拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 魂 (タイムマシン)

2021年12月12日 | 観自在

  例の『最新安楽死マシン』の写真を見て以来、私の頭からあの形状が離れない・・・。

  あまりにカッコイイ形状にいつしかそれは、私の中でタイムマシン…に変わっていた。

  このあたりからいつもの妄想がどんどん湧いて…

  『タイムマシン、タイムマシン・・・』と頭の中で呪文のように唱えていると、

  いつの間にかそれは『タマシン、タマシ・・・たましい・・・魂 …  』に 変 わっていった。

 

  私が初めて『坐禅』をした経験話を以前ブログで書いたと思うが、それは一言でいうと、『時間の無駄』を感じて立腹した経験であった。

  同時に何故自分は『時間の無駄』を感じるのだろう?・・・と『疑問』を持った瞬間に、私はあることを悟った・・・ことを鮮明に覚えている。

  自分にとってこれまで、時間は過去・現在・未来・・・と直行していると思い込んでいたが、それは真実だったのだろうか?

  案外この坐禅というものには『時間が無い』のでは?・・・という漠然とした『疑問』に促されて禅の泥沼に足を突っ込むはめになってしまったのだ。

 

  そいう経緯(いきさつ)から、『坐禅』をしているとき、私は時間の制約から開放されていることを徐々に確信していた。

  で今日、『魂=タイムマシン』になったとき、私の妄想は最高位に達していった気がする。

  私の言う『タイムマシン』・・・とは、過去や未来に移動するマシンのことではなく、私たちが生きている間、時間を体験するこの身体こそが

  『魂=タイムマシン』なのではないか?・・・と考えると、『目から鱗(うろこ)』・・・(たぶん私だけかもしれないが)

  生から死までの間、この世(時空間)を生き抜くこの『心身』こそが我々を色々な体験を実現させる『タイムマシンで魂』なのではないかと。

  死は『タイムマシン=魂』からの開放で、時間など無い宇宙そのものに融合していく・・・そんな壮大なイメージ、いかがでしょうか。

         

           背景はマトリックスを参考にしたけれど、もう少しましな絵を描けないものだろうか・・・