私が『拈華微笑』というタイトルでブログを書き始めてから、少なくても約13年ぐらいになるようだ。
(ブログ引っ越しを2回ぐらいしたので、あやふやになってしまって、或いはもっと前だったかも…)
なぜタイトルを『拈華微笑』にしたのか?・・・
なんとなく…とか、直感…とかで、このタイトルにした気がするが、当時の私にとって正直、ちょっと背伸びして付けた思いはあった。
題名としてカッコいいが、自分自身内容がもう一つピンと来ていない・・・とは感じていたのだ。
それが最近になって、『拈華微笑』こそが『悟学』の基軸であると思うようになっているから不思議だ。
ダジャレ親爺の本領発揮じゃないけど、本来の『語学』と禅からきた『悟学』、それも『一般言語と仏陀の非言語』の対比を
掛け合わせた言葉遊び・・・ではあるが、ここに仏教のもつ深い真理が『拈華微笑』に丸出しにされていた、ということなのだ。
考えてみると、釈迦の『悟り』が一番最初に伝えられた方法が釈迦の『拈華』であり、弟子の摩訶迦葉の『微笑』の返答であって、
そこに『言語』がなかった・・・ということが仏教にとって非常に重要であった。
そして、この『微笑』こそは、釈迦の悟りと同等というか、もしかしたらそれ以上に人間にとって重要な意味を持った…のだと思う。
2008年にルッツエルンのカーニバルで撮った『拈華微笑』・・・こりゃ〜たしかに、言葉はいらんわ。
あの頃と比べて大分変わったのでしょうね。
こちらの橋は焼けてない方の古い橋でした。
もし機会があればルッツエルンのカーニバルはお勧めです。