2月2日)。

 同じ「自動削除」でも、国交省と財務省以下5省庁は分けて考える必要があるかもしれない。

 筆者は、2015年に各省庁で電子メールの取扱いについてどのようなルールを設けているかを調べるため、情報公開請求で情報収集したことがある。

 その時点の各省庁の規則等によると、財務省、国税庁、防衛省は、メールソフトを利用してパソコンから送受信しているようだ(厚労省と検察庁は該当する規則の内容がほぼ非公開で確認不能)。

 少なくともこの3省庁は、2015年時点の資料によれば、メールサーバからの自動削除がメールの廃棄とはなっていない可能性がある。

 一方の国交省は、メールサーバからの自動削除がメールの廃棄にもなる運用を予定していたようなので、危うさはその比ではない。

 南スーダンPKO日報問題、森友学園問題、加計学園問題と一連の問題で、政府のご都合主義的な行政文書の扱いを目の当たりにしてきたわけだから、メールを自動削除するサーバ運用しようという行政に対して批判があるのは当然のことだ。

 しかし、行政的な用法でいうと、国交省や5省庁が行っている自動削除は「違法ではない」ということになっている。

 サーバから自動削除していない省庁も、人力やメールソフトの設定で実質的に同じことをしていること、行政文書として保存すべき電子メールは、メールボックスや個人のパソコンではなく共用フォルダなどに保存しているはずなので、行政文書を廃棄していることにはならないから、違法性はないというのが政府の認識だ。


 業務効率化とリスク対策のため?

 このことを象徴しているのが、1月19日の石井啓一国土交通大臣の記者会見での説明だ。

 1年でメールを自動削除することについて、「重要なことは1年以上の文書、紙の文書でありメールであり、それをきちんと保管するということが重要であって、1年未満と位置付けられたものは順次廃棄をするということは普通のことであって、何かそこに特段国土交通省の事情があるということではございません」と述べ、問題がないとの認識を示している。

 なぜこのような認識になるのかといえば、原因は主に二つある。

 一つは、情報セキュリティとの関係だ。

 二つ目は、電子メールを原則行政文書として扱わず、行政文書であっても保存期間が1年未満の随時廃棄文書としていることだ。

 メールサーバ運用上の対策として、各省庁の情報セキュリティポリシーの実施細則などは、メールボックスのメールの整理(削除を含む)を速やかに行うよう職員に求めている。

 職員による整理が不十分な場合の対応として、例えば公正取引委員会は「電子メールサービス提供ソフトウェアのセキュリティ維持に関する規程」で、メールボックスの容量がサーバ運用に問題が生じるほど大きい場合、セキュリティ管理者がメールボックスの整理を行うことになっている。

 また、各省庁の情報セキュリティポリシー等の指針となる「政府機関の情報セキュリティ対策のための統一基準」は、「情報システムセキュリティ責任者は、行政事務従事者による規定の遵守を支援する機能について情報セキュリティリスクと業務効率化の観点から支援する範囲を検討し、当該機能を持つ情報システムを構築すること」と定めている。

 メールの自動削除が、業務効率化とリスク対策のためのシステムとして採用されていてもおかしくない。


 メールは行政文書であるように見えるが…

 サーバの運用管理が重要なことに何の異論もないが、懸念されているのは、それを理由に行政文書である電子メールを廃棄しているのではないかということだ。

 この懸念も、二つに整理して議論する必要がある。

 一つは、前述の通り、メールソフトを使って送受信している省庁では、メールボックスではなくパソコンにメールのデータが主に保存されているということだ。

 保存先の実態を踏まえないと有効な議論にならない。自動削除がおかしいと言っても、メールがほかに保存されていれば、廃棄していないのだから問題ないで終わってしまう。

 もう一つは、情報セキュリティに関する諸規定が、職員がメールの整理をする際、メールの内容から行政文書に該当するものを共有フォルダに移すかプリントアウトして保存する必要があることもまた、定めているということだ。

 これが、後述する12月末に改正された行政文書管理ガイドラインで、メール保存の手順として盛り込まれた。

 1月19日の石井国交大臣の説明はまさにこれを前提にしていて、たとえ自動削除をしたとしても、削除したメールには1年を超えて保存をしなければならない行政文書は含まれていないから、公文書管理法に違反していないという認識になる。

 なぜこのようなことになってしまっているのかと言えば、メールを原則行政文書として扱っていないからだ。これが、政府が自動削除を違法ではないとする二つ目の背景だ。

 メールは送信者と受信者が必ずいるので、二人以上の職員で共有される文書だ。

 行政文書は公文書管理法や情報公開法で、①職員が職務上作成・取得した文書であること、②組織的に用いられていること、③行政機関として保有していること、の3つの要件で定義されている。

