阪神間で暮らす-2

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公文書を問う 民主主義の原点 改ざんなんて

2018-06-10 | いろいろ

より

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公文書を問う 民主主義の原点 改ざんなんて

 森友学園への国有地売却をめぐる公文書改ざん、交渉記録の廃棄。加計学園の問題では、国ではなく、愛媛県の文書で新たな事実がわかった。公文書管理法制定に尽力した福田康夫元首相が、朝日新聞のインタビューに応じた。

 「記録を残す」とはどういうことか。新しい法律ができたとします。それはどんな社会情勢の中で、どんな議論を経てできたのか。国民がその時々の政治や行政を評価するためには、後々まで残る正確な記録が必要になる。それが選挙では投票行動につながり、政治家が選ばれ、政策が決まっていく。正しい情報なくして正しい民主主義は行われない。記録というのは民主主義の原点で、日々刻々と生産され続けるのです。

 別の言い方をすれば、保存文書が歴史を作り、国家を形成する。小さな石を積み上げて石垣を造っていくようなもの。日本という国は一体どういう国かといったら、そういうことの積み重ねの成果ではないでしょうか。

 公文書管理法の制定に向けた準備を進めていた当時、なかには都合の悪い文書は作らない人たちもでるかなとは考えた。だがまさか、改ざんするなんて想像もしなかった。改ざんは、びっくりだね。

 国会では政府が事実を小出しにし、また新たな事実が発覚する、ということが繰り返されている。いつまでも果てない議論の責任は追及する野党の側にあるのではありません。原因をつくった政府が責任を持って解決することを目指さなければならない。

 財務省の文書改ざんのような「事件」が起きたら、まず担当する大臣が「責任を感じます。徹底的に解明します」と言わなければならなかった。自分のことじゃないような顔をしていたのは残念。


記録さえあれば 歴史の拡大解釈起きにくく

 今から30年前、日本では見つからなかった戦時中の日本の写真を米国の国立公文書館で見つけたことをきっかけに、記録の保存ということに関心を持ちました。立派な建物にきちんと整理保存してあるのに感動したわけです。

 一方、日本はどうか。2007年に年金記録の紛失が明らかになりました。薬害エイズ問題では、90年代後半に厚生省(当時)のロッカーに資料が埋もれていたこともあった。それほどに公文書管理は軽んじられていたのです。

 政府自身はむしろ、都合の悪いことはあまり残さない、残したくないという意識がずっと働いていたのかもしれない。国民のためを考えるのでなく、行政が自分たちに都合のいいように記録を扱ってきた。

 終戦時に陸軍省が都合の悪い資料を燃やした過去もある。記録さえ残っていれば変な袋小路に入らなくて済むのに、わずか70~80年前の戦前・戦中の記憶や出来事をめぐって様々な解釈が生まれ、その揚げ句、ヘイトスピーチなどの問題も生じている。きちんとした記録さえあれば歴史の一部の拡大解釈や過小評価は起きにくくなる。未来の人たちの負担を減らすことになります。

 外交にだって影響します。尖閣諸島や竹島などの領土をめぐる対立をみても記録の重要性がわかるでしょう。「日本の国立公文書館にいけば、正確な記録がある」と世界が考えるようになり、誠実に事実を積み重ねてきた国ということになれば、日本は信用される国になります。

 森友学園の文書改ざんをめぐっては、政権への配慮、付度などということが言われています。官邸の力があまりに強すぎ、政官のバランスが少し悪くなっているのではないでしょうか。加計学園をめぐる総理秘書官らの言動も、いまの官邸の雰囲気を表している。皆ちょっと気持ちが高揚しちゃっているのではないかな。

 秘書官というのは総理が何を考えているかわからないまま勝手に動くなどということはできない。でも意向さえ把握できれば、細かい確認はしなくてもその方向に合わせて動くことになる。だからトップリーダーはささいな言動でも、それが部下にどんな影響を与えるのかを常に考えないといけないですね。


政治家だってむちゃ言えない

 今回、様々な「事件」を通して、公文書がいかに大事な資料であるかということが国民に知られた面はあります。これを機会にい新しく公務員になる人たちには、公文書管理法の意味や目的について教育をしっかりしてほしい。セクハラ問題でもわかるように、省庁の幹部クラスには社会の常識やモラルに鈍感な人もいる。若い人たちは教育すればよく理解する。

 国に公文書の専門家を育てることも必要でしょう。各省からいその行政分野に詳しい人が公文書館に出向、転籍する。そうして育てた人材の意見が重用されるなど、きちんと仕組みを考えた方がいい。罰則も議論されていますが、実は法制化を進める段階ではあえて罰則はつくらないことにしたんです。あまり厳しくやりすぎると、最初からそうした文書を作らなくなってしまうことを心配した。結局はモラルの問題。まず第一にやらなければいけないのは最初の教育です。罰則よりもまずは教育をしわかりすることいそれが一番です。

 公文書の管理で行政への不当な政治の要求や圧力も排除できるんです。公務員が「違うんじゃないですか」「記録に残りますよ」と言う。そうすれば政治家だってむちゃなことは言えませんよ。
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