拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  漢字在菩薩

2022年02月08日 | 観自在

  オヤジギャグのオヤジを自認していながら、肝心な言葉『観自在』をギャグするのを忘れていた。

  『観自在』を探る方程式こそが『漢字』在(アリ)・・・であると、去年か一昨年ぐらいから、たった一人で騒いでいる馬骨である。

  ヨーロッパにきて30年になるが、日本人の私に『仏教とは何か?』と尋ねてくれたヨーロッパ人はたった一人であった。

  仕事仲間のポルトガル人で、引っ越し現場に向かうトラックを運転中に、尋ねられたのだ。

  坐禅を足掛け10年やっていた自分にわからないことは無い!・・・と思い切っていた私は、その質問に『?』となり

  その質問に一言も答える事ができなくて、自分でもびっくりした思い出がある。・・・15年くらい前のことである。

  まぁ、それ以前から禅の素晴らしさを伝えられたら??とは思っていたが、それどころでなく

  『仏教』の『ぶ』も説明出来ない自分は、一体どうすれば説明できるのか・・・ということがこの一件で我が愚脳に『?』として

  強くインプットされたのだが、それがどう間違ったのか、アウトプットしてきた答えが『考えるな、漢字ろ!』…であったのだ。

  不立文字の禅を説明するのに、『漢字』だと?!、しかもヨーロッパでそんなものが通用するか!・・・というツッコミが聞こえてきた。

  漢字はそもそも『呪文』として中国で発明、発展した経過があったということを念頭に置いて考えると

  インドのサンスクリット語の仏教経典を中国に取り入れる際、新字を創作したそうであるが、その際に漢字に込められた『呪』(いのり)の念

  がこもっているのは当たり前で、私からしたらその漢字の『呪』をこれまで誰も『解凍』してこなかったことが逆に不思議なぐらいで

  そんな私が梵功羅ボンクラながら『漢字在菩薩』となって『考えるな、漢字ろ!』を常不軽菩薩にならって普及したいものだ。

        

           

  適当な写真がなく、引越屋時代に撮った自撮・・・例の質問を受け、答えを試考錯誤していた頃