 メールは必ず二人以上で共有され、メールボックスもパソコンも行政機関として貸与しているものなので、ここに保存されているものは行政機関として支配しているといえるから、法の規定を素直に読めば3つの要件を形式的には満たす。

 この通りの説明を内部文書でしているのが、外務省だ。

 実態がどうかは別にして、「行政文書の範囲の考え方とケーススタディ」という内部文書で、メールはケースバイケースとしつつも、考え方として「外務省員が、業務のために送受信したメールは、その保存形態にかかわらず行政文書に該当する(送受信したということは、他の職員とメールの内容を共有しているとみなされる)」としている。

 また、行政文書に該当しない場合として、「外務省の業務とは関係なく送受信されたメール(歓送迎会の案内等)」を挙げている。

 このような考え方に立てば、メールは行政文書で内容によって例外的に除かれるものがある、という整理をすることになるので、何が行政文書に当たらないかという例外を示すことになる。


 「保存期間1年未満」という逃げ道

 ところが、これは政府にとって都合がよろしくない。

 パソコンにはメール以外にも文書が保存されており、これらは個人段階の文書でありかつ共用できるようになっていないので、ずっと個人文書としてきたからだ。

 だから、個人のパソコンやメールボックスに保存されているメールは個人文書で、内容によって行政文書に該当するものは、共有フォルダなどの共用スペースに保存するとしておいた方が座りは良いということになる。

 12月末に改正された行政文書管理ガイドラインは、この従来からの考え方を明文化し、残すべきメールを「意思決定過程や事務及び事業の実績の合理的な跡付けや検証に必要となる行政文書に該当する電子メール」として、作成者か第一取得者が速やかに共有フォルダ等に移して保管をすることを求めた。

 何が保存すべきメールかを示しているので、このような定め方をすると、原則行政文書としてメールを扱わないことにガイドラインがお墨付きを与えたも同然だ。

 また、行政文書として残しておくべきメールがないということがあっても、ちゃんと逃げ道が用意されている。

 それが、1年未満という保存期間だ。保存期間が1年以上の行政文書は、行政文書ファイル管理簿に登録され個別の廃棄審査が必要だが、1年未満はいずれも必要ない。

 メールがなくても、1年未満の保存期間で廃棄済みと説明できれば、「違法ではない」ということになる。

 中には、公正取引委員会のように保存期間1年未満の行政文書を「非登録行政文書」として、「原則として、職員の机の又は職員の個人利用が認められた書棚において管理し、執務室、地下倉庫棟の共用の書庫では管理しない」と行政文書ファイル作成・整理マニュアルで指示しているところもある。

 保存期間1年未満の行政文書が個人文書と事実上同じ扱いになっているが、これが各省庁での実態に近いのではないかと推測している。

 こうして、メールは内容によって選別して行政文書として保存し、メールが見つからない場合は廃棄済みといえる仕組みが出来上があり、自動削除という仕組みも情報セキュリティ上の対策という一面もあって、正当化されていくことになる。

 筆者自身は、この状況を大変問題だと考えている。メールが二人以上の職員で共有されているという事実を中心に制度運用を考えず、どこに保存されているかで整理しているからだ。

 本来は、複数で共有されるメールが、システム上の制約で個人のパソコンやメールボックスに保存されている、と考えるべきだろう。



 アメリカ政府の記録管理のしかた

 現状の議論を深めていくために少なくとも必要なのは、メールとは一体どのような意味のある記録なのかということの共通認識だ。

 公文書管理法は文書の作成義務の範囲を定めており、今回、ガイドラインでメールを行政文書として保存することを求めたのはまさにその範囲だ。

 しかし、法は「政府の諸活動を説明する責務」を目的として掲げているので、政府の諸活動を記録し行政文書として残すこともまた求めている。

 この「政府の諸活動」として何が記録として残されるべきかは、これまであまり議論されていないように思う。

 文書の作成義務の範囲が一体何かという議論に終始してきた感が否めない。

 「政府の諸活動」とは、いつ何を決めて何を修正・実施したかだけでなく、組織は人が動き、日々活動し、それが組織を動かし機能させていると考えれば、メールは人の動きや関係性を示す重要な記録となる。

 この認識に立てば、これを原則行政文書として扱い、どう体系的に保存・管理をするかという議論ができるはずだ。

 日本でも参照されることの多いアメリカの連邦政府の記録管理では、実はメールを組織や機能などに関する記録として管理が必要なものと位置づけ、効率的に職員の負担を低減し、低コストのシステムを導入している。

 また、メールは歴史文書として移管するもの、それ以外は7年保存、3年保存に分け、1年未満のような短期保存文書としては扱っていない。

 このようになっているのは、ひとえにメールは管理すべき組織の活動の記録であるという原則に立っていることによる。

 メール自動削除問題の報道をきっかけに、政府の活動をどう記録し残すかという議論を深めたい。
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