拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 覚悟への縁起

2021年07月20日 | 観自在

  前々回のブログ『大丈夫教〜その2』に『悟り』という言葉について『覚り』が、より本来的なのでは・・・と書いた。

  何気なく書いたのであるが、後で考えると『覚り』と『悟り』で、二つ合わせて『覚悟』になるなぁ…としみじみ思ったのである。

 

  『覚悟』というと、私にとって忘れられない思い出がある。

  昔、鍼灸専門学校に通っていた頃、鍼灸師・横田観風先生が主催していた無為塾の塾生として教えを乞うていたある正月

  あれは書き初めであったか? 塾生各自、何か『抱負』を書きなさい・・・ということになり、縦長の和紙を与えられ

  生まれて初めて書いた私の書初めの言葉は『覚悟』…であった。

  何についての『覚悟』なのか、自分でもよく判らなかったが、とにかく『覚悟』だろう・・・と思ったのだ。

 

  いま、思う。 

  覚悟は『覚り』であり『悟り』であって、それへ向けての『覚悟』で、それを中心に人生に起こるあらゆる事柄が

  それに繋がる『縁』となり、それが『縁起』として起動した時、すべてが観えてくる・・・ということではないだろうか。

  だから、あの時書いた言葉『覚悟』は偶然でもなんでもなく、それに向かって覚醒させるべく私が私自身が送ったメッセージの一つであったのだ。

  

  こう考えると、皆それぞれメッセージが絶えず送られているのだ。そしてそこには時間は無い。

  そのメッセージを了解した時、過去も未来も無い・・・ゆえに『観自在』なのだと思う。

  人によっては、過去のことは振り返らない・・・と断言したりする人がいるが、それは『過去』に縛られているのだ。

  『還暦スキャン』は60歳になるまで待つ必要はない、過去未来を自在にスキャンしてこその『覚悟』であり『縁起』なのだから。